金野 滋(こんの しげる、1922年7月7日 - 2007年4月1日)は、日本ラグビー選手。引退後は日本ラグビーフットボール協会会長(1994年-2001年)、国際ラグビー評議会常任理事(1991年-2000年)などを歴任した。愛称はシギー (Shiggy)。現役時のポジションはロック同志社大学卒。

経歴 編集

実父は元三菱銀行ロンドン支店長であったため、5歳から10歳までロンドンの小学校に通い、終生、抜群のクイーンズイングリッシュを話した[1]

1963年から1990年まで日本代表のほとんどすべての海外遠征の団長を務め、ラグビーワールドカップでも第1回第2回に団長として日本チームを率いるなど、日本の戦後ラグビーの国際化に大いに貢献した。1985年にはアジアにラグビーを広めた功績によりエリザベス2世から大英帝国勲章のOBE(オフィサー)を授与された。会長時代にはジャパンラグビートップリーグ創設に尽力した。

2007年4月1日、脳血栓のため死去[1]。84歳没。

2019年、日本のラグビー界への多大な貢献を評価され、ワールドラグビー殿堂に選出された[2]

脚注 編集

  1. ^ a b 西山良太郎「(惜別)巧みな英語で交流に道 金野滋さん」『朝日新聞』、2007年5月11日、夕刊、12面。
  2. ^ シギー金野(日本) 他 5 人のレジェンドがワールドラグビー殿堂入りワールドラグビー、2019年11月21日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集