酒井 忠道(さかい ただみち、嘉永4年6月5日[1]1851年7月3日)- 1920年大正9年)2月1日[1][2])は、日本華族政治家。旧小浜藩主酒井家第16代当主、貴族院伯爵議員

酒井忠道

経歴 編集

1851年(嘉永4年)酒井忠義(忠禄、第12代・14代小浜藩主)の長男として生まれる[1]。父の死去に伴い、1874年(明治7年)2月4日に家督を相続し[1]1884年(明治17年)7月7日、伯爵を叙爵する[3]

1891年(明治24年)9月25日、補欠選挙により貴族院伯爵議員に選出され[4][5][6]1892年(明治25年)5月31日に貴族院における選挙訴訟により前年の補欠選挙による当選が無効とされるまで在任した[2][注釈 1]。ただし、同年6月4日の貴族院議員補欠選挙に当選して再び伯爵議員となり[8][9]1897年(明治30年)7月9日まで務めた[1]

1920年(大正9年)に死去した。

学生寮と奨学金 編集

酒井忠道は、1900年(明治33年)11月3日、新宿区牛込矢来町の酒井伯爵邸内に学生寮「講正学舎」を創設した[10]。講正学舎は1955年に武蔵野市に移転した後、1995年に世田谷区に移転して学生マンションとなり、公益財団法人雲浜奨学会が運営している[10]

また、公益財団法人雲浜奨学会により「酒井忠道記念特別奨学金」が設けられている[11]

親族 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ この訴訟は、同選挙で最多得票した島津忠亮伯爵が、伯爵に陞爵(爵位昇進)する前に子爵議員であったため、選挙管理者がそのことを理由に島津は伯爵議員になれないとして次点得票した酒井を当選としたことに対して、島津が酒井の当選は無効であると提訴したものである。貴族院資格審査委員会は、伯爵・子爵・男爵議員として互選された者が陞爵した場合はその地位を失うとして、島津は同選挙の時点では議員資格を有しない者であったとしてその当選を認め、酒井の当選を無効とした[7]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『平成新修旧華族家系大成 上巻』645-646頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』26頁。
  3. ^ 『官報』第307号、明治17年7月8日。
  4. ^ 貴族院第2回会議録第1号 p.8 議員異動の報告
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、4頁。
  6. ^ 『官報』第2479号、明治24年10月2日。
  7. ^ 貴族院第3回会議録第15号
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、5頁。
  9. ^ 『官報』第2682号、明治25年6月8日。
  10. ^ a b 公益財団法人雲浜奨学会「講正学舎の歩み」 2021年8月16日閲覧。
  11. ^ 公益財団法人雲浜奨学会「酒井忠道記念特別奨学金」 2021年8月16日閲覧。

参考文献 編集

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
小浜酒井家初代
1884年 - 1920年
次代
酒井忠克