都市対抗野球大会

都市対抗野球大会
Toshitaikou opening.jpg
開始年 1927
主催 日本野球連盟
毎日新聞社
参加チーム数 32
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 JR東日本(初回)
最多優勝 JX-ENEOS(9回)
備考 球場
1927年 - 1937年・神宮
1938年 - 1987年・後楽園他
1988年 - 現在・東京ドーム
※ 2011年のみ京セラドーム大阪

都市対抗野球大会(としたいこうやきゅうたいかい、the Intercity Baseball Tournament)は、毎年に行われる社会人野球のトーナメント。「都市対抗野球」、また単に「都市対抗」ともいう。

歴史

最初の大会は1927年昭和2年)におこなわれ、1941年昭和16年)の中止、1943年昭和18年) - 1945年昭和20年)には戦争による大会中断もあった。各地の社会人・クラブチームが繰り広げる熱戦、独自の制度である「補強制度」、郷土色豊かな応援合戦などに根強いファンが多い。(略歴における用語は以下の記事に詳述している。)

開催時期

全国大会の開催時期も1980年(この年だけIBAFワールドカップの開催に伴い11月開催)を除けば、7月下旬-8月上旬の夏休みの初めに開催され「真夏の球宴」という異名が知られていたが、第73回大会2002年)から8月下旬-9月上旬に変更された。

従前の開催期間においては、全国高等学校野球選手権大会が同時に開催されているなど、メディアへの露出が少なかったことから約1か月繰り下げたもの。しかし、9月には小中学生の新学期が始まるなど、結果的に動員増につながったかどうかは未知数であった。また、甲子園予選との兼ね合いから都市対抗予選が5月から6月にかけて行われる一方、本戦が8月下旬に開幕することから、本戦までの間隔が長すぎるという指摘がかねてからなされていた。

なおこれ以前にも第63回1992年)と第67回1996年)も、夏季オリンピック(当時硬式野球が公式種目とされていた)と平年の開催日が重なってしまうという理由で、8月下旬-9月上旬に延期された例がある。

7月復帰へ

主催者・毎日新聞の記事[1]によると、2012年度の大会から再び7月の開催に戻す方針が決まった。これは社会人硬式野球の大会日程が2003年以後1ヶ月以上も延長されたことで、「選手が社業に関わる時間が減ることで職場とのかい離が進む恐れがある」事や、国際大会(アジア野球選手権大会アジア競技大会IBAFワールドカップIBAFインターコンチネンタルカップ他)と日本選手権の日程が重複するケースも多いため、大会日程を見直すべきだという意見があったため。

このため社会人硬式野球の日程を10月末までに終わらせられるように見直すという観点から、2大大会や日本選手権に付随するJABA大会の日程見直しを目指すことにし、都市対抗の開催を2002年以来続けた8月下旬-9月初めの開催を見直して、ほぼ過去と同じ7月中-下旬の開催に戻す方向で調整することになり、第83回大会2012年)は7月13日の開幕が発表された。

東日本大震災の影響での延期と「日本選手権」兼務

2011年平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響を受け、電力事情を鑑みる形で主催者の日本野球連盟は3月25日の協議で、8月26日からの第82回大会の開催を秋に延期し、東京ドームでの開催を見合わせると同時に、10月29日から開催する予定だった「第38回日本選手権大会」の単独開催を取り止めとし、本年度に限り都市対抗を日本選手権を兼ねた大会(ただし日本選手権としての回数にはカウントせず)として行い、優勝チームを日本選手権者とすることを決めた[2]。日本選手権と都市対抗が兼務となるのは日本選手権が単独大会となる前の1972年以来である。

その後、この第82回大会は関東以外では史上初めて、同10月22日から11日間に渡り、京セラドーム大阪で行うことが発表された[3]。この大会の優勝チーム・JR東日本硬式野球部に対しての優勝表彰状には「本年度の社会人野球日本一に認定致します」という件があった[4]

大会の概要

主催

毎日新聞社が東京日日新聞時代の第1回大会(1927年)から主催を続けている。第20回大会(1949年)には日本社会人野球協会(現・日本野球連盟)が発足し、毎日新聞社との共催となった。

大会システム

トーナメント方式で、予選で用いられることのある敗者復活戦は行われない。第17回大会(1946年)から第38回大会(1967年)までは準決勝敗退チーム同士による3位決定戦が行われていたが、現在では行われていない。

試合形式・ルール

タイブレーク

1日に3、4試合行うこともあることから、2003年からタイブレーク制度が定められている。導入当初の要件は以下の2点をいずれも満たすこと。

  1. 試合開始から4時間以上であること
  2. 延長13回以上であること

この条件を満たしてなお同点の場合、新しいイニングに入るときには、1死満塁の状態から攻撃を開始する。そのイニングの先頭打者は、前の攻撃イニング最終打者の次打者。1塁走者は前の攻撃イニング最終打者、2塁走者は1塁走者の前の打順の打者、3塁走者は2塁走者の前の打順の打者が入る。この場合、あらかじめ置かれた打者が生還したとき、打点及び得点は記録されるが、投手に自責点は記録されない。また、タイブレークの1イニングは記録上3分の2回とされる。

この制度において、2003年から2008年までの間に、実際に適用された試合は第76回大会1回戦の七十七銀行デュプロ戦(延長14回からタイブレークに入り、延長15回の末、七十七銀行 9x-8 デュプロ)の1試合のみであった。

2009年第80回大会からは、試合時間に関係なく、延長11回からタイブレークを適用することとした(ただし準決勝以後は従前に同じ)。第80回大会では4試合、第81回大会では5試合にタイブレークが適用された。

2011年第82回大会からは、試合時間に関係なく、延長12回からタイブレークを適用することとした。また、12回の攻撃前に監督が攻撃開始打者を指定し、13回以降は前回からの継続打順とした。

予選

大会に出場するには各地区の予選を勝ち抜く必要がある。地区は適宜見直しが行われており、第83回大会においても地区割りが変更された。現行の地区割りと出場チーム数は次のとおりとなっている。(かっこ内は本戦出場チーム数)

これに加え、前年大会優勝チームは主催者推薦として予選免除されて出場する[5]

本戦に出場するチームは基本的にそのチームのホームタウンとなる市町村代表として出場するためマスコミではチーム名の後に括弧くくりでその市町村名を併記している。但し主催新聞社の毎日新聞だけ逆で市町村名を優先してチーム名を括弧くくりとしている。また東京特別区(東京23区)については、ホームタウンの特別区名ではなく一律「東京都代表」として扱われる。また、JFE西日本チームが出場した場合、チーム所在地は福山市であるが、川崎製鉄水島チームの所在地だった倉敷市と特例で「福山市・倉敷市代表」扱いとなる。

2次予選

上記のとおり、12の地区において予選が行われる。ほとんどの地区では本戦出場を決めるための予選に出場するため、事前に単独または複数の都道府県を単位とする1次予選を行い、これを通過したチームのみ予選参加資格を与えている。1次予選と対比する意味で、本戦出場をかけて行われる予選を2次予選と呼ぶ。
以前は、2次予選での次点による敗退チーム間による広域地区予選(関東地区および近畿地区)が行われていたが、第83回大会から予選が変更され、次点チームにより行われるさらなる予選は実施されなくなった。

予選形式

2次予選の形式は地区連盟が定めることができ、トーナメントやリーグ戦が用いられる。以下説明するのは第82回大会予選において各地区で採用された形式である。

1次予選を勝ち抜いた4チームによる変則敗者復活併用トーナメント。トーナメントを2勝したチームと敗者復活トーナメントを制したチームが代表決定戦を行う。
1次予選を勝ち抜いた12チームが3チームずつ4リーグに分かれる。リーグ1位チームには敗者復活も含めたチャンスが与えられるトーナメントを行う。
1次予選を勝ち抜いた6チームが3チームずつ2リーグに分かれる。リーグ1位・2位チームによるトーナメントを行う。
1次予選を勝ち抜いた8チームによるトーナメントを行う。敗者復活トーナメント勝者は関東地区予選に進出する。
1次予選を勝ち抜いた8チームによる敗者復活併用トーナメントを行う。
1次予選を勝ち抜いた2チームと1次予選を免除された6チームの計8チームによる敗者復活併用トーナメントを行う。
1次予選を勝ち抜いた2チームと1次予選を免除された2チームの計4チームが敗者復活併用トーナメントを行う。
北関東、南関東、東京の各地区次点3チームが出場、総当たりのリーグ戦を行う。
1次予選を免除された12チームが4チームずつ3リーグに分かれ総当たりのリーグ戦を行って順位を決定、その後1次予選を勝ち抜いた1チームを加えて敗者復活併用トーナメントを行う。
1次予選を勝ち抜いた8チームが対抗戦を行い、勝者4チームによる代表決定リーグ戦を行う。
1次予選を勝ち抜いた2チームと1次予選を免除された4チームによる総当たりリーグ戦を行う。上位4チームによる敗者復活併用トーナメントを行う。
6チームが3チームずつ2リーグに分かれリーグ戦を行う。上位2チームずつがトーナメントを行う。敗者復活トーナメントの勝者は近畿地区予選に進出する。
京滋奈、阪和、兵庫の次点4チーム(阪和は2チーム)が出場、敗者復活併用トーナメントを行う。
1次予選を勝ち抜いた8チームが4チームずつ2リーグに分かれ総当たりのリーグ戦を行う。各リーグ上位2チームずつによる敗者復活併用トーナメントを行う。
1次予選を勝ち抜いた4チームによるトーナメントを行う。
1次予選を勝ち抜いた12チームが敗者復活併用トーナメントを行う。

1次予選

2次予選に出場するチームを決定するために行われる予選であり、原則として1県を1地区として上位1~数チームに2次予選出場権を与える。所属チーム数が少ない県においては、隣県にまたがった地区において合同の1次予選を行うこともある(例:岡山・鳥取・島根)。また、1県による1次予選を突破したチームに隣県との合同1次予選出場権を与える場合もある(例:静岡1次予選・愛知1次予選・三重1次予選の上位チームに静岡・愛知・三重合同1次予選の出場権を付与)。この場合に行われる合同1次予選は他の1次予選と同等に扱われる。

1次予選には各都道府県連盟に所属する企業チームは参加しない(免除される)ことが決して少なくない。これは、実力差が著しいことから企業チームに1次予選の免除特権を与え、同時にクラブチームに実戦機会を多く与えることが目的である。一部の県では企業チームとクラブチームの交流を図るため、企業チームに1次予選からの出場を求めるものもあるが、ほとんどの試合では圧倒的な大差がつく。

補強選手

概要

経緯

選抜方法

組み合わせ抽選

第73回大会(2002年)から、ファンの要望を受けて公開で行われるようになった(会場は年によって異なる)。

地区ごとに代表が出場すること、同一企業から複数のチームが出場する可能性があること等から、次のように組み合わせ抽選が行われる。

1日に割り当てられる試合数

表彰

大会独特の表現が目立つ。

個人表彰

橋戸賞

最優秀選手賞にあたり、優勝チームから1人選出される。都市対抗野球を創設した橋戸信(橋戸頑鉄)にちなんでいる。

久慈賞

敢闘賞にあたり、準優勝チームから1人選出される(第18回大会のみ優勝チームから選出されている)。全日本の主将を務めた名捕手で、1939年8月19日に試合中の事故で死去した久慈次郎にちなんでいる。

若獅子賞

新人賞にあたり、大会で素晴らしい活躍をした新人選手(高卒選手は2年目まで、大卒選手は1年目のみ)が選出される。1名とは限らず、近年は3人同時受賞というケースもある。

小野賞

大会で素晴らしい活躍をした選手、監督、チームが選出される。都市対抗野球の発展に寄与した小野三千麿にちなんでいる。

10年連続出場

社会人野球チームはプロ野球の球団よりも選手の入れ替わりが激しく、10年間も主力で活躍できる選手は少ない。さらに各地区に複数の強豪チームが存在するため、自分のチームが毎年都市対抗野球に出場できるとは限らない。よって都市対抗野球大会の10年連続出場は自チームの主力のみならず、補強選手にもコンスタントに選ばれるほど実力が抜きん出ていて、大きな故障もない選手という証明である。
なお1987年に、鈴木政明投手(旧姓・山根)[8]が大昭和製紙、ヤマハ発動機、プリンスホテルと所属チームの活動休止を移籍によって乗り越え、本大会20年連続出場の偉業をなしとげた。
なお、選手同様応援団員にも10年(チアリーダーは5年)連続出場の表彰制度があるほか(後述)、審判員も10年出場(こちらは「連続」の要件が入っていない)すると開会式において表彰される。

チームに贈呈される記念旗

黒獅子旗

黒獅子旗(3代目)。第81回都市対抗野球大会開催中に野球体育博物館で行われた企画展で撮影。
黒獅子旗(初代)。同上
黒獅子旗(2代目)。同上
優勝チームに授与される優勝旗のことで、現在の黒獅子旗は3代目である。なお、初代黒獅子旗のデザインを担当したのは、橋戸信の友人でもあった画家の小杉未醒であった。1942年に全京城(ソウル)の優勝を最後に大会中断、旗は終戦の混乱の中、全京城の主力打者・秋山光夫が命がけで日本へ持ち帰ったという経緯がある(第17回大会#概要参照のこと)。

白獅子旗

本戦の準優勝チームに贈られる旗。獅子の色が白いもので、デザインは黒獅子旗と同じ。閉会式のセレモニーの一環として、準優勝チームの主将に手渡される。

黄獅子旗

本戦の3位チームに贈られる旗。獅子の色が黄色いもので、デザインは黒獅子旗と同じ。準決勝終了時の整列・あいさつが終わると、引き続いて3位チームの主将に手渡される。第17回大会から第38回大会までは準決勝敗退チーム同士による3位決定戦が行われており、この時期は3位決定戦の勝者に贈られていた。

青獅子旗

各地区の2次予選を勝ち抜いて代表権を勝ち取ったチームに与えられる、青地に黒獅子をあしらったデザインの旗。持ち回りであり、代表権チームは翌年の予選の開会式で主催者(各地区連盟)に旗を返還する。2011年の東北地区予選にて、第1代表のJR東日本東北に渡されるはずだった縦約0.9メートル、横約1.1メートルの青獅子旗は、前年第1代表の日本製紙石巻の工場敷地内の応接室に展示されていたが、同年3月11日の東日本大震災により建物ごと津波で流されてしまった。しかし、同年7月に重機で敷地内のガレキを撤去中、偶然にも、大きく損傷し泥まみれになったボロボロの状態で見つかった。歴代の優勝チームが記された帯は流されていた。日本製紙石巻は8月2日、東北大会の抽選会で大会本部にこの旗を返還。あまりにも変わり果てた姿になっていたため、第1代表のJR東日本東北には盾だけが授与されたが、宮城県野球協会が「奇跡的に残った旗。何とか大会に参加させてほしい」と日本野球連盟に要望し、東北復興の象徴として、本大会の開催期間中、京セラドーム大阪の入口に展示された。

紅獅子旗

各1次予選の優勝チームに贈られる、赤地に黒獅子をあしらったデザインの旗。

黒獅子エンブレム

第80回大会優勝のHondaユニフォーム。左袖に黒獅子エンブレムがつけられている。
黒獅子エンブレムつきのユニフォーム。後列左から、王子製紙第75回大会優勝)、TDK第77回大会優勝)、新日本石油ENEOS第79回大会優勝)。前列左から、三菱ふそう川崎第76回大会優勝)、東芝第78回大会優勝)。
2001年から贈られるようになった副賞。都市対抗野球大会優勝チームの証として、ユニフォームの袖に黒獅子をあしらったエンブレムをつけて次年度の大会閉幕までプレーすることが認められる。相当の栄誉として受け止められるものであるが、初代エンブレムチームとなった河合楽器は優勝直後に休部を発表、2002年に優勝したいすゞ自動車もその年限りでの休部が決まっていた。また、2003年の優勝チームである三菱ふそう川崎も2004年シーズン序盤から本社不祥事により活動を自粛していたことから、2004年(第75回大会)に優勝した王子製紙が初めて「エンブレムをつけて1年間プレーしたチーム」となった(なお、優勝チームのエンブレム付きのユニフォームは野球体育博物館に所蔵され、入館者が見学することができる)。

優勝チームの特典

以上が優勝チーム持ち回り賞品。

出場歴のあるチーム

歴代優勝チーム


前年度優勝チームの連覇

歴代表彰選手

(かっこ内は都市名・チーム。かっこ内かっこは補強元チーム。)

橋戸賞

(第10回から表彰。)

  • 第10回 井野川利春監督兼捕手(門司・門司鉄道局
  • 第11回 角地孫之助投手(八幡・八幡製鉄)
  • 第12回 土井寿蔵投手(東京・藤倉電線)
  • 第13回 吉田正男投手(東京・藤倉電線)
  • 第14回 野村武史投手(京城・全京城)
  • 第15回 大会中止
  • 第16回 該当者なし
  • 第17回 中原宏投手(岐阜・大日本土木)
  • 第18回 村瀬保夫監督兼内野手(岐阜・大日本土木)
  • 第19回 宮崎要監督兼内野手(福岡・西日本鉄道)
  • 第20回 荒巻淳投手(別府・星野組)
  • 第21回 高橋久雄外野手(大阪・全鐘紡)
  • 第22回 松井実内野手(大阪・全鐘紡(日本生命))
  • 第23回 松井実内野手(大阪・全鐘紡(日本生命))
  • 第24回 黒柳巽投手(吉原・大昭和製紙)
  • 第25回 井原数巳内野手(八幡・八幡製鉄)
  • 第26回 松本豊内野手(大阪・全鐘紡)
  • 第27回 藤田元司投手(横浜・日本石油
  • 第28回 島津四郎投手(東京・熊谷組)
  • 第29回 伊藤正敏投手(横浜・日本石油
  • 第30回 西三雄投手(松山・丸善石油)
  • 第31回 高林恒夫外野手(東京・熊谷組)
  • 第32回 杉本和喜代投手(横浜・日本石油(日本鋼管))
  • 第33回 佐々木吉郎投手(横浜・日本石油
  • 第34回 堤亨投手(京都・積水化学)
  • 第35回 田中章投手(浦和・日本通運
  • 第36回 小弓場保投手(大阪・電電近畿日本生命))
  • 第37回 古田昌幸監督兼内野手(東京・熊谷組)
  • 第38回 平松政次投手(横浜・日本石油
  • 第39回 神部年男投手(姫路・富士鉄広畑
  • 第40回 若宮秀雄投手(千葉・電電関東)
  • 第41回 安田猛投手(富士・大昭和製紙)
  • 第42回 佐々木恭介内野手(姫路・新日鉄広畑
  • 第43回 新美敏投手(浜松・日本楽器
  • 第44回 宇賀山徹内野手(川崎・日本鋼管)
  • 第45回 柳俊之投手(白老・大昭和製紙北海道(電電北海道))
  • 第46回 丹利男投手(千葉・電電関東)


久慈賞

(第18回から表彰。)

  • 第18回 中原宏投手(岐阜・大日本土木)
  • 第19回 永利勇吉捕手(別府・星野組)
  • 第20回 大道信敏内野手(吉原・大昭和製紙)
  • 第21回 櫛田由美彦捕手(東京・熊谷組)
  • 第22回 野口勝美外野手(大阪・南海土建
  • 第23回 野見山博投手(二瀬・日鉄二瀬)
  • 第24回 種田吉富捕手(大阪・全鐘紡)
  • 第25回 大館盈六内野手(東京・全藤倉)
  • 第26回 山本治投手(高砂・鐘淵化学)
  • 第27回 大沢貞義監督兼投手(東京・熊谷組)
  • 第28回 堀本律雄投手(浦和・日本通運
  • 第29回 井洋雄投手(二瀬・日鉄二瀬)
  • 第30回 出沢政雄内野手(釜石・富士鉄釜石(常磐炭鉱))
  • 第31回 松浦三千男投手(門真・松下電器(鐘化カネカロン))
  • 第32回 鬼頭忠雄投手(名古屋・新三菱重工
  • 第33回 鬼頭忠雄投手(名古屋・日本通運名古屋(新三菱重工))
  • 第34回 佐藤進投手(室蘭・富士鉄室蘭)
  • 第35回 近藤重雄投手(川崎・日本コロムビア)
  • 第36回 清沢忠彦投手(和歌山・住友金属)
  • 第37回 清沢忠彦投手(和歌山・住友金属)
  • 第38回 中野孝征内野手(浜松・日本楽器
  • 第39回 堀内嗣郎内野手(浜松・河合楽器)
  • 第40回 石幡信弘投手(太田・富士重工業
  • 第41回 橘谷健投手(神戸・三菱重工神戸(川崎重工))
  • 第42回 久玉清人投手(松山・丸善石油)
  • 第43回 池田善吾投手(川崎・三菱自動車川崎
  • 第44回 須藤和彦捕手(横須賀・日産自動車
  • 第45回 萩野友康投手(北九州・新日鉄八幡)
  • 第46回 加藤英美投手(白老・大昭和製紙北海道)
  • 第47回 千藤和久投手(札幌・北海道拓殖銀行)
  • 第48回 伊藤友幸監督兼外野手(東京・熊谷組)
  • 第49回 木田勇投手(川崎・日本鋼管)
  • 第50回 中尾孝義捕手(東京・熊谷組(プリンスホテル))


小野賞

(第27回から表彰。)

  • 第27回 日立・日本鉱業日立チーム
  • 第28回 村上峻介投手(二瀬・日鉄二瀬)
  • 第29回 増山桂一郎監督(横浜・日本石油
  • 第30回 釜石・富士鉄釜石チーム
  • 第31回 大沢貞雄監督(東京・熊谷組)
  • 第32回 大工勝投手(姫路・富士鉄広畑
  • 第33回 今西良雄外野手(横浜・日本石油
  • 第34回 京都・積水化学チーム
  • 第35回 田中公雄投手(札幌・北海道拓殖銀行)
  • 第36回 大分・大分鉄道管理局チーム
  • 第37回 平松政次投手(横浜・日本石油
  • 第38回 浜松・日本楽器チーム
  • 第39回 後藤晃吾投手(北九州・八幡製鉄)
  • 第40回 佐藤昭投手(千葉・電電関東(日本通運))
  • 第41回 神戸・三菱重工神戸チーム
  • 第42回 三沢淳投手(姫路・新日鉄広畑)、中山拓郎捕手(姫路・新日鉄広畑)
  • 第43回 細川昌俊外野手(大垣・西濃運輸
  • 第44回 内藤博内野手(川崎・日本鋼管)
  • 第45回 山口高志投手(堺・新日鉄堺(松下電器))
  • 第46回 白老・大昭和製紙北海道チーム
  • 第47回 川崎・日本鋼管チーム
  • 第48回 藤井栄一郎投手(松山・丸善石油)
  • 第49回 鈴鹿・本田技研鈴鹿チーム
  • 第50回 広島・三菱重工広島チーム
  • 第51回 札幌・札幌トヨペットチーム
  • 第52回 工藤真投手(東京・東京ガス
  • 第53回 東京・明治生命チーム
  • 第54回 東京・東京鉄道管理局チーム
  • 第55回 札幌・北海道拓殖銀行チーム
  • 第56回 八王子・スリーボンドチーム
  • 第57回 大阪・大阪ガスチーム
  • 第58回 川島勝司監督(浜松・ヤマハ
  • 第59回 横浜・三菱重工横浜チーム
  • 第60回 野茂英雄投手(堺・新日鉄堺)


若獅子賞

(第44回から表彰。)

応援

上記のとおり、華やかな応援合戦も都市対抗野球の見所となっているが、これをさらに後押ししているのが、毎日新聞社主催、スポーツニッポン後援の「応援団コンクール」である。大会期間中、東京ドーム1・3塁側の客席最前列に応援団用の特設ステージが設えられており、郷土芸能やチアリーディング・チアダンスなどのパフォーマンスが行われている。

応援団コンクールの概要

応援団コンクールは、大きく1回戦の試合を対象に行う「前期賞」「後期賞」(1回戦出場32チームの試合日程順に最初の8試合=16チームを前期賞、その後の8試合を後期賞とする)、並びに大会全試合を通しての「期間賞」の3つで構成・表彰される。

  1. チームの健闘に貢献した作品
  2. 郷土色豊かな作品
  3. リーダーの統制がよく取れて、マナーのよかったチーム
  4. 優秀なアイデアを作品に取り込んだもの

応援団コンクールの各賞受賞チーム

最優秀賞


優秀賞


敢闘賞


特別賞

  • 第34回 トヨタ自動車
  • 第35回 河合楽器
  • 第36回 該当なし
  • 第37回 日本石油
  • 第38回 該当なし
  • 第39回 該当なし
  • 第40回 電電関東
  • 第41回 オール常磐
  • 第42回 該当なし
  • 第43回 該当なし
  • 第44回 該当なし
  • 第45回 新日鐵グループ
  • 第46回 電電関東
  • 第47回 本田技研鈴鹿
  • 第48回 本田技研
  • 第49回 該当なし
  • 第50回 該当なし
  • 第51回 プリンスホテル
  • 第52回 該当なし
  • 第53回 該当なし
  • 第54回 該当なし
  • 第55回 該当なし
  • 第56回 スリーボンド
  • 第57回 NTT北陸、国鉄名古屋
  • 第58回 ヨークベニマル
  • 第59回 NTT東海
  • 第60回 熊谷組


努力賞

(表彰のあった年のみ記載する)

決勝戦の応援席の演出

その他

開会式

始球式

始球式は1回戦、2回戦・準々決勝、準決勝・決勝に分けられる。

放送での中継

その他

注釈

  1. ^ 2011年2月17日付
  2. ^ 毎日新聞2011年3月26日付
  3. ^ 毎日新聞2011年5月20日付 これにより、通常同時期の日本選手権で行う複数会場の1回戦の分割開催も行わないことになった。
  4. ^ 11月1日同決勝戦のGAORA実況中継より。
  5. ^ ただしこの場合、予選を経由していないことから地区代表としての位置づけはなく、したがって補強選手も得られない。
  6. ^ 同一企業内からの出場はもちろん、チームの来歴から他チームと同系列とみられる場合も同一企業内チームとして取り扱われる(企業チームがクラブチーム化してから本大会に出場した場合など)。
  7. ^ JRグループは全チーム同一企業として取り扱われてきたが、第82回大会からは、JR東日本JR東日本東北間を除いてすべて別チームとして扱われることとなった。
  8. ^ 広島西武で活躍した山根和夫投手の実兄。
  9. ^ 日本社会人野球協会初代会長の宮原清をたたえる盾。
  10. ^ 2011年は大阪での開催のため、通常日本選手権優勝チームに贈る大阪市長杯を贈呈
  11. ^ フィリピン野球の父と呼ばれ、アジア野球連盟会長も務めたチャールズ・パーソンをたたえるカップ。
  12. ^ 日本社会人野球協会第4代会長の本田弘敏をたたえるメダル。優勝チームには金メダル、準優勝チームには銀メダルが贈呈される。
  13. ^ 男子リーダー、女子チアリーダー、吹奏楽
  14. ^ 陸上の長距離走選手として知られる松野明美が、当時所属していたニコニコドーのマスコットを務めたことがある。
  15. ^ 三菱重工系列の場合、商品の一つであるビーバーエアコンからビーバーがマスコットを務めることがある[1]
  16. ^ ただし、2011年は東日本大震災の影響により、JR東日本東北の主将が務めることとなった。
  17. ^ 36チーム参加による日程の都合で初日から3試合開催であるのと、明くる8月22日の第2日が4試合開催であるため、通常の3試合開催日から1時間早く開催された関係(前述参照
  18. ^ GAORA・TCNの中継では決勝戦の途中で応援席レポートが入ることがあり、その場合はNHK製作の映像に差し替える
  19. ^ 大半はサイマルであるが、GAORAのプロ野球中継などにより平日のナイターなど一部時間が異なる。2008年・第79回決勝戦はGAORAがプロ野球を放送したため、先にTCN独自放送チャンネルで生中継後、GAORAで録画放送(TCN視聴者には実質再放送扱い)したことがあった

関連項目