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1966年の野球(1966ねんのやきゅう)では、1966年野球界における動向をまとめる。

競技結果 編集

日本プロ野球 編集

ペナントレース 編集

1966年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 89 41 4 .685 優勝
2位 中日ドラゴンズ 76 54 2 .585 13.0
3位 阪神タイガース 64 66 5 .492 25.0
4位 広島カープ 57 73 6 .438 32.0
5位 大洋ホエールズ 52 78 0 .400 37.0
5位 サンケイアトムズ 52 78 5 .400 37.0
1966年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 南海ホークス 79 51 3 .608 優勝
2位 西鉄ライオンズ 75 55 8 .577 4.0
3位 東映フライヤーズ 70 60 6 .538 9.0
4位 東京オリオンズ 61 69 4 .469 18.0
5位 阪急ブレーブス 57 73 4 .438 22.0
6位 近鉄バファローズ 48 82 3 .369 31.0

日本シリーズ 編集

1966年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月12日(水) 第1戦 南海ホークス 5 - 12 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月13日(木) 第2戦 南海ホークス 5 - 2 読売ジャイアンツ
10月14日(金) 移動日
10月15日(土) 第3戦 雨天中止 大阪球場
10月16日(日) 読売ジャイアンツ 3 - 2 南海ホークス
10月17日(月) 第4戦 読売ジャイアンツ 8 - 1 南海ホークス
10月18日(火) 第5戦 読売ジャイアンツ 3 - 4 南海ホークス
10月19日(水) 第6戦 南海ホークス 0 - 4 読売ジャイアンツ 後楽園球場
優勝:読売ジャイアンツ(2年連続8回目)

個人タイトル 編集

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 長嶋茂雄 巨人   野村克也 南海  
最優秀新人 堀内恒夫 巨人   該当者なし  
首位打者 長嶋茂雄 巨人 .344 榎本喜八 東京 .351
本塁打王 王貞治 巨人 48本 野村克也 南海 34本
打点王 王貞治 巨人 116点 野村克也 南海 97点
最多安打 長嶋茂雄 巨人 163本 榎本喜八 東京 167本
盗塁王 柴田勲 巨人 46個 山本公士 阪急 32個
最優秀防御率 堀内恒夫 巨人 1.39 稲尾和久 西鉄 1.79
最多勝利 村山実 阪神 24勝 米田哲也 阪急 25勝
最多奪三振 村山実 阪神 207個 田中勉 西鉄 217個
最高勝率 堀内恒夫 巨人 .889 皆川睦男 南海 .720

ベストナイン 編集

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 村山実 阪神 田中勉 西鉄
捕手 森昌彦 巨人 野村克也 南海
一塁手 王貞治 巨人 榎本喜八 東京
二塁手 高木守道 中日 国貞泰汎 南海
三塁手 長嶋茂雄 巨人 T.ロイ 西鉄
遊撃手 一枝修平 中日 小池兼司 南海
外野手 江藤愼一 中日 高倉照幸 西鉄
中暁生 中日 張本勲 東映
山本一義 広島 毒島章一 東映

オールスターゲーム 編集

ドラフト会議 編集

高校野球 編集

中京商業が作新学院に続く史上2校目の春夏連覇

大学野球 編集

社会人野球 編集

メジャーリーグ 編集

できごと 編集

1月 編集

2月 編集

  • 2月5日 - プロ野球創立30周年を記念した「プロ野球古顔の会」が東京・銀座のニュートーキョーにて開かれる[2]

3月 編集

4月 編集

5月 編集

6月 編集

  • 6月6日 - 大洋の監督の三原脩が健康診断のため東京の九段坂病院に入院[17]
  • 6月7日 - 後楽園球場での東映対東京の9回戦が7回表の東京の攻撃中にライトの故障と雷雨によってサスペンデッド・ゲームとなり、翌8日に午後6時から再開[18]
  • 6月9日 - 大洋のオーナーの中部謙吉は東京・大手町の大洋漁業本社にて記者会見し、監督の三原脩が胆石症で入院したため2週間休養し、コーチの宮崎剛が代理監督となると発表[19]
  • 6月12日 - 西鉄の清俊彦北九州市営小倉野球場での近鉄バファローズダブルヘッダー第二試合の9回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[20]
  • 6月17日
    • 東京オリオンズ小山正明が東京球場での対西鉄11回戦に先発登板して無四球の完投勝利を収め、プロ野球新記録の通算58無四球試合を記録[21]
    • 南海の皆川睦雄が大阪球場での対東映10回戦の1回表に三沢今朝治から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[22]
  • 6月19日 - 阪神の山内一弘が甲子園球場での対広島9回戦の4回裏に二塁走者で藤井栄治の適時二塁打で生還し、プロ通算1000得点を達成[23]
  • 6月23日 - 日生球場での近鉄対東京12回戦で東京が19、近鉄が16安打を記録し、パ・リーグ新記録となる両軍合計35安打。東京の成田文男が先発して6失点で完投し、パ・リーグ新記録の1試合16被安打[24]
  • 6月26日 - 中日の江藤慎一が川崎球場での対大洋ダブルヘッダー第一試合の11回戦の6回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[25]
  • 6月28日 - 西鉄の稲尾和久が平和台球場での対東京15回戦で勝利投手となり、金田正一、別所毅彦、ヴィクトル・スタルヒンに次いでプロ通算250勝を達成[26]
  • 6月30日 - 巨人の森昌彦が札幌円山球場での対阪神11回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[27]

7月 編集

  • 7月12日 - 巨人の堀内恒夫が後楽園球場での対広島14回戦に先発して勝利投手となり、プロ野球タイ記録となる新人投手の開幕10連勝[28]
  • 7月17日 - 阪神の村山実が甲子園球場での対大洋17回戦に先発して完投勝ちして17勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[29]
  • 7月23日 - 南海の野村克也が西宮球場での対阪急13回戦の五回表に二点適時打を打ち、プロ通算1000打点を達成[30]
  • 7月26日 - サンケイは神宮球場での対中日17回戦に1-5で敗れ、本拠地の神宮球場での中日戦に20連敗となる[31]
  • 7月31日 - 阪神の権藤正利が甲子園球場での対中日19回戦の四回表に中暁生から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[32]

8月 編集

  • 8月1日 - 第37回都市対抗野球野球大会の決勝戦が後楽園球場にて午後6時半から行われ、東京都の熊谷組が和歌山市の住友金属を4-3で下し、東京都が優勝[33]
  • 8月2日 - 中日の広野功が中日球場での中日対巨人14回戦において、5対3と巨人リードで迎えた9回裏に代打で起用され、堀内恒夫から代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、7対5で中日がサヨナラ勝利[34][35]
  • 8月4日 - 中日の江藤慎一が中日球場での対巨人16回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[36]
  • 8月12日 - 南海の皆川睦雄が大阪球場での対東京21回戦で勝利投手となって15勝目を挙げ、プロ通算150勝を達成[37]
  • 8月13日 - 阪神は監督の杉下茂が辞任し、総監督の藤本定義が監督に就任したと発表[38]
  • 8月14日 - 阪急の米田哲也が日生球場での対近鉄21回戦で勝利投手となって16勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成[39]
  • 8月18日 - 巨人の王貞治が川崎球場での対大洋22回戦4回表に38号本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[40]
  • 8月24日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園で行われ、愛知県の中京商が愛媛県松山商に3対1で勝利し、12年ぶり6度目の優勝と共に、史上2校目の春夏連覇を達成。
  • 8月26日 - 中日の板東英二が後楽園球場での対巨人21回戦で8回裏に救援登板し、1球投じたのみで勝利投手となる[41]
  • 8月28日
    • 西鉄の玉造陽二が日生球場での対近鉄ダブルヘッダー第2試合の20回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[42]
    • 広島の田中尊が広島市民球場での対大洋19回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[43]

9月 編集

  • 9月4日 - 阪神の権藤正利が甲子園球場での対巨人ダブルヘッダー第一試合の22回戦の三回表途中から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[44]
  • 9月5日 - プロ野球の1966年度の第一次新人選択会議が午後1時から銀座の日生会館で開かれる[45]
  • 9月6日 - 巨人の城之内邦雄が後楽園球場での対大洋23回戦で勝利投手となって20勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[46]
  • 9月10日 - 後楽園球場での巨人対サンケイ25回戦で、巨人の王貞治が五回裏と七回裏に敬遠され、プロ野球新記録となる1シーズン37個目の故意四球を記録。サンケイの岡島博治は一回表に安打を打ち、プロ通算1000安打を達成[47]
  • 9月13日 - 阪急の中田昌宏が日生球場での対近鉄22回戦で9号、10号本塁打を打ち、プロ通算150本塁打を達成[48]
  • 9月18日 - 中日球場で行われた中日対巨人22回戦で、中日はプロ野球新記録となる1試合10投手登板[49]
  • 9月19日 - 阪急の梶本隆夫が西宮球場の対南海ダブルヘッダー第一試合の25回戦に先発登板して敗戦投手となり、プロ野球新記録となるシーズン14連敗となる[50]
  • 9月23日 - 巨人対阪神24回戦が後楽園球場で行われ、巨人が阪神に4-1と勝利し、2年連続のセ・リーグ優勝[51][52]
  • 9月26日 - 中日の佐藤公博が後楽園球場での対巨人25回戦に先発し9回二死まで無安打無得点に抑えていたが、柴田勲に二塁打を打たれ、さらに二死一、二塁で森昌彦に4号逆転サヨナラ3点本塁打を打たれ、敗戦投手となる[53]
  • 9月30日 - 東京の鈴木隆は東京球場での対東映26回戦の三回表に毒島章一から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[54]

10月 編集

  • 10月4日 - 南海の野村克也が大阪球場での対東映25回戦の一回裏に安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[55]
  • 10月6日 - 南海の野村克也が大阪球場での対東映27回戦の六回裏に34号本塁打を打ち、プロ通算350本塁打を達成[56]
  • 10月9日 - 西鉄対東映のダブルヘッダー第一試合の27回戦が後楽園球場にて正午から行われ西鉄が1-2で敗れたため、先に全日程を終了していた南海のリーグ優勝が決定[57]
  • 10月12日 - サンケイの村田元一が川崎球場での対中日ダブルヘッダー第二試合の27回戦に先発して完投勝利し、プロ通算100勝を達成[58]
  • 10月18日 - 沢村賞の選考が東京運動記者クラブ加盟社の部長会によって東京・銀座の「レバンテ」にて行われ、巨人の堀内恒夫と阪神の村山実を選出[59]
  • 10月19日 - 日本シリーズの第6戦が後楽園球場において行われ、巨人が南海に4対0で勝利し、4勝2敗で2年連続日本一を達成[60]
  • 10月20日 - プロ野球の最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを選ぶ記者投票の開票が午前10時から行われ、最優秀選手にセ・リーグは巨人の長島茂雄、パ・リーグは野村克也、最優秀選手にセ・リーグは巨人の堀内恒夫、パ・リーグは「該当者なし」に[61]
  • 10月31日 - 巨人の広岡達朗は午後4時からオーナーの正力亨と東京・銀座の読売新聞社重役室にて約一時間会談。この後、正力は「広岡達朗選手を31日付けで任意引退選手とする」と発表[62]

11月 編集

  • 11月1日 - 東映はブラジル遠征のため午後、羽田空港発の日航機で出発[63]
  • 11月6日 - 日米野球11回戦の全日本対ロサンゼルス・ドジャースの試合が後楽園球場で行われ、1959年以来2度目の昭和天皇夫妻が観戦する天覧試合となり、試合は11対3で全日本が勝利[64]
  • 11月8日 - プロ野球の第2次ドラフト会議が正午から東京・銀座の日生会館にて行われ、この日は国体出場の高校生と大学生、一部の社会人を対象に行われる[65]
  • 11月18日 - 【MLB】ロサンゼルス・ドジャースのサンディー・コーファックスが右肘の故障を理由に現役引退。
  • 11月22日
    • 東京は午後、東京・丸の内の東京会館にて来季の首脳陣を発表し、新監督に戸倉勝城が就任したと発表[66]
    • 野球博物館競技者表彰委員会は午後4時から東京・銀座のコミッショナー事務局にて記者投票の開票を行ったが、規定得票数に達した候補者がいなかったため「該当者なし」と決定[67]

12月 編集

誕生 編集

1月 編集

2月 編集

3月 編集

4月 編集

5月 編集

6月 編集

7月 編集

8月 編集

9月 編集

10月 編集

11月 編集

12月 編集

死去 編集

出典 編集

  1. ^ 朝日新聞1966年1月8日13面「愛称は『アトムズ』 サンケイ球団で決める」朝日新聞縮刷版1966年1月p173
  2. ^ 読売新聞1966年2月6日15面「プロ野球古顔の会 創立30周年を記念してひらく」読売新聞縮刷版1966年2月p139
  3. ^ 読売新聞1966年3月31日11面「スタンカ来日 正式に大洋へ 背番号は『6』」読売新聞縮刷版1966年3月p795
  4. ^ 毎日新聞1966年4月4日1面「中京商校が優勝 四度目 センバツ史上最高」毎日新聞縮刷版1966年4月p81
  5. ^ 毎日新聞1966年4月9日夕刊10面「プロ野球 公式戦ひらく」毎日新聞縮刷版1966年4月p232
  6. ^ 毎日新聞1966年4月10日13面「ハドリ、外人初の百号ホーマー」毎日新聞縮刷版1966年4月p247
  7. ^ 毎日新聞1966年4月14日11面「18才の森安(東映)南海をストップ 剛腕で4安打に完封 バックの拙守にも平然と」毎日新聞縮刷版1966年4月p247
  8. ^ 毎日新聞1966年5月2日13面「佐々木(大洋)が完全試合 プロ野球史上8人目の快挙」毎日新聞縮刷版1966年5月p37
  9. ^ 読売新聞1966年5月7日11面「メイズ通算五一二号放つ ナ・リーグ新」読売新聞縮刷版1966年5月p139
  10. ^ 読売新聞1966年5月9日11面「西園寺が通算百号 毒島、千五百本安打」読売新聞縮刷版1966年5月p189
  11. ^ 毎日新聞1966年5月11日13面「アキレスけん切断に屈せず 南海森下が千五百試合出場」毎日新聞縮刷版1966年5月p243
  12. ^ 毎日新聞1966年5月11日13面「張本も千本安打に」毎日新聞縮刷版1966年5月p243
  13. ^ 毎日新聞1966年5月13日13面「田中勉(西鉄)が完全試合 首位南海を相手に パ・リーグでは8年ぶり」毎日新聞縮刷版1966年5月p291
  14. ^ 毎日新聞1966年5月13日13面「榎本は百五十本目の本塁打」毎日新聞縮刷版1966年5月p445
  15. ^ 毎日新聞1966年5月22日13面「毒島が千五百試合出場」毎日新聞縮刷版1966年5月p523
  16. ^ 毎日新聞1966年5月30日13面「東京の森が千試合」毎日新聞縮刷版1966年5月p725
  17. ^ 朝日新聞1966年6月7日13面「三原監督が健康診断に入院」朝日新聞縮刷版p171
  18. ^ 毎日新聞1966年6月8日13面「雷雨一発、勝負持ち越し 小山の"無四球"も 東京好機に照明まっ暗」毎日新聞縮刷版1966年6月p193
  19. ^ 読売新聞1966年6月10日10面「三原監督は2週間休養 宮崎コーチ代行」読売新聞縮刷版1966年6月p244
  20. ^ 毎日新聞1966年6月13日13面「無安打の清 パで8人目の偉業 ”完全男”の田中につづく」毎日新聞縮刷版1966年6月p319
  21. ^ 朝日新聞1966年6月18日13面「小山(東京)ついに日本新 無四球試合」朝日新聞縮刷版p467
  22. ^ 毎日新聞1966年6月18日13面「皆川が千三振奪取」毎日新聞縮刷版1966年6月p447
  23. ^ 毎日新聞1966年6月20日13面「山内が千得点」毎日新聞縮刷版1966年6月p499
  24. ^ 読売新聞1966年6月24日11面「東京が8連続得点 5回 35安打の応酬、近鉄大敗」読売新聞縮刷版1966年6月p625
  25. ^ 毎日新聞1966年6月27日13面「中日の江藤が千本安打」毎日新聞縮刷版1966年6月p679
  26. ^ 朝日新聞1966年6月29日13面「稲尾(西鉄)ついに250勝」朝日新聞縮刷版p763
  27. ^ 毎日新聞1966年7月1日13面「森捕手が千試合出場」毎日新聞縮刷版1966年7月p13
  28. ^ 読売新聞1966年7月13日11面「堀内10連勝の快記録 完投で広島9三振」読売新聞縮刷版1966年7月p337
  29. ^ 毎日新聞1966年7月18日11面「村山、通算百五十勝」毎日新聞縮刷版1966年7月p457
  30. ^ 読売新聞1966年7月24日11面「野村が千打点」読売新聞縮刷版1966年7月p617
  31. ^ 読売新聞1966年7月27日11面「サンケイ本拠20連敗 対中日 拙守で石戸ダウン」読売新聞縮刷版1966年7月p693
  32. ^ 読売新聞1966年8月1日11面「権藤が奪千五百三振」読売新聞縮刷版1966年8月p11
  33. ^ 毎日新聞1966年8月1日1面「東京都(熊谷組)が優勝 都市対抗野球 6年ぶり3度目」毎日新聞縮刷版1966年8月p27
  34. ^ 毎日新聞1966年8月3日11面「広野が逆転満塁サヨナラ本塁打 救援の堀内をたたく 今季・セリーグではじめて」毎日新聞縮刷版1966年p59
  35. ^ 【8月2日】1966年(昭41) “小天狗”堀内VS広野 真夏のドラフト1期生対決”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2015年12月8日閲覧。
  36. ^ 毎日新聞1966年8月5日13面「江藤が千試合出場」毎日新聞縮刷版1966年8月p109
  37. ^ 毎日新聞1966年8月13日13面「皆川が百五十勝」毎日新聞縮刷版1966年8月p301
  38. ^ 毎日新聞1966年8月14日13面「藤本総監督が実戦指揮 阪神、杉下監督の休養で」毎日新聞縮刷版1966年8月p329
  39. ^ 毎日新聞1966年8月15日13面「米田を助けた珍しい三重殺」毎日新聞縮刷版1966年8月p351
  40. ^ 毎日新聞1966年8月19日13面「王が通算二五〇号 長島18号 ON打率かせぎ」毎日新聞縮刷版1966年8月p447
  41. ^ 読売新聞1966年8月27日11面「板東、1球で13勝」読売新聞縮刷版1966年8月p655
  42. ^ 読売新聞1966年8月29日11面「玉造が千五百試合出場」読売新聞縮刷版1966年8月p705
  43. ^ 読売新聞1966年8月29日11面「田中は千試合」読売新聞縮刷版1966年8月p705
  44. ^ 読売新聞1966年9月5日11面「権藤が五百試合登板」読売新聞縮刷版1966年9月p115
  45. ^ 読売新聞1966年9月11面「プロ野球新人 選択選手決まる 阪神、江夏(大阪学院)に交渉権、巨人は山下(伊野商高)南海・上田(三池工高)」読売新聞縮刷版1966年9月p141
  46. ^ 毎日新聞1966年9月7日13面「城之内、完投で100勝 大洋は小野乱調が命とり」毎日新聞縮刷版1966年9月p161
  47. ^ 読売新聞1966年9月11日9面「王、敬遠四球の日本新記録」読売新聞縮刷版1966年9月p275
  48. ^ 読売新聞1966年9月11日9面「米田(阪急)救援で22勝」読売新聞縮刷版1966年9月p353
  49. ^ 読売新聞1966年9月19日11面「10投手は新記録」読売新聞縮刷版1966年9月p487
  50. ^ 読売新聞1966年9月20日11面「米田(阪急)が24勝 第一 梶本14連敗 不名誉な日本新」読売新聞縮刷版1966年9月p515
  51. ^ 読売新聞1966年9月24日夕刊1面「巨人、19回目の優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1966年9月p609
  52. ^ 毎日新聞1966年9月24日夕刊13面「巨人、独走のゴールイン 19回目の優勝 川上監督、八回から胴上げ用スパイク 栄光の救援、金田ニッコリ」毎日新聞縮刷版1966年9月p599
  53. ^ 読売新聞1966年9月27日11面「9回二死 消えた佐藤(中日)の快記録 守が逆転サヨナラ3ラン 金田、今季初の完投勝利」読売新聞縮刷版1966年9月p683
  54. ^ 読売新聞1966年10月1日11面「鈴木(東京)が奪千三振」読売新聞縮刷版1966年10月p11
  55. ^ 読売新聞1966年10月5日11面「野村が千五百本安打」読売新聞縮刷版1966年10月p119
  56. ^ 読売新聞1966年10月7日11面「野村が通算三五〇号」読売新聞縮刷版1966年10月p175
  57. ^ 読売新聞1966年10月10日11面「南海、3年連続の優勝(11回目) ”西鉄1敗”に胴上げ 無人の大阪球場 パ・リーグ」読売新聞縮刷版1966年10月p255
  58. ^ 読売新聞1966年10月13日8面「大洋・サンケイ同率5位」読売新聞縮刷版1966年10月p336
  59. ^ 読売新聞1966年10月19日10面「沢村賞に堀内、村山 満場一致、初の二人受賞」読売新聞縮刷版1966年10月p502
  60. ^ 読売新聞1966年10月19日夕刊1面「巨人、二年連続の日本一 日本シリーズ 南海に4勝2敗」読売新聞縮刷版1966年10月p509
  61. ^ 読売新聞1966年10月21日10面「プロ野球最優秀選手きまる 長島(3回目)と野村(4回目) 新人王は堀内 パは該当者なし」読売新聞縮刷版1966年10月p558
  62. ^ 読売新聞1966年11月1日11面「広岡、任意引退に 巨人発表」読売新聞縮刷版1966年11月p11
  63. ^ 読売新聞1966年11月2日11面「東映、ブラジルへ」読売新聞縮刷版1966年11月p39
  64. ^ 読売新聞1966年11月7日11面「全日本、猛打でド軍を連破 長島が先制ホーマー 13安打で11点 黒江2号、米田も1号 両陛下をお迎えし、張り切る」読売新聞縮刷版1966年11月p175
  65. ^ 読売新聞1966年11月8日11面「巨人、槌田に交渉権 八木沢・東京、西本は広島 プロ野球新人選択会議」読売新聞縮刷版1966年11月p203
  66. ^ 読売新聞1966年11月23日11面「東京監督に戸倉氏」読売新聞縮刷版1966年11月p615
  67. ^ 読売新聞1966年11月23日11面「ことしは見送りに 野球殿堂入り」読売新聞縮刷版1966年11月p615
  68. ^ 読売新聞1966年12月27日11面「両大石トレード 阪急広島」読売新聞縮刷版1966年12月p727