鱒沢駅

岩手県遠野市宮守町下鱒沢にある東日本旅客鉄道の駅

鱒沢駅(ますざわえき)は、岩手県遠野市宮守町下鱒沢にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)釜石線である。

鱒沢駅[* 1]
駅出入口(2023年10月)
ますざわ
Masuzawa
柏木平 (2.4 km)
(2.8 km) 荒谷前
地図
所在地 岩手県遠野市宮守町下鱒沢
北緯39度18分0.72秒 東経141度23分57.48秒 / 北緯39.3002000度 東経141.3993000度 / 39.3002000; 141.3993000座標: 北緯39度18分0.72秒 東経141度23分57.48秒 / 北緯39.3002000度 東経141.3993000度 / 39.3002000; 141.3993000
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 釜石線
キロ程 33.6 km(花巻起点)
電報略号 スサ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1915年大正4年)7月30日[1]
備考 無人駅[2]
  1. ^ 1924年に宇洞駅から改称。
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歴史 編集

花巻と釜石を鉄道連絡することを目指して建設された岩手軽便鉄道により1915年(大正4年)7月30日に柏木平 - 鱒沢間延伸と共に開業した[1]。当初は762 mm特殊狭軌の軽便鉄道であった[1]。ただし、当駅は当初宇洞駅(うとうえき)として開業しており[1]、当初の鱒沢駅は当駅と隣の荒谷前駅の間に所在していた。1924年(大正13年)12月16日に初代鱒沢が中鱒沢へ改称し、同時に宇洞が鱒沢に改称した[3]。中鱒沢はその後一旦1928年(昭和3年)6月1日に廃止され、1930年(昭和5年)7月16日に貨物駅として再開業し、最終的に国有化と同時に廃止となった。

1936年(昭和11年)8月1日に国有化されて国鉄の駅となり、その後は国鉄標準の1,067 mm軌間への改軌工事が進められた[1]。しかし第二次世界大戦の戦局悪化に伴い労働力や資材が不足して改軌工事は一旦中止となった[4]。1948年(昭和23年)9月にアイオン台風によって山田線が大きな被害を受けると、三陸海岸方面への鉄道連絡を早期に回復させるために釜石線の工事が再開されることになり、12月に再着工して1949年(昭和24年)12月10日に遠野までの1,067 mmへの改軌工事が完成した[4]

年表 編集

駅構造 編集

島式ホーム1面2線の列車交換可能な地上駅で、北上駅管理の無人駅である[2]。なお、駅舎はなく、ホームへは直接構内踏切を渡る。

のりば 編集

ホーム 路線 方向 行先
入口側 釜石線 上り 花巻方面[6]
反対側 下り 釜石方面[6]

※案内上ののりば番号は割り当てられていない。

駅周辺 編集

その他 編集

  • エスペラントによる、「Lakta Vojo(ラクタ・ヴォーヨ:天の川)」という愛称がついている。

隣の駅 編集

東日本旅客鉄道(JR東日本)
釜石線
快速「はまゆり」(5・6号のみ停車)
宮守駅 - 鱒沢駅 - 遠野駅
普通
柏木平駅 - 鱒沢駅 - 荒谷前駅

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻21号 釜石線・山田線・岩泉線・北上線・八戸線 10頁
  2. ^ a b c “JR釜石線自動制御に移行 7駅が無人化 地元に不満残したまま”. 岩手日報 (岩手日報社): p.2 (1993年10月2日 夕刊)
  3. ^ a b 「地方鉄道駅設置並駅名変更」『官報』1925年1月19日(国立国会図書館デジタル化資料)
  4. ^ a b c d e f 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻21号 釜石線・山田線・岩泉線・北上線・八戸線 11頁
  5. ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、492頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  6. ^ a b JR東日本:駅構内図・バリアフリー情報(鱒沢駅)”. 東日本旅客鉄道. 2024年4月12日閲覧。

参考文献 編集

  • 白土 貞夫「岩手軽便鉄道 歴史拾遺」『鉄道ピクトリアル』No.813(2009年1月) pp.130 - 137 電気車研究会
  • 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 21号 釜石線・山田線・岩泉線・北上線・八戸線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月6日、5-11頁。 

関連項目 編集

外部リンク 編集