黒田 政一(くろだ まさいち、1885年明治18年)9月13日[1] - 1975年昭和50年)8月4日[1])は、明治から昭和時代前期の政治家警察官愛媛県松山市長、温泉郡三津浜町町長。

経歴・人物 編集

愛媛県和気郡新浜村(現・松山市新浜町)で生まれる[1]

1909年(明治42年)愛媛県巡査となり、1924年(大正13年)壬生川警察署長、1927年(昭和2年)宇和島警察署長、1929年(昭和4年)松山警察署長、1931年(昭和6年)県社寺兵事課長を歴任し、1935年(昭和10年)退職する[1]。同年7月、松山市収入役に転じ、1939年(昭和14年)2月、三津浜町助役を経て、翌月同町長に就任する[1]。さらに松山市との合併に伴い、1940年(昭和15年)10月、同市助役となり、1946年(昭和21年)3月29日に松山市長に就任[1][2]。翌年の1947年(昭和22年)2月に辞任した[1]

1951年(昭和26年)4月24日、公選で市長に返り咲き、1963年(昭和38年)5月まで3期に渡り市政を担当した[1][2]。その間、周辺10か町村の合併実現、財政再建、丸善石油帝人などの臨海工場の誘致、下水道・公園整備などに尽力した[1]1974年(昭和49年)松山市名誉市民の称号を与えられた[1]

栄典 編集

脚注 編集