1966年中華民国総統選挙(1966ねんちゅうかみんこくそうとうせんきょ、: 1966年中華民國總統選舉)は、1966年3月21日中華民国で行われた、総統(第4期)を選出する選挙である。

1966年中華民国総統選挙
1966年中華民國總統選舉
中華民国
1960年 ←
1966年3月21日
→ 1972年

投票率 48.87%
減少 2.89%)
 


候補者 蔣介石
政党 中国国民党
獲得選挙人 1,405
得票率 100.0%

選挙前総統

蔣介石
中国国民党

選出総統

蔣介石
中国国民党

概要 編集

選挙方式は選挙により選出された国民大会代表を通して投票される間接選挙であった。投票は陽明山管理局中国語版中山楼[1]で行われ、副総統選挙は3月22日に実施された。副総統選挙は総統選挙と独立集計され、現在のように総統と副総統の候補者が一括して選挙戦を行うものではなかった。

投票の結果、中国国民党候補者である蔣介石が1,405票を獲得して第4期中華民国総統に就任した。翌日に行われた副総統選挙では同じく中国国民党の厳家淦が当選している。

蔣介石は後継者である長男の蔣経国の地盤が固まっていない現状を考慮し、自身の総統四選を目標に立候補した。この際、周囲の反対を押し切り自ら副総統候補に指名したのが厳家淦である。蔣介石は第1回総統選挙以来、副総統を文官任用枠とすることを検討してきたが、現状では軍人出身の副総統が続いており、陳誠の病没により改めて文官任用として厳家淦を抜擢した。この蔣介石の決定には党内の不満を引き起こすこととなった。

選挙制度 編集

 
1966年総統選挙が行われた中山楼

候補者 編集

  中国国民党
総統候補 副総統候補
蔣介石 厳家淦
   
総統
党総裁
行政院長

選挙結果 編集

3月21日午前、中華民国第4回総統選挙が開始された。国民大会代表は王雲五を主席に選出、中国国民党候補の蔣介石への信任投票となり、1,488人が投票、1,405票の絶対多数票を獲得して蔣介石は総統に当選した。また、翌日行われた副総統選挙では、中国国民党内部から反発を受けた厳家淦だったが782票を獲得し、辛うじて半数を超え当選している。

総統選挙 編集

e • d    1966年中華民国総統選挙 1966年3月21日施行)
候補者 所属政党 得票数 得票率
  蔣介石 (100.0%)
蔣介石     中国国民党 1,405 100.0%
有効票数(有効率) 1,405 94.42%
無効票数(無効率) 83 5.58%
投票総数(投票率) 1,488 48.87%
棄権者数(棄権率) 1,557 51.13%
定数 3,045 100.0%
出典:「中華民國選舉史」中央選挙委員会

副総統選挙 編集

e • d    1966年中華民国副総統選挙 1966年3月22日施行)
候補者 所属政党 得票数 得票率
  厳家淦 (100.0%)
厳家淦     中国国民党 782 100.0%
有効票数(有効率) 782 52.55%
無効票数(無効率) 706 47.45%
投票総数(投票率) 1,488 48.87%
棄権者数(棄権率) 1,557 51.13%
定数 3,045 100.0%
出典:「中華民國選舉史」中央選挙委員会

参考文献 編集

  • 中央選挙委員会 『中華民国選挙史』(中央選挙委員会 台北 1987年)

脚注 編集

  1. ^ 孫文生誕100周年記念事業の一環として建設され、1965年に完成。なお、国民大会の議場もそれまでの中山堂から変更された。

関連項目 編集