高山城 (安芸国)

日本の広島県三原市にあった城

高山城(たかやまじょう)は、広島県三原市本郷町にあった日本の城。城跡は国の史跡に指定されている。

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高山城
広島県
高山城本丸跡
高山城本丸跡
別名 妻高山城、古高山城
城郭構造 山城
天守構造 建造されず
築城主 小早川茂平
築城年 建永元年(1206年
主な改修者  
主な城主 小早川氏
廃城年 天文21年(1552年
遺構 石垣、堀、土塁
指定文化財 国の史跡
位置 北緯34度25分10.0秒 東経132度59分2.3秒 / 北緯34.419444度 東経132.983972度 / 34.419444; 132.983972
地図
安芸高山城の位置(広島県内)
安芸高山城
安芸高山城
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概要 編集

 
新高山城(左)・高山城(右)

土肥実平は、源頼朝の元で平家討伐に功績を挙げ、吉備三国(備前備中備後)の惣追捕使(守護)に任ぜられた。

実平の子遠平は、土肥郷の地名である小早川氏を称したが、承久の乱で戦功を挙げて安芸国沼田荘を与えられた。

高山城は小早川氏の居城として建永元年(1206年)、遠平の孫・小早川茂平により築かれた。その後、小早川氏は沼田小早川氏と竹原小早川氏に分かれたが、高山城は沼田小早川氏(本家)の居城であった。    

天文10年(1541年)、竹原小早川家の当主小早川興景が継嗣なく早世したため、毛利元就の三男徳寿丸(小早川隆景)を養子に迎えた。隆景は天文13年(1544年)同家の当主となる。一方、沼田小早川家の当主小早川繁平は若年のうえ病弱であったので(失明していたとされる)、隠居に追い込まれ、天文19年(1550年)隆景が沼田小早川家をも継ぐこととなり、両家は統合された。

隆景は天文21年(1552年)、対岸の新高山城に居城を移したため廃城となった。

関連項目 編集

外部リンク 編集