四代目 麗々亭 柳橋(れいれいてい りゅうきょう、1860年9月15日 - 1900年8月21日)は、落語家。本名∶斉藤 亀吉柳派に所属。父は三代目麗々亭柳橋。弟は講談二代目桃川如燕、同じく落語家の五代目麗々亭柳橋という芸人一家。

四代目 麗々亭れいれいてい 柳橋りゅうきょう
本名 斉藤 亀吉
生年月日 1860年9月15日
没年月日 (1900-08-21) 1900年8月21日(39歳没)
出身地 日本の旗 日本
師匠 三代目麗々亭柳橋
名跡 1. 春風亭小柳
(1874年 - 1878年)
2. 四代目麗々亭柳橋
(1878年 - 1900年)
活動期間 1874年 - 1900年
家族 三代目麗々亭柳橋(父)
二代目桃川如燕(弟)
五代目麗々亭柳橋(弟)
所属 柳派
(1874年 - 1895年)
三遊派
(1895年 - 1899年)
柳派
(1899年 - 1900年)

経歴 編集

父の薦めで11歳で時計屋に小僧奉公に行かされるも嫌がって脱走した。

15歳の1874年に父に入門、春風亭小柳を名乗り、5年で真打昇進。

その後1878年6月に父が柳叟を襲名したことに伴い四代目麗々亭柳橋を襲名。

1895年には柳派の中で内紛が起きて離脱し三遊派に身を投じるが、1899年には和解し柳派に復帰。1900年7月に腸胃病で体調を崩し引退。翌月病死した。

活動 編集

坐り踊りで人気を博す。落語は三代目譲りの人情噺が得意だった。

弟子 編集

出典 編集