閻沢溥
閻 沢溥(えん たくふ)は、中華民国の政治家・銀行家。字は庭瑞。
閻 沢溥 | |
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プロフィール | |
出生: | 1879年(清光緒5年) |
死去: |
1932年(大同元年) 満州国奉天省奉天市 |
出身地: | 清直隷省天津府天津県 |
職業: | 政治家・銀行家 |
各種表記 | |
繁体字: | 閻澤溥 |
簡体字: | 阎泽溥 |
拼音: | Yán Zépǔ |
ラテン字: | Yen Tze-p'u |
和名表記: | えん たくふ |
発音転記: | イエン ゾープー |
事績 編集
最初は、洮南屯墾局総弁をつとめた。後に張作霖の奉天派に属し、吉林・黒竜江榷運局局長、奉天賑務局局長、山東賑務督弁を歴任した。[1][2]
1927年(民国16年)6月、北京政府の潘復内閣で財政総長等に就任した。なお閻沢溥は、北京政府最後の財政総長である。翌年6月の張作霖敗北後に、閻も張に随従して奉天に引き返した。その途中、張が関東軍に爆殺されたが(張作霖爆殺事件)、閻は難を逃れた。後に下野し、実業家となる。[1][2]
1931年(民国20年)9月に満州事変(九・一八事変)が発生した後に、閻沢溥は奉天辺業銀行(東三省辺業銀行とも)総裁に就任した。[3]翌年の満州中央銀行成立後に辺業銀行は廃止されたため、閻は再び下野した。その後まもなく、奉天市において日本軍により銃殺された。享年54。[1][2]
注 編集
参考文献 編集
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 「閻沢溥」(財政部財政史料陳列室・財政人物索引) 中華民国財政部ホームページ
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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