1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙

東ドイツの選挙

1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙(1990ねんドイツみんしゅきょうわこくじんみんぎかいせんきょ、ドイツ語: Volkskammerwahl 1990)は、1990年3月18日ドイツ民主共和国(東ドイツ)で行われた人民議会議員の総選挙である。

1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙
Volkskammerwahl 1990
ドイツ民主共和国
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1990年3月18日 (1990-03-18)
→ 1990年 ドイツの旗

人民議会 全400議席
  第1党 第2党 第3党
 
党首 ロタール・
デメジエール
イブラヒム・
ベーメ
ハンス・
モドロウ
政党 キリスト教民主同盟 社会民主党 民主社会党
獲得議席 163 88 66
得票数 4,710,598 2,525,534 1,892,381
得票率 40.8% 21.9% 16.4%

主要政党の州別得票結果

選挙前首相

ハンス・モドロウ
民主社会党

選出首相

ロタール・デメジエール
キリスト教民主同盟

概要 編集

 
貼り出された各党のポスター(1990年2月14日 ドレスデン)。キリスト教民主同盟 (CDU)が、西ドイツ(BRD)と東ドイツ(DDR)の統一を前面に押し出しているのが分かる。
 
1990年人民議会選挙の投票用紙

前年1989年の東ドイツの民主化とそれに続くベルリンの壁崩壊で、社会主義統一党 (SED) の一党独裁体制が崩壊し、新たな政府を発足させるために行われた選挙である。

この選挙によって東西ドイツの早期統一を掲げる勢力が勝利し、同年10月に東西ドイツが統一されたため、東ドイツにとっては最初で最後の自由選挙となった(それ以前の選挙は、予め議席数の決まったリストに賛否を問うものでしかなかった)[1]。この地域で行われた自由選挙としては、1932年11月ドイツ国会選挙以来実に57年ぶりである[注釈 1]

選挙データ 編集

内閣 編集

投票日 編集

  • 1990年3月18日

改選数 編集

  • 400( 100)

選挙制度 編集

  • 議席阻止条項はなし
  • 得票は全国レベルで集票して各党に比例配分(ニーマイアー式による議席配分)
  • 次に各選挙区に選挙区毎の得票数に応じて、配分される。
  • 政党への助成 - 有効得票総数の 0.25% を得た政党には、1票につき5マルクが国庫補助金として支給される。

選挙結果 編集

e • d    1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙 1990年3月18日施行)
 
党派別獲得議席
政党/候補者名簿連合 議席数 増減 得票数 得票率
ドイツ連合[注釈 2] 192 新党 5,544,474 48.05%
キリスト教民主同盟 163   111 4,710,598 40.82%
ドイツ社会同盟 25 新党 727,730 6.31%
民主主義の出発 4 新党 106,146 0.92%
東ドイツ社会民主党[注釈 3] 88 新党 2,525,534 21.88%
民主社会党[注釈 4] 66   39 1,892,381 16.40%
自由民主同盟[注釈 5] 21   31 608,935 5.28%
同盟90[注釈 6] 12 新党 336,074 2.91%
ドイツ民主農民党 9   43 251,226 2.18%
東ドイツ緑の党独立婦人同盟[注釈 7] 8 新党 226,932 1.97%
ドイツ国家民主党 2   50 44,292 0.38%
ドイツ民主婦人同盟 1   31 38,192 0.33%
統一左翼行動同盟[注釈 8] 1 新党 20,342 0.18%
諸派[注釈 9] 0   133 52,773 0.45%
総計 400   100 11,541,155 100.0%
有効票数(有効率) - - 11,541,155 99.45%
無効票・白票数(無効率) - - 63,263 0.55%
投票総数(投票率) - - 11,604,418 93.38%
棄権者数(棄権率) - - 822,025 6.62%
有権者数 - - 12,426,443 100.0%
出典:IPU

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 1933年3月ドイツ国会選挙も複数政党のもとで行われたが、既にナチ党政権が成立しており、また国会解散後に国民の集会の自由および報道の自由を制限する「ドイツ民族保護のための大統領令」が、投票直前に国会議事堂放火事件が発生した後には事実上の戒厳令である「国民及び国家保護のための大統領令」がヒトラー首相の建議によってヒンデンブルグ大統領より出されていたため、選挙期間中に社会民主党など対立政党に対する様々な嫌がらせ・弾圧が行われていた。
  2. ^ 社会主義体制時代の衛星政党であるドイツキリスト教民主同盟(西ドイツの同名政党とは別団体)などが、西ドイツのドイツキリスト教民主同盟の支援を受けた連盟。
  3. ^ 第二次世界大戦直後の旧ソ連占領地区ではドイツ社会民主党ドイツ共産党と半強制的に合併させられドイツ社会主義統一党となっていたが、西ドイツのドイツ社会民主党の支援を受けて再建された。
  4. ^ ドイツ社会主義統一党(SED)が、ごく短期間は社会主義統一民主社会党(SED-PDS)を名乗ったのち、選挙前に再改名したもの。統一後、2007年に左翼党となる。
  5. ^ 社会主義体制時代の衛星政党であるドイツ自由民主党(1990年2月に LDPD を LDP に改めた)と東ドイツ自由民主党ドイツ語版 およびドイツ・フォーラム党(DFP)の3党で結成された連合体
  6. ^ 市民団体新フォーラム民主主義を今平和と人権イニシアティヴ連合体。1993年に旧西ドイツ側の緑の党と統合し、同盟90/緑の党となっている。
  7. ^ 東ベルリンの女性たちがドイツ民主婦人同盟に対抗して創設したグループ。
  8. ^ キリスト教社会主義者トロツキストチトー主義的な自主管理社会主義者などが集った統一左翼ドイツ語版(VL)とマルクス主義の正統派を名乗ったカーネーションドイツ語版ナデシコの意味。社会主義統一党を見限ったマルクス主義者が多かった)の連合体。のちに両者とも民主社会党と連携を組んだ。
  9. ^ 民主化以前の人民議会では、国民戦線ドイツ語版を形成していた自由ドイツ青年団(SEDの青年組織)・自由ドイツ労働総同盟(官製労組)・文化連盟などの諸団体にも議席が配分されていた。

出典 編集

  1. ^ ドイツ統一までの道のり - ドイツ連邦共和国大使館

参考文献 編集

  • 山田徹著『東ドイツ・体制崩壊の政治過程』(日本評論社)380頁、表12-1「選挙結果:各党の得票・議席数」

関連項目 編集