金毘羅 義方(こんぴら よしかた、生没年不詳)は、鎌倉時代後期の悪党[1][2]。通称は次郎[1]

経歴・人物 編集

高野山紀伊国名手荘を本拠とした悪党[1][2]正応4年(1291年)頃、高野山領荒川荘の悪党蜂起に呼応し、名手荘で放火殺人刈田狼藉や路次押取などの悪党行為を働き「国中無双の大悪党」と呼ばれた[1][2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『金毘羅義方』 - コトバンク
  2. ^ a b c 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『金毘羅義方』 - コトバンク