青山 幸篤(あおやま よしあつ)は、江戸時代中期の丹後国宮津藩の世嗣。官位従五位下播磨守

 
青山幸篤
時代 江戸時代中期
生誕 享保10年(1725年
死没 安永7年7月25日1778年8月17日
官位 従五位下播磨守
丹後宮津藩世嗣
氏族 青山氏(幸成系)
父母 父:青山幸秀、母:本多康慶の娘
兄弟 金次郎、藤七、幸道幸篤幸充忠高相馬恕胤正室、幸弼
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略歴 編集

宮津藩初代藩主・青山幸秀の四男として誕生した。兄2人が早世し、同年生まれの三兄・幸道は庶子だったため、嫡子として育てられる。寛保元年(1741年)、徳川吉宗に拝謁し叙任するが、延享元年(1744年)に廃嫡された。代わって幸道が嫡子となった。