高関 健(たかせき けん、1955年4月21日[1] - )は、日本クラシック音楽指揮者東京藝術大学指揮科元教授[2]

高関 健
生誕 (1955-04-21) 1955年4月21日(69歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
学歴 桐朋学園大学
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

経歴・人物 編集

東京都出身。幼少期にピアノヴァイオリンを学ぶ。桐朋女子高等学校音楽科を卒業。桐朋学園大学在学中には、齋藤秀雄秋山和慶小澤征爾森正山本七雄らに師事し、指揮法を学んだ。1978年に桐朋学園大学を卒業[3]した後ベルリン・フィル・オーケストラ・アカデミー留学し、1979年3月から1985年12月までカラヤンアシスタントを務める[1]

1981年タングルウッド音楽祭ではバーンスタイン小澤征爾クルト・マズアアンドレ・プレヴィンイーゴリ・マルケヴィチらの指導を受ける。またこの時期にボストン交響楽団のオペラ公演で副指揮者を担当した(演目はムソルグスキーボリス・ゴドゥノフ)。同年10月、ノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演し、ヨーロッパデビュー[2]。その後、1983年オスロ・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会に出演。

1985年1月に渡邉暁雄の推薦を受けて、日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を指揮し、日本デビューを果たした[1]1986年渡邉暁雄の後任として広島交響楽団音楽監督に就任。1990年まで務めた[1]。以来、日本国内の主要オーケストラのポストを歴任。

海外では、ウィーン交響楽団オスロ・フィルハーモニー管弦楽団クラングフォーラム・ウィーンベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団デンマーク国立放送交響楽団オーストリア放送交響楽団ベルリン・ドイツ交響楽団など、ヨーロッパの主要なオーケストラと共演。1999年にはプラハ交響楽団2000年にはケルン放送交響楽団にも客演している。

2007年に放送されたNHK大河ドラマ風林火山のテーマ音楽のサントラ録音の際には、NHK交響楽団を指揮した。2011年2月新国立劇場に初登場し、團伊玖磨歌劇夕鶴」を指揮した[4]

緻密で徹底的なスコアの分析からスケールの大きな音楽を作りだす知性派指揮者[5]

ポスト 編集

受賞歴 編集

  • 1977年 カラヤン指揮者コンクール・ジャパン優勝[1]
  • 1983年 ニコライ・マルコ記念国際指揮者コンクール第2位[1]
  • 1984年 ハンス・スワロフスキー国際指揮者コンクール優勝[1]
  • 1996年 第4回渡邉暁雄音楽基金音楽賞[3]
  • 2003年 群馬県功労者表彰
  • 2011年 第10回齋藤秀雄メモリアル基金賞[3]
  • 2019年 第50回サントリー音楽賞[9]

脚注 編集

注釈
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j 世界の指揮者名鑑866 2010, p. 233.
  2. ^ a b c d 高関 健”. simc.jp. simc.jp. 2021年12月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e 常任指揮者 高関健”. 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団公式HP. 2022年11月27日閲覧。
  4. ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
  5. ^ a b c 高関健 プロフィール”. JAPAN Arts. アーティスト. ジャパン・アーツ. 2022年11月27日閲覧。
  6. ^ 札幌交響楽団60年史デジタルアーカイブ 2022, p. MEMBERS,歴代メンバー.
  7. ^ 首席指揮者 高関健”. 富士山静岡交響楽団公式HP. 楽団員紹介. 富士山静岡交響楽団. 2022年11月26日閲覧。
  8. ^ 常任指揮者/高関 健”. 仙台フィルハーモニー管弦楽団公式HP. 指揮者. 2023年4月1日閲覧。
  9. ^ 受賞者 高関 健(指揮)が語る”. Suntory Hall. アーティスト・インタビュー. 公益財団法人サントリー芸術財団. 2022年11月27日閲覧。

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

先代
渡邉暁雄
広島交響楽団
音楽監督
1986 - 1990
次代
田中良和
先代
豊田耕児
群馬交響楽団
音楽監督
1993 - 2008
次代
沼尻竜典