『F-1』えふわん)は、1976年10月に中村製作所(後のバンダイナムコアミューズメント)により製作・販売された、エレメカアーケードゲーム。ジャンルはレースゲームである。ハイフンを入れた『F-1』で表記されることもあるが、正式な商品名は『F1』である。

フィーチャー(ルール・演出) 編集

大型筐体の中に円筒形の大型幻灯機が入っており、これが回転しながら、プレイヤーの目前のスクリーンにレーシングコースとなって現れる。本物のサーキットは反時計回りなので、回転映像の投影も運転手の視野にあわせ、スクリーンの左上から中央下部へと流れる構造になっている。

コースの途中には他の車も表示されているので、プレイヤーはハンドルを切って投影画面を左右にずらし、他の車を避ける。衝突すると投影映像が、真っ赤な爆発炎上の絵に切り替わる。

これを続け、制限時間内に何点とれるかを競う。

コイン投入によるプレイ中と非プレイ中の連動構造の違いは、テレビゲームとエレメカでは異なっており、本作では非プレイ中でもハンドルを操作すると、スクリーンが左右に動く。こうした仕様は、他のエレメカでも一部に見られる。

開発の過程 編集

幻灯機式レースゲームは、関西精機製作所が1968年に作った『インディ500』が完成形の一つとして評価を受けており、他者から同システムの亜流エレメカが多数登場した(たとえばタイトーの子会社となるパシフィック工業が作った『ロードセブン』は、タイトーのコンピュータゲームスピードレース』の原型となっている)。

中村製作所では当初、創業者同士の交流があった事から関西精機のレースゲームを扱っていたが、1970年10月に改良版の『レーサー』を、1973年10月に大型スクリーンを採用した『フォーミュラX』を、そして画面以外を小型化した本作を1800台製作した。

本作は当時のエレメカ式レースゲームとしてはかなりの人気をおさめ、中村製作所と交流が始まったばかりのアタリ (企業)に1976年11月にライセンス生産された。

コピーゲームの問題 編集

国内では1976年末に潮産業が『ゼットマシン』(通称Z-M)というコピーゲームを作り、しかも同業者のタイトー社がロケーション(アーケードゲームの稼動場所)用に購入するという問題が発生した。タイトーによるとロケーションに欲しい『F1』が足りなかったため、仕方なく購入したという。

何から何までそっくりに作られていたが、オリジナルの『F1』では幻灯機の内容をスクリーンに正確に写すため、投影に使う電球は、L字型に曲げた特注品を使っていた。しかし『ゼットマシン』では普通の電球を使っていたため、投影映像と当たり判定にズレが出るというデッドコピーだった。

岩谷徹が『パックマンのゲーム学入門』で記した所によると、コピーゲームという違法行為の事実を押さえるため、現場に潜入する仕事をした事があるが、証拠写真を撮った所で相手に見つかってしまい、その時点では住居侵入罪で岩谷側に非があるため、やむを得ず撮影したフィルムをその場で処分したという。

この件は1977年3月にナムコ(この頃はこの社名に改名していた)が警告書を送ったが、潮産業は回答がなかった。次いで6月に実用新案件侵害で仮処分を申請、8月に製造禁止処分が言い渡されたが、潮産業は5月に倒産していた。タイトーとは10月に和解し、アミューズメント業界で紛争解決が行われた、日本初のケースとなった。

関連項目 編集

外部リンク 編集