黄泉醜女

日本神話に登場する黄泉国の怪物

黄泉醜女[注 1](予母都志許売、豫母都志許賣、泉津醜女)は、日本神話に登場する黄泉国怪物、または[1][注 2]

予母都志許売

全名 予母都志許売(ヨモツシコメ)
別名 豫母都志許賣、泉津醜女、泉津日狭女
神社 なし
記紀等 古事記日本書紀
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概要 編集

黄泉国訪問の段に登場する。『古事記』では豫母都志許賣(予母都志許売)、『日本書紀』では泉津醜女、別名を泉津日狭女(よもつひさめ)とする。

記述 編集

古事記 編集

伊耶那美命は自分との約束を破って逃げ出した伊耶那岐命を捕まえるため、豫母都志許賣に伊耶那岐命を追わせた。伊耶那岐命が黒御縵(くろみかずら)を取って投げつけたところ山葡萄が生え、豫母都志許賣がそれらを食べている間に逃げた。食べ終わるとまた追ってきたため、右の角髪に刺してある湯津々間櫛(ゆつつまぐし)を引っ掻いて投げた。すると今度はが生えてきて、同じくそれらを食べている間に逃げた。[2]

日本書紀 編集

巻第一の第五段一書第六に登場する。伊奘冉尊は伊奘諾尊を追うために泉津醜女八人、または泉津日狭女を遣わせる。伊奘諾尊は剣を抜いて背後を振り払いながら逃げた。黒鬘(くろきみかずら)を投げると葡萄が成り、泉津醜女らはこれを採って食べ、食べ終わるとまた追いかけてきた。次に湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を投げると筍が成り、泉津醜女らは抜いて食べ、食べ終わるとさらに追いかけてきた。別伝によれば、伊奘諾尊が大樹に向かって放尿すると巨大な川となった。泉津日狭女らが川を渡ろうとしている間に、伊奘諾尊は泉津平坂に辿り着くことができた。[3]

考証 編集

シコ(志許、醜)の語句について、ヨモツシコメの場合は黄泉国の醜い女の意とされる一方、同じくシコを名に持つアシハラシコヲ(葦原色許男、葦原醜男)は、葦原中国の醜い男の他に強い男の意とされることがある[2][4]。シコの本義の解釈については、黄泉国が死と深く関わっている点と、葦原色許男の根国での試練が儀礼的な死と見なされる点から、シコメ・シコヲを他界・死と密接な関係を持つ存在であるとする説[5]、黄泉国は葦原中国、葦原中国は根国を基準にして外部であることから、それらの世界に住むシコメ・シコヲを規範から逸脱しているよそ者とする説[6]などがある。

また、ヨモツシコメは鬼女と解釈されることがある[2]が、記紀にはシコメを鬼とする記述はない。性別が明記される鬼は仏典に見られる特徴である[注 3]ことから、醜女を仏教説話や現代の鬼とは切り離して考えるべきとする説もある[7]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 黄泉醜女の表記は記紀にはない。
  2. ^ 新潮日本古典集成では神名の釈義に予母都志許売を掲載する。
  3. ^ 羅刹女がこれに該当。『出雲国風土記』の大原郡にある鬼は単に目が一つとされ、性別は不明である。

出典 編集

  1. ^ 西宮 2014, p. 349.
  2. ^ a b c 中村 2009, pp. 33, 49, 264.
  3. ^ 坂本, 家永, 井上, 大野 1994, pp. 44–45.
  4. ^ 倉野 1963, pp. 29, 46.
  5. ^ 松倉 1979, pp. 49–51, 56.
  6. ^ 土佐 2016, p. 35.
  7. ^ 小長谷 2017, pp. 84–89.

参考文献 編集

  • 倉野憲司 校注『古事記』岩波書店岩波文庫〉、1963年1月16日。ISBN 4-00-300011-0 
  • 小長谷祥治「「醜女」は鬼女か─『日本書紀』における「醜女」の解釈をめぐって─」『研究紀要』第12号、長野県国語国文学会事務局、2017年12月、ISSN 1342-4777 
  • 坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋 校注『日本書紀(一)』岩波書店〈岩波文庫〉、1994年9月16日。ISBN 4-00-300041-2 
  • 土佐秀里「醜男醜女考」『日本文學論究』第75号、國學院大學國文學會、2016年3月、ISSN 0288-1721 
  • 中村啓信 訳注『新版 古事記 現代語訳付き』KADOKAWA角川ソフィア文庫〉、2009年9月25日。ISBN 978-4-04-400104-9 
  • 西宮一民 校注『新潮日本古典集成〈新装版〉古事記』新潮社、2014年10月30日。ISBN 978-4-10-620801-0 
  • 松倉文比古「「記・紀」における醜女・醜男について」『龍谷大学佛教文化研究所紀要』第18号、佛教文化研究所、1979年6月、ISSN 0289-5544 

関連項目 編集

外部リンク 編集