「高崎市歌」(たかさきしか)は、群馬県高崎市市歌である。作詞・黒崎親厚、補作・岡田刀水士、作曲・塚田佳男、補作曲および編曲・浜欽哉、阿部延。

高崎市歌

市歌の対象
高崎市

作詞 黒崎親厚
岡田刀水士(補作)
作曲 塚田佳男
浜欽哉、阿部延(補作曲・編曲)
採用時期 1961年7月18日[1]
言語 日本語
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解説 編集

1961年(昭和36年)に高崎市の市制60周年を記念し、歌詞の懸賞募集を行った。応募総数は179篇で入選作を詩人の岡田刀水士が補作したものを採用し、続けて実施された作曲部門の募集では36篇の応募作から当時17歳で県立高崎高校の在校生であった塚田佳男の作品が採用となり[2]、高崎市民音楽連盟常任理事の浜欽哉らが編曲した。

発表演奏は7月18日の市制60周年記念式典で行われ[2]、高松町の高崎市庁舎前に歌碑が建てられている。高崎市は平成の大合併において群馬郡倉渕村箕郷町群馬町榛名町および多野郡新町吉井町を編入合併したが、合併後の市歌については「高崎市の制度に統一する」と定められたため[3]、従来通り「高崎市歌」が継続使用されている。編入された町村では群馬町と榛名町が町歌[4][5]、新町と吉井町が町民愛唱歌(イメージソング)を制定しており[4][6]、その他の町村が制定していた音頭や小唄等を含めて住民の要望がある場合「地域の歌」として存続させる旨の申し合わせが行われた。

参考文献 編集

  • 根岸省三『高崎のサービス業と花街史』(高崎市社会教育振興会、1967年) NCID BN13409238

出典 編集

  1. ^ ○高崎市歌”. 高崎市例規集. 高崎市役所 (1961年7月18日). 2023年5月13日閲覧。
  2. ^ a b 根岸(1967), p249
  3. ^ 松浦幸雄 (2004年11月25日). “合併協定項目18 慣行の取扱いについて”. 高崎地域合併協議会. 総務省・合併デジタルアーカイブ. 2023年5月13日閲覧。
  4. ^ a b 第3回合併協議会 合併協定項目資料”. 高崎地域合併協議会. 総務省・合併デジタルアーカイブ (2004年11月25日). 2023年5月13日閲覧。
  5. ^ 第2回合併協議会 合併協定項目資料”. 高崎町・榛名町合併協議会. 総務省・合併デジタルアーカイブ (2006年2月28日). 2023年5月13日閲覧。
  6. ^ 第2回合併協議会 合併協定項目資料”. 高崎町・吉井町合併協議会. 総務省・合併デジタルアーカイブ (2008年7月22日). 2023年5月13日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集