野口 能毅(のぐち のうき、万延元年8月17日1860年10月1日) - 昭和15年(1940年5月22日[2])は、日本内務官僚政治家秋田市長佐賀市長を務めた。

野口能毅
のぐち のうき
生年月日 1860年10月1日
出生地 日本の旗 日本 肥前国小城郡小城町
(現佐賀県小城市)
没年月日 (1940-05-22) 1940年5月22日(79歳没)
前職 三重県警察署長
親族 兄・波多野敬直(宮内大臣)

在任期間 1912年7月5日 - 1931年2月2日

在任期間 1905年4月4日[1] - 1906年7月5日[1]
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経歴 編集

肥前国小城郡小城町(現在の佐賀県小城市)に小城藩剣道師範波多野信倚の子として生まれ、家老野口雲斎の養子となった。1880年明治13年)に任官して、佐賀県警部、同警察署長、三重県警察署長などを務めた。さらに1899年(明治32年)から小城郡長、大分県警察部長、佐賀県警察部長、秋田県警察部長を歴任した。

1905年(明治38年)から1906年(明治39年)にかけて秋田市長を務め、その後、1912年(明治45年)から1931年(昭和6年)まで佐賀市長を5期務めた[3]

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 歴代市長および副市長(助役)の紹介”. 秋田市. 2024年4月30日閲覧。
  2. ^ 朝日新聞社『昭和十六年 朝日年鑑』p.990、1940年
  3. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、524頁。ISBN 978-4-06-288001-5 

参考文献 編集

  • 『御大典記念 昭和之日本』東京毎夕新聞社、1929年。