1961年の大洋ホエールズでは、1961年の大洋ホエールズの動向をまとめる。

1961年の大洋ホエールズ
成績
セントラル・リーグ6位
50勝75敗5分 勝率.400[1]
本拠地
都市 神奈川県川崎市
球場 川崎球場
球団組織
オーナー 中部謙吉
経営母体 大洋漁業
監督 三原脩
« 1960
1962 »

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この年の大洋ホエールズは、三原脩監督の2年目のシーズンである。

概要 編集

前年、球団初のリーグ優勝&日本一(1954年以来の最下位も脱出)を果たしたチームだが、国鉄から箱田淳、東映からスタンレー橋本が移籍した以外は戦力に大きな変化はなく、開幕を迎えた。前年優勝のチームは、開幕前は巨人とともに優勝候補に挙がっていたが、開幕4連勝後に負け越し、最下位に転落。その後、阪神広島の後塵を拝する時期が続き、一時は5位に浮上したが、8月に最下位に沈むと二度と浮上せず、優勝の巨人に21.5ゲーム、5位の広島にも8ゲームもつけられ、2年ぶりの最下位でシーズンを終えた。

投手陣は秋山登島田源太郎権藤正利などが前年に続いて主力を担い、鈴木隆も先発に復帰してチーム防御率も3.10とまずまずだったが、島田が大きく負け越し、大石正彦が不振に陥るなど、勢いを欠いた。

打撃陣は近藤和彦が盗塁王を獲得、4番の桑田武も打点王を獲得した。前年日本シリーズMVPの近藤昭仁も奮闘したが、岩本尭渡辺清などのベテラン選手が軒並み衰え、期待の箱田もレギュラーに定着できなかった。チーム打率.236はリーグ4位で、こちらも全体のつながりに欠けた。シーズンオフ、三原監督は打線強化のため、中日森徹を金銭トレードで獲得。更に外国人選手のジム・マクマナスも獲得し、1962年の2位とメガトン打線形成へ繋がっていく。

チーム成績 編集

レギュラーシーズン 編集

開幕オーダー
1 近藤昭仁
2 箱田淳
3 近藤和彦
4 桑田武
5 金光秀憲
6 黒木基康
7 鈴木武
8 土井淳
9 秋山登
1961年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 中日 --- 中日 --- 国鉄 --- 巨人 --- 中日 --- 巨人 --- 巨人 ---
2位 国鉄 国鉄 0.0 巨人 1.5 国鉄 4.5 巨人 1.0 中日 3.5 中日 1.0
3位 巨人 2.0 巨人 0.5 中日 2.5 中日 5.5 国鉄 2.5 国鉄 6.5 国鉄 5.5
4位 広島 2.5 広島 6.5 広島 10.0 広島 15.5 広島 14.0 阪神 16.5 阪神 12.5
5位 阪神 4.5 大洋 8.5 阪神 12.0 大洋 18.0 阪神 15.0 広島 16.5 広島 13.5
6位 大洋 6.0 阪神 8.5 大洋 13.0 阪神 19.5 大洋 18.5 大洋 23.0 大洋 21.5
1961年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 71 53 6 .573 優勝
2位 中日ドラゴンズ 72 56 2 .563 1.0
3位 国鉄スワローズ 67 60 3 .528 5.5
4位 阪神タイガース 60 67 3 .472 12.5
5位 広島カープ 58 67 5 .464 13.5
6位 大洋ホエールズ 50 75 5 .400 21.5

[1]

オールスターゲーム 編集

監督 三原脩
ファン投票 近藤和彦
監督推薦 秋山登 島田源太郎 土井淳 桑田武

できごと 編集

選手・スタッフ 編集

表彰選手 編集

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
桑田武 打点王 94打点 初受賞
近藤和彦 盗塁王 35個 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
近藤和彦 外野手 初受賞[注 1]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 1960年に一塁手部門で受賞しており、通算2度目。

出典 編集

  1. ^ a b 年度別成績 1961年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月25日閲覧。
  2. ^ 週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2012年5月21日、96頁。 
  3. ^ 読売新聞1961年12月18日7面「森の大洋入りとその波紋 球界によい教訓 一つの汚点残したが」