雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた

雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』は清水邦夫作の舞台作品。蜷川幸雄の演出により1982年日生劇場2009年シアターコクーンで上演された。

概要 編集

1969年、清水脚本、蜷川演出による体制批判的な作品「真情あふるる軽薄さ」は学園紛争当時の若者に支持され、会場のアートシアター新宿文化は連日超満員だったという[1]。以降、清水脚本、蜷川演出のコンビによる公演が続き、やがて蟹江敬三石橋蓮司とともに劇結社「櫻社」が結成された(1972年)。しかし、蜷川が商業演劇である「ロミオとジュリエット」(1974年5月、日生劇場)[2]の演出を引き受けたことがきっかけで、「櫻社」は解散する。

その8年後、清水・蜷川コンビが復活し、上演されたのが本作である。

劇中でシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」が演じられる。また、久生十蘭作の「ハムレット」(1946年)へのオマージュでもある[3]

あらすじ 編集

深夜のデパートで「ロミオとジュリエット」劇の稽古をする人々 ― 吹雪景子と「バラ戦士の会」のメンバーらである。

太平洋戦争の直前、日本海沿岸の地方都市にあるこのデパートに少女歌劇団が結成され、ヒロイン・吹雪景子と男役・弥生俊が人気を集めていた。しかし、空襲のため団員の半数は死亡、あとの半数もバラバラになってしまった。弥生俊は亡くなり、景子は頭に負った傷のせいで、その後の人生を「夢のなかに」生き続けることになった。30数年間、景子を支えてきたのが、かつての歌劇団ファン「バラ戦士の会」の男たちである。彼等は新聞広告を出し、歌劇団を再現しようと計画していた。

そこへ、弥生俊は生きているという連絡が入る。やがて俊と妹(理恵)が現れるが、俊は盲目となっていた…。

キャスト 編集

1982年

淡島千景久慈あさみ甲にしき汀夏子佐藤慶 他

「三十人のジュリエット」の多くを、引退し芸能活動とは無縁だった宝塚歌劇団出身者が演じた[4]
2009年

鳳蘭三田和代真琴つばさ中川安奈毬谷友子古谷一行 他 

文献 編集

  • 清水邦夫『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた/エレジー』(ハヤカワ演劇文庫
  • 川崎賢子『宝塚というユートピア』(岩波新書、2005年)

注釈 編集

  1. ^ 扇田昭彦「日本の現代演劇」P92-94
  2. ^ 主演は市川染五郎(後の松本幸四郎)と中野良子。当時、小劇場関係者の間には、商業演劇に関わることを「裏切り」とみなす雰囲気があったという(扇田前掲書P102-103)。
  3. ^ 川崎前掲書P191
  4. ^ 川崎前掲書P192-193

関連項目 編集