黒沢 英一(くろさわ えいいち、1894年 - 1953年[1][2])は、日本植物研究者。台湾総督府農事試験場で技師を務め、植物ホルモンジベレリンを初めて発見した。

来歴 編集

茨城県筑波郡板橋村[注釈 1](現・つくばみらい市)出身[1]高等小学校から千葉県立高等園芸学校(現・千葉大学園芸学部・大学院園芸学研究科)を卒業した[1]

黒沢は台湾総督府農事試験場に勤務し、馬鹿苗病の研究をしていたが、1926年に黒沢はこの馬鹿苗病の原因となる寄生菌がつくる毒素を突き止め、その植物を伸長させるはたらきを明らかにした[3]

その後黒沢は茨城県に帰郷し、農林省農事試験場に勤務していたという[2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 出典には「伊奈村板橋」とあるが、伊奈村が合併により発足したのは黒沢没後の1954年であるため、出生当時の自治体名に修正。

出典 編集

  1. ^ a b c シリーズいばらき発見54 種なしブドウの発見者黒沢英一 (PDF) - 茨城いすゞ自動車(2016年9月25日)2021年7月20日閲覧。
  2. ^ a b 西尾敏彦. “種なしブドウの誕生(1)稲の病菌毒素から生まれたジベレリン~技術革新目前の早過ぎる死~ 黒沢英一の栄誉”. 日本の「農」を開いた先人たち(農業共済新聞からの転載). 農林水産・食品産業技術振興協会. 2021年7月20日閲覧。
  3. ^ 園芸探偵の本棚 第68回 ジベレリンとタネなしブドウ~協和発酵創設の研究者・加藤辨三郎”. カルチベ – 農耕と園藝ONLINE (2020年5月31日). 2021年7月20日閲覧。