錦織博

日本のアニメ演出家、アニメ監督、脚本家

錦織 博(にしきおり ひろし、1966年5月20日 - )は、日本男性アニメーション演出家アニメーション監督脚本家京都府出身[1]日本アニメーションを経てフリーとなってからは数多くの作品に演出・監督として参加している[1]

にしきおり ひろし
錦織 博
生年月日 (1966-05-20) 1966年5月20日(57歳)
出生地 日本の旗 日本京都府
職業
ジャンル テレビアニメアニメ映画
主な作品
映画
ザ☆ドラえもんズ ドキドキ機関車大爆走!
ドラミ&ドラえもんズ 宇宙ランド危機イッパツ!
ザ☆ドラえもんズ ゴール!ゴール!ゴール!!
マジック・ツリーハウス
劇場版 とある魔術の禁書目録 -エンデュミオンの奇蹟-
モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ
テレビアニメ
天使になるもんっ!
かいけつゾロリ
あずまんが大王
とある魔術の禁書目録
忘却の旋律
アルゴナビス from BanG Dream!
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経歴 編集

小学校の高学年の頃、劇場版『銀河鉄道999』のムックに載っていたスタッフ構成やアニメの機材、制作手法の記事を見てアニメの技術的な部分に関心を持つ[1]。劇場版2作目の『さよなら銀河鉄道999』が公開されると、金田伊功の画集『金田Special』に掲載された同映画の原画に衝撃を受けて作画美術にも興味を持つようになる。また同時期に出ていた安彦良和杉野昭夫などの画集も買う[1]

中学生になると『銀河鉄道999』の原作の完結とともにアニメへの興味も失せ、しばらくアニメから離れる[1]

高校時代、美術部の友人に付き合って買った宮崎駿の『風の谷のナウシカ』のコミックスの絵が好きだった『ルパン三世 カリオストロの城』や『未来少年コナン』の絵と同じだと気づき、アニメへの興味が再燃する[1]。しかし、その頃はちょうど角川映画が盛り上がっていた時期で、アニメより実写映画の方に興味があった。相米慎二大森一樹のファンになり、日本映画学校に行って映画を学ぼうと考えていた[1]。しかし、近所の公民館で無料上映されていたポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』に衝撃を受け、「アニメで映画をやろう」と決意して東京デザイナー学院に入る[2]。その前に「専門学校に行くよりアニメスタジオで働き始める方がいいのではないか」と考え、友永和秀のいたテレコム・アニメーションフィルム小林治後藤真砂子のいた亜細亜堂の採用試験を受けるが、どちらも不採用だった[2]。専門学校卒業後、ガイナックスを訪れて演出や監督をやりたいと申し出るが、応対した村濱章司(のちにGONZOの社長となった)に「ウチはみんな監督をやりたいと思っているから別のところに行った方がいいよ」と断られる[2]

撮影スタジオの高橋プロダクションを経て、日本アニメーションに入社[1]。『ちびまる子ちゃん』の亜細亜堂の制作協力回で演出助手を務める[3]。社長が「東映アニメーションは少ない(動画)枚数で作品を作っている。ウチも2000枚台で作ろう」と言い出したため、敵情視察のために東映アニメ作品を片っ端から見る[3]。そして『きんぎょ注意報!』の佐藤順一幾原邦彦担当回の革新的な演出を見て、「演出家としてテレビアニメの20数分を構成することに対して自分とは違う意識を持っている人たちがいる」と驚き、同じ老舗でも冒険を許さない空気のあった当時の日本アニメーションと違い東映アニメーションではこんな冒険的なことをやっているんだと衝撃を受けた[3]。日本アニメーションからの退社を決め、少し前に辞めていたプロデューサーの松土隆二が設立したベガエンタテイメントを手伝うようになる[3]。そして同社と付き合いのあったシンエイ動画の『ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!』に演出として参加することになり、その後、『ザ☆ドラえもんズ』の短編映画やテレビスペシャルの監督を担当するようになった[3]

人物 編集

『銀河鉄道999』、出﨑統監督の劇場版『エースをねらえ!』、杉井ギサブロー監督の『タッチ』は特別な位置にある作品[2]。『銀河鉄道999』は原作漫画・アニメすべてのファンで、アニメに興味を持つきっかけにもなった[1]。後者2本は、作品の中で時間をコントロールするという意識を強く感じ、現在の自分の仕事の根幹になっている[2]

エピソード 編集

  • 幾原邦彦に一方的に好かれている(幾原本人談)。『少女革命ウテナ』第5話「光りさす庭・フィナーレ」での時間経過を無視した奇抜な演出を幾原がいたく気に入ったためと思われる。幾原は、その絵コンテを見て「錦織君は自分と感性が近いかも」と他のスタッフに漏らした[4]。知り合ったきっかけは、幾原が東映を離れてオリジナル作品を作っていると聞きつけた錦織が押し掛け、初対面の幾原に誘われて『ウテナ』に演出で参加したこと[3]

作品リスト 編集

テレビアニメ 編集

1988年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2020年
2021年
2023年
2024年
2025年

劇場アニメ 編集

1997年
2000年
2001年
2012年
2013年
2017年
2018年
2019年
2023年

OVA 編集

2001年
2008年

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i 宮昌太郎 (2022年8月1日). “錦織博① アニメの作り方に興味を持った 劇場版『銀河鉄道999』”. Febri. 一迅社. 2022年10月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e 宮昌太郎 (2022年8月3日). “錦織博② 時間の流れを初めて意識させられた『タッチ』”. Febri. 一迅社. 2022年10月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 宮昌太郎 (2022年8月5日). “錦織博③ 同時代の監督たちと出会うきっかけ『ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!』”. Febri. 一迅社. 2022年10月31日閲覧。
  4. ^ 『少女革命ウテナ』LD 7巻解説書より
  5. ^ あずまんが大王 :作品情報”. アニメハック. 2020年9月1日閲覧。
  6. ^ GAD GUARD :作品情報”. アニメハック. 2020年6月1日閲覧。
  7. ^ 奥さまは魔法少女 :作品情報”. アニメハック. 2020年10月13日閲覧。
  8. ^ 天保異聞 妖奇士 :作品情報”. アニメハック. 2020年6月20日閲覧。
  9. ^ スクールガールストライカーズ Animation Channel :作品情報”. アニメハック. 2020年9月2日閲覧。
  10. ^ されど罪人は竜と踊る :作品情報”. アニメハック. 2020年8月10日閲覧。
  11. ^ TRUMPシリーズTVアニメ「デリコズ・ナーサリー」公式サイト”. 2023年9月10日閲覧。
  12. ^ ハニーレモンソーダ:テレビアニメが+Ultraで2025年1月放送”. まんたんウェブ. MANTAN (2024年3月11日). 2024年3月11日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集