重松 寛勝(しげまつ かんしょう、1863年8月23日文久3年7月10日) - 1928年11月4日)は、日本真言宗善通寺派随心院42代門跡を務めた。

来歴 編集

伊予国に生まれる。

1910年明治43年)、弘川寺の塔頭「釈迦院」を大阪市港区築港に移し、築港高野山釈迦院として創建した[1]。書家としても知られる[要出典]

脚注 編集

  1. ^ お寺の概要”. 築港高野山釈迦院. 2019年2月1日閲覧。