陳 新甲(ちん しんこう、? - 1642年)は、末の官員、将軍。

生涯 編集

四川長寿の人。定州知県などを歴任した。

崇禎元年(1628年)、刑部員外郎となった。崇禎7年(1634年)、右僉都御史に抜擢された。崇禎13年(1640年)、兵部尚書に上り、傅宗龍孫伝庭らの将軍を任用した。

崇禎15年(1642年)、松錦の戦いで明軍が大敗し、洪承疇に降ると、過失を糾弾され、辞任を願い出たが許されなかった。崇禎帝はひそかに陳新甲を講和にあたらせようとした。しかし陳新甲の家童が機密を誤って漏らし、これが群臣の激昂を買った。陳新甲はスケープゴートとして獄に下され、斬首刑に処された。

参考資料 編集