靖康の変

北宋が金に敗れて華北を失った事件

靖康の変(せいこうのへん)は、1126年北宋)が、女真族(後世の満洲族の前身)を支配層に戴くに敗れて華北を失った事件。靖康は当時の宋の年号である。

靖康の変
現在の河南省の地図における開封

戦争宋金戦争
年月日1125年9月 - 1127年3月
場所:中国、華北
結果北宋の滅亡、南宋の成立
交戦勢力
北宋
指導者・指揮官
欽宗 太宗
粘没喝

この事件で宋室の皇女たち(4歳から28歳)全員[注釈 1]が連行され、金の皇帝・皇族・将兵らの妻妾にされるか、官設妓楼洗衣院」に入れられて娼婦となった[1]。宋の皇帝(欽宗)と太上皇(徽宗)の二人も俘虜になった。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 開封陥落の際に死亡した3人(いずれも徽宗の皇女)を除く。

出典 編集

  1. ^ 『靖康稗史箋證』巻3

関連項目 編集

外部リンク 編集