1972年のテレビ(1972ねんのテレビ)では、1972年(昭和47年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

番組関係のできごと 編集

1月
2月
3月
4月
5月
6月
  • 17日 - 佐藤栄作首相(当時)がこの日退陣を表明、NHKなどで退陣に関する記者会見を中継。異例のテレビ主導による会見となった[4]
7月
  • 8日 - NET系で、土曜20時枠に特撮番組『人造人間キカイダー』とテレビアニメ『デビルマン』の2本立てを編成、1974年3月までこの体制となる[注 5]
  • 21日 - 日本テレビ系で刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(東宝制作)が放送開始。1986年11月14日まで全718回続く長寿番組となった。
  • 28日 - NET系で、5月12日をもって打ち切られた日本テレビ系『日本プロレス中継』の後継番組として、月曜20時台に放送されていた『NETワールドプロレスリング』の他にも、金曜20時台にも『NET日本プロレス中継』を開始。9月25日まで月曜・金曜の並行放送を続け、9月29日から『NET日本プロレス中継』に一本化(1973年3月30日終了)[注 6]
8月
9月
10月
12月

その他テレビに関する話題 編集

テレビ神奈川(4月1日開局。写真は初代本社で、現在は解体済み)
びわ湖放送(4月1日開局)
NHK沖縄放送局(5月15日沖縄返還により開局)

開局 編集

周年 編集

番組 編集

開局・放送開始 編集

視聴率 編集

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)

報道 編集

  1. ニュース(NHK総合、9月8日)55.5%
  2. ニュース(連合赤軍あさま山荘事件)(NHK総合、2月28日)50.8%
  3. 田中総理中国へ(NHK総合、9月25日)50.6%
  4. スタジオ102(NHK総合、2月29日)47.0%
  5. カメラリポート(NHK総合、2月29日)46.6%
  6. 即日当選開票当確者紹介(NHK総合、12月11日)46.1%
  7. ニュース(NHK総合、2月29日)44.9%
  8. 当確者に聞く(NHK総合、12月11日)44.3%
  9. ニュース(NHK総合、4月27日)44.0%

スポーツ 編集

  1. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月8日)58.7%
  2. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月2日)55.5%
  3. 第11回冬季オリンピック札幌大会(NHK総合、2月11日)53.1%
  4. 第20回オリンピックミュンヘン大会(NHK総合、9月10日)51.3%
  5. 第20回オリンピックミュンヘン大会 閉会式ハイライト(NHK総合、9月12日)46.9%

バラエティー 編集

  1. 第23回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)80.6%
  2. 1972年度輝く!日本レコード大賞・第2部(TBS、12月31日)46.5%
  3. 8時だョ!全員集合(TBS、7月15日)45.7%

ドラマ 編集

  1. ありがとう(TBS、12月21日)56.3%
  2. 連続テレビ小説 繭子ひとり(NHK総合、2月10日)55.2%
  3. 連続テレビ小説 藍より青く(NHK総合、9月8日)53.3%
  4. 時間ですよ・最終回(TBS、3月15日)36.2%
  5. 肝っ玉かあさん(TBS、1月13日)33.0%

テレビ番組 編集

テレビドラマ 編集

NHK 編集

日本テレビ系 編集

TBS系 編集

フジテレビ系 編集

NETテレビ系 編集

東京12チャンネル系 編集


子供向けドラマ 編集

NHK 編集

日本テレビ系 編集

TBS系 編集

フジテレビ系 編集

NETテレビ系 編集

テレビアニメ 編集

特撮番組 編集

報道・情報番組 編集

バラエティ番組 編集

クイズ番組 編集

音楽番組 編集

トーク番組 編集

教養・ドキュメンタリー番組 編集

映画番組 編集

スポーツ番組 編集

単発特別番組枠 編集

その他 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ これにより、19:00の特撮番組『ミラーマン』、20:00の時代劇『一心太助』(杉良太郎主演版)、21:00のトーク番組『ラブラブショー』の計3本が休止。また19:30のアニメシリーズ『カルピスまんが劇場(→世界名作劇場)』は、1969年10月5日開始以来初めて放送されなかったが、前作『アンデルセン物語』は前週の1971年12月25日で放送を終え、翌9日に次作『ムーミン』(第2作)が開始するため、「継続中の休止」には至らなかった。
  2. ^ a b 当時『クイズグランプリ』と『スター千一夜』は土曜日も放送されていた(1974年9月まで)。
  3. ^ ただし、国際映像はNHKと北海道放送(HBC)が共同制作し、世界各国に配信した。
  4. ^ ただし1987年10月から1989年9月までは、平日22時枠に報道番組『JNNニュース22プライムタイム』→『JNNニュースデスク'88・'89』が編成されたために中断、この間は代替として水曜21時枠で『水曜ドラマ』が編成された。
  5. ^ 20時枠前半は1973年5月12日より続編の『キカイダー01』となり、また後続のアニメ枠は『ミクロイドS』→『キューティーハニー』と続く。
  6. ^ 1973年4月6日からは新日本プロレス中継に変更され、『ワールドプロレスリング』に再改題。
  7. ^ 1972年当時、朝日放送は東京放送(TBS、現・TBSテレビ)とネットワーク(JNN系列)を結んでおり、1975年4月からNETテレビ(現・テレビ朝日)とネットワーク(ANN系列交換(いわゆる「腸捻転」解消)を実施した。
  8. ^ 第5作のみ星正人主演。
  9. ^ TBSの人気番組『8時だョ!全員集合』も休止となったが、ザ・ドリフターズいかりや長介曰く「あとで局の人間が「視聴率、ヒトケタだったよ」とボヤいていたが」とのことである[5]
  10. ^ 当時使用されていたバージョンは2011年7月24日のアナログ放送終了の際にも、アナログ放送での最終映像として放送され、最終画面(「JOAX-TV(NTV)日本テレビ」)の左下に「58年間 ありがとうございました」の文字が添えられた。
  11. ^ 日本テレビ版は遅れて1963年1月21日に開始したため、1973年で10周年だった。
  12. ^ 『シャボン玉ビッグワンショー』開始までのつなぎ番組

出典 編集

  1. ^ a b c 米中200年の歩みが番組で特集される中、日本では連合赤軍による事件が勃発 Muscat(フジテレビ)2018年2月19日
  2. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)2月」『月刊民放』第2巻第4号、日本民間放送連盟、1972年4月15日、53頁、NDLJP:3470873/28 
  3. ^ ジョン・カビラさんと読んだ「放送法 第1条」」『NHK PR』、NHKオンライン、2022年5月23日https://web.archive.org/web/20220523134319/https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=343472022年5月23日閲覧 に掲載されている「NHK沖縄放送局開局記念ポスター」の写真を参照。
  4. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)6月」『月刊民放』第2巻第8号、日本民間放送連盟、1972年8月15日、52頁、NDLJP:3470877/28 
  5. ^ いかりや長介『だめだこりゃ』(新潮社)182頁
  6. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)4月」『月刊民放』第2巻第6号、日本民間放送連盟、1972年6月15日、53頁、NDLJP:3470875/28 
  7. ^ 「NHKジャーナル/沖縄局が業務再開/「くらしに生かす…」全国集会」『放送教育』第27巻第4号、日本放送教育協会、1972年7月1日、88頁、NDLJP:2341335/45 
  8. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌 昭和47年(1972)7月」『月刊民放』第2巻第9号、日本民間放送連盟、1972年9月15日、53頁、NDLJP:3470878/28 
  9. ^ a b c d e f g 日本民間放送連盟(編)「(3)番組―イベント報道、ナマワイド生活情報番組、ブロック制作、報道と表現の自由」『月刊民放』第2巻第12号、日本民間放送連盟、1972年12月15日、19 - 21頁、NDLJP:3470881/11 
  10. ^ 読売新聞』(縮刷・関東版) 1972年(昭和47年)10月1日付朝刊、テレビ欄。
  11. ^ a b c テレビ東京の歩み

参考文献 編集

など