風俗喜劇(ふうぞくきげき、風習喜劇英語: comedy of manners)とは、古代であれば「ほらふき兵士(Miles Gloriosus)」、イングランド王政復古期であれば「気取り屋(Fop)、「道楽者(Rake)」、あるいは若作りをした老人といったストックキャラクターを多く使って、社会の階級の風習・気取りを風刺した喜劇のこと。話の筋は禁断の情事などのスキャンダルに関することが多いが、ひねりのきいた、しばしば卑猥な会話ほどは重要でないのが一般的である。

古代 編集

風俗喜劇は古代ギリシアの劇作家メナンドロスが最初に「新喜劇」の中で発展させたものである。メナンドロスのスタイル、凝った筋、ストックキャラクターは古代ローマの劇作家プラウトゥステレンティウスらによって模倣された。プラウトゥスたちの喜劇はルネサンス期に広く有名でコピーされた。

フランス 編集

もっとも有名な風俗喜劇作家といえば、フランスの劇作家モリエールであろう。モリエールは『お嫁さんの学校(L'école des femmes)』(1662年)、『人間嫌い(Le Misanthrope)』(1666年)、そして一番知られている『タルチェフ(Tartuffe)』(1664年)で、アンシャン・レジームの偽善とうぬぼれを風刺した。

英国 編集

 
ウィリアム・コングリーヴ『世の習い』初版の表紙(1700年頃)

ウィリアム・シェイクスピアの『空騒ぎ』を最初のイングランドの風俗喜劇(風習喜劇)と見なすこともできるが、それが全盛を誇ったのは王政復古期(1660年 - 1685年または1688年)だった。ベン・ジョンソンの「気質喜劇」に影響を受けた「王政復古期喜劇(Restoration comedy)」はウィットで観客の心を動かし、時事を風刺した。代表的な作品としては、ウィリアム・ウィチャリー(William Wycherley)の『田舎女房(The Country Wife)』(1675年)、ウィリアム・コングリーヴの『世の習い(The Way of the World)』(1700年)がある。18世紀後期には、オリヴァー・ゴールドスミスは『負けるが勝ち、または一夜の取り違え(She Stoops to Conquer)』(1773年)で、リチャード・ブリンズリー・シェリダンは『恋がたき(The Rivals)』(1775年)、『悪口学校(The School for Scandal)』(1777年)で、このジャンルをリバイバルさせた。

凝った作為的な筋立てと警句風の台詞の伝統は、アイルランドの劇作家オスカー・ワイルドに受け継がれ、『ウィンダミア卿夫人の扇』(1892年)、『真面目が肝心』(1895年)が生まれた。20世紀になっても、ノエル・カワードが『枯草熱』(1925年)を書き、サマセット・モームP・G・ウッドハウスの作品、「ブリティッシュ・シットコム」が現れた。最近ではコニー・ウィリスなどの小説家が現代にこのジャンルを持ち込んでいる。

関連項目 編集

参考文献 編集