高橋 善道(たかはし の よしみち、生没年不詳)は、平安時代中期の官人官位正六位上志摩守

経歴 編集

一条朝長徳4年(998年志摩守に任ぜられる。志摩守在任中の長保2年(1000年)に、善道は供御所を除いて院宮家荘園を禁止すべき宣旨があるとして、勧学院領荘園を整理しようとする。蔵人頭藤原行成からこのことを聞いた左大臣藤原道長は、以下理由にて善道の行為を不当として免判(国司が荘園の租税不課を認める文書を発行すること)を進めるように指示した[1]

  • この荘園は格前のもの(延喜の荘園整理令より前に成立した荘園)である。
  • 勧学院のことに関しては、たとえ道理にかなわなくても、便宜をはかるべきである。

志摩守の官職は善道が補されて以来、代々高橋氏が補職されている [2]

官歴 編集

脚注 編集

  1. ^ 『権記』長保2年8月4日条
  2. ^ 三重県警察本部 1964, p. 78.
  3. ^ 『大間成文抄』第5

参考文献 編集

  • 宮崎康充編『国司補任 四』続群書類従完成会 、1990年、53p
  • 『日本の歴史: 平安貴族』讀売新聞社 、1968年、214p
  • 『三重県警察史 - 第 1 巻』三重県警察本部、1964年、78p