青木要三

日本のサッカー選手

青木 要三(あおき ようぞう、1929年4月10日 - 2014年4月23日没、享年85歳[要出典])は、日本サッカー選手。

青木 要三
名前
カタカナ アオキ ヨウゾウ
ラテン文字 AOKI Yozo
基本情報
生年月日 1929年4月10日[1]
出身地 日本の旗 日本
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
千代田生命保険[1]
代表歴
1955 日本の旗 日本 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

1955年ビルマタイ王国に遠征したサッカー日本代表に招集され、1月5日ラングーンで行なわれたビルマ(体協会長チーム)戦[1]、および、バンコクで行なわれた在タイ全華人戦に出場した[2]。なお、前者は2007年に国際Aマッチとして認定された[3]

1967年(昭和42年)には、早稲田大学監督として釜元・森らを率いて天皇杯を制し、関東大学リーグ・大学選手権とあわせて三冠を達成した。しかし、当時勤めていた千代田生命にはほんの一部の人間にしか監督をしていることを知らせておらず、インタビューなどにも一切応ぜず、表舞台にはほとんど出なかった。一度だけテレビのサッカー中継で解説者として出演している。[要出典]

国際試合 編集


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1955 1 0 1 0 2 0
通算 1 0 1 0 2 0

脚注 編集

  1. ^ a b c 国際親善試合”. 日本サッカー協会. 2016年8月21日閲覧。
  2. ^ 代表TIMELINE 国際親善試合[1955.01.18] バンコク 招集メンバー”. 日本サッカー協会. 2013年6月19日閲覧。
  3. ^ 【日本代表チームデータベース検討委員会】日本代表戦の検証と認定結果(07.06.15)”. 日本サッカー協会 (2007年6月15日). 2013年6月21日閲覧。

外部リンク 編集