長瀬武平

日本の陸軍軍人

長瀬 武平(ながせ ぶへい、1884年明治17年)2月20日[1] - 1955年昭和33年)3月8日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功二級[2]

長瀬 武平
生誕 1884年2月20日
日本の旗 日本 富山県
死没 (1955-03-08) 1955年3月8日(71歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1906年 - 1940年
1945年
最終階級 陸軍中将
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経歴 編集

1884年(明治17年)に富山県で生まれた[1]陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第30期卒業[1]1930年(昭和5年)、陸軍歩兵大佐に進級し[2]近衛師団司令部附として明治大学に配属された[2]1932年(昭和7年)に歩兵第17連隊長に転じ[2]、中国大陸に出動。熱河作戦、関内作戦に参加し、戦果を収めた[1]1935年(昭和10年)に陸軍少将に進級し[2]佐世保要塞司令官に就任[1]

1936年(昭和11年)に歩兵第8旅団長に転じ[1]日中戦争に出動[1]。泥濘の津浦線沿線を南下し[1]黄河を渡河[1]山東省に進み[1]台児荘の戦い徐州会戦に参加[1]、特に徐州会戦では日本軍主力として大なる戦果を収めた[1]1938年(昭和13年)に陸軍中将進級と同時に留守第12師団長に親補され[1]1940年(昭和15年)8月1日に待命[2]8月31日予備役に編入された[1]1945年(昭和20年)3月8日に召集され、西部軍管区司令部附に発令された[3]4月15日対馬要塞司令官に就任し[1]、終戦を迎えた。

脚注 編集

参考文献 編集

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026