麻立干(まりつかん、朝鮮語: 마립간)は、新羅和白中国語版(部落首長会議)の上座を占める「大首長」の称号。「麻立干」の「干」は、部落首長層の出自を有する貴族を指し、新羅の官位十七等の上位九等は、一伐干、迊干、大阿干などの某干(飡)で占められており、和白中国語版を構成したのも、多くこの干位を有する首長層貴族である[1]

概要 編集

新羅では、建国後も長らく王を称するに「麻立干」号を用いたが、『三国史記』によると、智証王までを「麻立干」と称し、「王」号使用は、智証王四年(503年)にはじまる[1]金大問中国語版は、「麻立」を「マル」と読み、韓語切株)の方言で座席を示すものであり、すなわち、「麻立」は、和白中国語版の時の参加者の座席を示す標木であるとした。王は、和白中国語版の最上座を占めるため、その座席を「麻立」とするが、金大問中国語版の説は、「麻立」は橛そのものをいうのか、王の占むべき座位をいうのか判然としない[1]

末松保和は、高句麗の最高執政官「莫離支」を「麻立干」の原語とみなし、「莫離」「麻立」ともに「マカリ」と読み、『釈日本紀』にある「上臣(マカリダロ)」や「正夫人(マカリヲリクク)」の古訓を採用して、「マカリ」には上・大・正などの意味とする[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 薗田香融『東アジアにおける仏教の伝来と受容』関西大学東西学術研究所〈関西大学東西学術研究所紀要 (22)〉、1989年3月、16頁。