鈴木敏行
鈴木 敏行(すずき としゆき、1891年(明治24年)5月14日[1] - 1967年(昭和42年)9月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
鈴木 敏行 | |
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生誕 |
1891年5月14日 日本 東京府 |
死没 | 1967年9月8日(76歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1911年 - 1939年 1942年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴 編集
1891年(明治24年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第33期卒業[1]。1935年(昭和10年)8月1日に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、野砲兵第4連隊長に着任した[2]。1937年(昭和12年)9月7日に第108師団参謀長に転じ[2]、日中戦争に出動したが[1]、10月22日には第1軍兵器部長に転じた[1][2]。
1938年(昭和13年)7月に陸軍少将に進級[2]。1939年(昭和14年)3月9日に留守第8師団司令部附となり[1]、4月15日に待命[2]、4月30日に予備役に編入された[1]。1942年(昭和17年)2月に召集され、対馬要塞司令官に就任した[1]。1943年(昭和18年)6月に西部軍兵器部長に転じ[1]、1945年(昭和20年)2月1日に西部軍管区兵器部長兼第16方面軍兵器部長を経て[3]、7月16日に陸軍兵器行政本部附陸軍兵器学校附となった[4]。
脚注 編集
参考文献 編集
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。