鬼﨑裕司

日本の元プロ野球選手
鬼崎裕司から転送)

鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、1983年4月7日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手内野手)、コーチ野球解説者

鬼﨑 裕司
埼玉西武ライオンズ 三軍内野守備走塁コーチ #94
2012年3月10日、西武ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県佐賀市
生年月日 (1983-04-07) 1983年4月7日(41歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2008年4月5日
最終出場 2016年8月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導歴
  • 埼玉西武ライオンズ (2018 - 2021, 2023 - )

3歳年上の実兄は社会人野球かずさマジックに1期生として在籍した鬼崎智史

経歴 編集

高校・大学時代 編集

小学1年生のとき、兄の影響を受けて野球を始める[1]

1999年佐賀県立佐賀工業高等学校へ進学し、遊撃手に転向。高校時代は甲子園出場はなかった。

2002年関東学院大学経済学部へ進学すると、春からベンチ入り。秋からレギュラーをつかんだ。

2003年全日本大学野球選手権大会に出場するなど大舞台の経験を積んだ。

2005年、春季リーグでMVPを獲得し、巧守のドラフト候補として名前が挙がった。しかしこの時点では指名されなかった。4年時は1年下の原拓也と二遊間を組んで、遊撃手で春秋と原ともにベストナイン。

社会人時代 編集

2006年社会人野球富士重工業に入団。夏には1番・遊撃手のレギュラーを獲得。第77回都市対抗野球大会1回戦(対日産自動車戦)では敗戦したものの2安打を放つ。そして秋の第33回社会人野球日本選手権大会では全試合で1番・遊撃手としてチームの16年ぶり2度目の優勝に貢献、大会優秀選手(遊撃手部門)を獲得した。

2007年、2年連続で第78回都市対抗野球大会、第34回社会人野球日本選手権大会に出場した。同年11月19日のドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから3巡目指名を受け、推定契約金7000万円・年俸1200万円で契約し、入団。背番号は46

ヤクルト時代 編集

2008年オープン戦で結果を残すことができず2月25日に早々と二軍降格が決定。結局開幕一軍入りは果たせなかったが、教育リーグを経て、4月4日に川島慶三と入れ替えで、初めて一軍へ昇格。4月5日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)でプロ初出場。9月27日に開幕したハワイ・ウィンターリーグでは高井雄平とともに派遣され、ワイキキ・ビーチボーイズに所属した。

 
ヤクルト時代(2010年4月3日、明治神宮野球場)

2009年、開幕を二軍で迎え、ファームでも打率.241・3本塁打・37打点に終わったが、9月19日に昇格。23日に初先発出場すると、プロ初安打と初打点を含む4打数3安打2打点の活躍でヒーローインタビューを受けた。その後も起用され、最終的に15試合の出場ながら打率.356・2本塁打・8打点で、球団初のクライマックス・シリーズ出場に貢献した。同年10月3日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でプロ初本塁打を放った。

2010年、開幕一軍入りを果たす[2]。4月3日の対横浜戦では、一軍で初めてとなる三塁手としての出場を記録する。このシーズンは出場試合数、打席数ともヤクルト在籍時では最多だったものの、レギュラー奪取には至らなかった。

2011年1月23日に入籍[3]。5月24日、小野寺力とのトレード埼玉西武ライオンズへ移籍することが発表された[4]。背番号は56[5]

西武時代 編集

2011年8月4日の対楽天戦で移籍後初出場。西武での出場は2試合で終わる。

2012年、開幕一軍入りを果たす[6]。4月8日の対ソフトバンク戦で一軍で初めて二塁の守備についた[7]。9月22日の対日本ハム戦、1点差を追う8回に無死一・二塁でホセ・オーティズの代打で登場し、2ストライクと追い込まれた状況で送りバントを決め、その後チームが逆転したということから移籍後初のお立ち台に上がり、試合後に「根性でバントした」と話した[8]

2013年、チームの遊撃手として開幕戦以降数試合は2年目の永江恭平が、その後4,5月は主に新人の金子侑司が先発出場を重ねたが自身は主に7月からシーズン終了まで先発出場を重ね、最終的に自己最多の105試合に出場した。11月22日に背番号が4へ変更されることが発表された[9]

2014年、4月5日の対オリックス戦で一軍では初めて一塁手としての出場。同月9日のソフトバンク戦で右すねに自打球を当て、打撲のため11日登録を抹消される[10]。しかし実戦復帰は大幅に遅れ、一軍での出場は8月22日になってからであった。実際には骨挫傷の重傷であったという[11]

2015年、59試合に出場も打率が.196と前年を下回った。11月20日に背番号が5に変更されることが発表された[12]

2016年、打撃面では故障前の姿を取り戻しつつあったが、自慢の守備で苦しみプロ入り以降ワーストとなる12失策を記録した。

2017年、ルーキーの源田壮亮が遊撃手として全試合フルイニング出場したことなどを背景に、プロ入り後初めて一軍出場なしに終わった。10月6日に球団から戦力外通告を受け[13]、20日に任意引退公示された[14]

指導者時代 編集

2017年10月21日、2018年より埼玉西武ライオンズの二軍育成担当を務めることが発表された[15]

2020年、選手教育担当兼若獅子寮副寮長に配置転換。

2021年、二軍内野守備走塁コーチに配置転換[16]

2022年からはライオンズアカデミーのコーチに就任する傍ら、フジテレビTWOの野球解説者として活動する。

2023年は三軍守備コーチとしてコーチに復帰[17]2024年からは三軍内野守備走塁コーチを務める[18]

選手としての特徴・人物 編集

俊足・巧打・堅守が持ち味の内野手[19][20]。ヤクルト時代は一軍と二軍を行ったり来たりしていたが、西武に移籍後は出番を掴んだ。完全にレギュラー定着とはならなかったが、縁の下の力持ちとしてチームに欠かせない存在であった[20]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2008 ヤクルト 3 4 4 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2009 15 50 45 5 16 2 0 2 24 8 0 0 1 0 4 2 0 3 0 .356 .408 .533 .941
2010 60 96 87 9 17 3 0 1 23 5 0 1 3 0 5 0 0 25 0 .195 .239 .264 .503
2011 8 10 9 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .000 .100 .000 .100
西武 2 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
'11計 10 13 12 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 7 0 .000 .071 .000 .071
2012 57 22 17 4 2 0 1 0 4 0 0 0 3 0 2 0 0 4 0 .118 .211 .235 .446
2013 105 301 271 29 72 7 3 2 91 24 6 2 13 2 12 0 3 73 4 .266 .302 .336 .638
2014 37 96 85 10 19 5 0 0 24 5 1 0 3 0 8 0 0 29 1 .224 .290 .282 .573
2015 59 124 107 9 21 5 0 0 26 6 1 0 6 1 10 0 0 23 1 .196 .263 .243 .508
2016 79 216 190 30 48 8 2 1 63 17 1 0 9 0 17 0 0 53 0 .253 .314 .332 .646
通算:9年 425 922 818 99 195 30 6 6 255 65 9 3 38 3 59 2 3 219 6 .238 .291 .312 .603

年度別守備成績 編集


一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2008 - - - 2 2 1 0 0 1.000
2009 - - - 14 24 58 2 6 .976
2010 - - 2 0 2 0 0 1.000 53 32 81 5 15 .958
2011 - - 5 0 0 0 0 1.000 4 1 8 2 2 .818
2012 - 30 20 23 1 4 .977 12 1 5 0 1 1.000 11 2 8 1 1 .909
2013 - 38 33 39 1 8 .986 20 6 7 0 0 1.000 84 99 195 2 41 .993
2014 4 29 1 0 3 1.000 1 0 2 0 0 1.000 2 2 1 0 0 1.000 34 53 74 2 20 .984
2015 2 3 0 0 0 1.000 - 15 2 2 0 0 1.000 47 58 106 5 21 .970
2016 9 22 3 1 1 .962 2 1 1 0 1 1.000 10 6 18 5 3 .828 60 61 146 6 33 .972
通算 15 54 4 1 4 .983 71 54 65 2 13 .983 66 17 35 5 4 .912 309 332 677 25 139 .976

記録 編集

初記録

背番号 編集

  • 46(2008年 - 2011年5月23日)
  • 56(2011年5月25日 - 2013年)[注 1]
  • 4(2014年 - 2015年)
  • 5(2016年 - 2017年)[21]
  • 75(2021年)
  • 94(2023年 - )

登録名 編集

  • 鬼崎 裕司(おにざき ゆうじ、2008年 - 2012年)
  • 鬼﨑 裕司(おにざき ゆうじ、2013年 - 2021年、2023年 - )

登場曲 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ この56は、5月24日に阪神へのトレードが発表された黒瀬春樹が付けていた背番号だが、鬼崎の西武支配下選手登録公示が5月24日(同日、ヤクルト支配下選手登録抹消も公示)であるのに対し、黒瀬の西武支配下選手登録抹消公示はその翌日の5月25日(同日、阪神支配下選手登録も公示)である。このため、5月24日時点での背番号56は黒瀬と鬼崎で重複している状態となった。西武での鬼崎の背番号が発表されたのは5月25日だが、実際にどのような扱いとなっていたのかは不明である。

出典 編集

  1. ^ 75 鬼崎 裕司 選手名鑑2021”. 埼玉西武ライオンズ. 2023年12月31日閲覧。
  2. ^ “開幕時出場選手登録”. スポニチ Sponichi Annex. オリジナルの2010年3月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100327073649/https://www.sponichi.co.jp/baseball/npb/2010/kouji/kaimaku.html 2024年1月2日閲覧。 
  3. ^ 鬼崎選手、入籍! 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  4. ^ トレードのお知らせ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  5. ^ 江草仁貴投手、鬼崎裕司選手入団会見 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
  6. ^ 2012年 開幕登録選手発表! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2012年3月28日
  7. ^ 2012年4月8日 【公式戦】 試合結果 (埼玉西武vs福岡ソフトバンク) 日本野球機構
  8. ^ いまだノーヒット男がお立ち台!西武 4点差逆転0・5差 スポニチ Sponichi Annex 2012年9月23日掲載
  9. ^ 来季背番号変更のお知らせ 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2013年11月22日
  10. ^ 西武 鬼崎が登録外れる スポニチ Sponichi Annex 2014年4月11日掲載
  11. ^ @joqrlions (2019年8月5日). "2019年8月5日 1:31のツイート". X(旧Twitter)より2024年1月2日閲覧
  12. ^ 鬼崎選手 背番号変更のお知らせ 埼玉西武ライオンズ公式サイト 2015年11月20日
  13. ^ 埼玉西武ライオンズ来季選手契約について 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト 2017年10月6日掲載
  14. ^ 任意引退選手|2017年度公示 NPB日本野球機構
  15. ^ チームスタッフ配置について 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト 2017年10月21日掲載
  16. ^ “鬼﨑(佐賀工高出身)が西武2軍コーチ就任  来季、内野守備走塁担当”. 佐賀新聞LiVE. (2020年11月12日). https://www.saga-s.co.jp/articles/-/599096 2020年11月23日閲覧。 
  17. ^ 2023年度 コーチングスタッフ決定”. 埼玉西武ライオンズ (2023年10月18日). 2022年10月13日閲覧。
  18. ^ “【西武】内野守備・走塁コーチは阿部真宏が1軍、黒田哲史が2軍へ配置転換/組閣一覧”. 日刊スポーツ. (2023年10月13日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202310130000559.html 2023年10月13日閲覧。 
  19. ^ ヤクルトが3巡目鬼崎に指名あいさつ - プロ野球ドラフト会議2007”. 日刊スポーツ (2007年11月27日). 2021年4月17日閲覧。
  20. ^ a b 西武には、やはり鬼崎裕司が必要だ。その左眼は常に前だけを見ている。(氏原英明)”. Number Web (2016年5月28日). 2021年4月17日閲覧。
  21. ^ 西武鬼崎が背番変更4→5「ますます頑張らないと」”. 日刊スポーツ (2015年11月20日). 2021年10月5日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集