黒田 秀忠(くろだ ひでただ)は、戦国時代越後国武将黒滝城主。

 
黒田 秀忠
時代 戦国時代
生誕 明応元年(1492年)?
死没 天文15年2月28日1546年3月30日[1]
別名 久三郎、和泉守
主君 上杉定実
氏族 黒田氏
父母 父:胎田常陸介、母:未詳
養父:黒田長門守
兄弟 秀忠金津伊豆守
正室:三条信景の娘
嗣子不詳、女子(柿崎景家妻?)
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略歴 編集

越後守護代長尾為景の信任を受けて、守護上杉定実の家臣である黒田長門守の養子となり、黒田家を継承した。

為景の後を継いだ長尾晴景が病弱で統率力が無かったため、独立しようと画策して天文14年(1545年)、晴景の弟長尾景康長尾景房らを殺害して10月に謀反を起こすが、晴景のもう一人の弟・長尾景虎(上杉謙信)の命令を受けた村山与七郎に居城黒滝城を攻められて降伏した。

翌年の天文15年(1546年)2月、再び謀反を起こすが、長尾景虎(上杉謙信)に攻められて敗れ、一族ともども自刃させられた。この戦功で長尾景虎(上杉謙信)の武名が一躍高まった。

脚注 編集

  1. ^ 花ヶ前盛明編『上杉謙信大事典』(新人物往来社、1997年)88頁