鮑 恂(ほう じゅん、生没年不詳)は、初の儒学者は仲孚、は西渓先生[1]本貫嘉興府崇徳県

生涯 編集

臨川県の呉澄に『易経』の講義を受けた。後至元元年(1335年)、進士に及第した。至正年間、推薦により温州路学正に任じられた。ほどなく翰林院に召し入れられたが、就任しなかった。洪武4年(1371年)、明代初の科挙が行われることとなり、同考官として召し出された。試験が終わると、辞去した。洪武15年(1382年)、礼部主事の劉庸に推薦されて上京した。このとき鮑恂は80歳を過ぎており、顧問の座を賜った。翌日、文華殿大学士に任じられたが、老病のため固辞し、故郷に帰った。

著書に『大易挙隅』3巻[2]・『西渓漫稿』4巻[3]があった。

脚注 編集

  1. ^ 『宋元学案』巻92
  2. ^ 明史』芸文志一
  3. ^ 黄虞稷『千頃堂書目』巻17

参考文献 編集

  • 『明史』巻137 列伝第25