BRM・P61 は、ブリティッシュ・レーシング・モータース1963年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カートニー・ラッドが設計した。P61はロータスが前年に取り入れたモノコック構造を採用した初のBRMのマシンであった。P61は2戦に出走した後、基本的な設計上の問題からガレージ入りし、BRMは古くはあるがより信頼性の高いスペースフレームを持つP57で戦った。1964年には改修されたモノコック構造のマシン、P261が投入された。

BRM・P61
カテゴリー F1
コンストラクター ブリティッシュ・レーシング・モータース
デザイナー トニー・ラッド
先代 P57
後継 P261
主要諸元
シャシー セミ-モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, アウトボードスプリング/ダンパー
サスペンション(後) ド・ディオンアクスル, ダブルウィッシュボーン, コイルスプリングオーバーダンパー, アンチロールバー
エンジン BRM 56 1498cc V8 自然吸気 ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション コロッティ 6速 マニュアル ZF ディファレンシャル
タイヤ ダンロップ
主要成績
チーム オーウェン・レーシング・オーガニゼーション
ドライバー イギリスの旗 グラハム・ヒル
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1963年フランスグランプリ
出走優勝ポールFラップ
2000
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開発 編集

1962年ジム・クラークロータス・25が成功を収めた後、BRMもモノコック構造のマシンの開発を始めた。P61は真のモノコック構造のマシンではなく、後部サブフレームが前部のモノコック構造にボルト止めされていた。サブフレームには1.5リッターV8のP56エンジンとコロッティ製ギアボックスが搭載された。BRMのV8エンジンはおよそ200馬力を発揮し、F1エンジンで最も強力なフェラーリのエンジンに匹敵した。デザイナーのトニー・ラッドはシャシーの剛性を確信し、ドライバーとエンジンを隔てる後部隔壁を省略した。

レース戦績 編集

P61のデビューは1963年フランスグランプリで、チャンピオンのグラハム・ヒルがステアリングを握った。ヒルはスタート時にエンジンストールし、60秒のペナルティとプッシュスタートとなった。幸運にもヒルは3位に入賞し、4位のジャック・ブラバムには61秒の差を付けた。結果は有望だったが、隔壁無しのシャシーは急激な屈曲に悩まされ、問題点が直ちに明らかになった。P61は2戦をおいてイタリアグランプリに再び投入されたが、ヒルはクラッチの不具合でリタイアとなった。チームメイトのリッチー・ギンサーは旧型のP57で2位に入賞した。ギアボックスとシャシーの問題を直ちに解決することなく、BRMはP57でシーズンを終えた。

F1における全成績 編集

(key)(太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ポイント 順位
1963年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション BRM P56 2.1 V8 D MON
 
BEL
 
NED
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
ITA
 
USA
 
MEX
 
RSA
 
361 2位1
グラハム・ヒル 3 16
1964年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション BRM P56 2.1 V8 D MON
 
NED
 
BEL
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
ITA
 
USA
 
MEX
 
422 2位2
A.J.フォイト DNA DNA
1965年 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション BRM P56 2.1 V8 D RSA
 
MON
 
BEL
 
FRA
 
GBR
 
NED
 
GER
 
ITA
 
USA
 
MEX
 
452 2位2
リチャード・アトウッド DNA
1966年 レグ・パーネル・レーシング BRM P56 2.1 V8 D MON
 
BEL
 
FRA
 
GBR
 
NED
 
GER
 
ITA
 
USA
 
MEX
 
222 4位2
リチャード・アトウッド DNA

^1 BRM・P57のポイントも含む。
^2 全てのポイントはBRM・P261による。

参照 編集

  • Menard, Pierre (2000). The Great Encyclopedia of Formula One. London, England: Constable & Robinson Ltd. pp. 432. ISBN 1-84119-259-7 

外部リンク 編集