鷹司兼基

鎌倉時代前期の公卿。近衛基通の四男。正二位・大納言。子に静基(-1259、実相院を創建、園城寺、一身阿闍梨、静忠僧正資、権僧正)

鷹司 兼基(たかつかさ かねもと)は、鎌倉時代前期の公卿摂政近衛基通の四男。官位正二位大納言。「室町」とも号したため、この系統の鷹司家は室町家とも称する。

 
鷹司兼基
時代 鎌倉時代前期
生誕 文治元年(1185年
死没 不詳
改名 兼基→顕恵(法名)
官位 正二位大納言
主君 後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族 室町家
父母 父:近衛基通、母:寂舜/最舜法印の娘
兄弟 近衛家実、円忠、近衛道経兼基円浄静忠藤原基教、円基、仁澄、実信、尊任
静基
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経歴 編集

建久8年(1197年)に元服して、従五位上侍従に任ぜられ、翌年には正五位下に進む。関白であった父の下で急速な出世を遂げ、正治元年(1199年)に従四位下右近衛中将になると、翌2年には3度の叙階で10月26日には従三位に達した。

建仁2年(1202年)には正三位を経て従二位に叙され、元久元年(1204年)には20歳で権中納言に任ぜられ、続いて翌年には正二位・中納言に任ぜられた。建永元年(1206年)に権大納言建保3年(1215年)に大納言に任命され、建保6年(1218年)に大納言を辞任する。

寛喜元年(1229年)には子・静基が実相院を創建した。建長3年(1251年)に出家して顕恵と名乗るが、没年は不詳である。

系譜 編集

  • 父:近衛基通(1160-1233)
  • 母:寂舜/最舜法印の娘
  • 妻:不詳
    • 男子:静基