INO-KONボンバイエ』(いのこんボンバイエ)は、毎日放送ラジオ(MBSラジオ)で、2007年度から2010年度までプロ野球のオフシーズン(10月~翌年3月)を中心に放送されていたスポーツ情報・バラエティ番組。

INO-KONボンバイエ
ジャンル スポーツ情報・バラエティ番組
放送方式 生放送
放送期間 2007年10月 - 2010年9月
(中断期間あり)
放送時間 該当項参照
放送局 毎日放送ラジオ
出演 近藤亨井上雅雄(いずれもMBSアナウンサー)、ヤナギブソン
藤村えみり
(2009年度・2010年アシスタント)
公式サイト 公式サイト
特記事項:
2009年度までは、プロ野球のオフシーズン限定で、毎週土曜日に放送。2010年度には、『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』として、プロ野球シーズンに不定期で日曜日に放送。
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2009年度(2010年4月3日)までは、オフシーズン限定の生放送番組として、毎週土曜日の夜に放送。2010年のプロ野球シーズン(4月~9月)には、ナイトゲームが全く予定されていない日曜日[1]に、『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』として放送された。

概要 編集

毎日放送ラジオでは、2007年度のナイターオフ期間(2007年10月~2008年3月)に、同局の若手・中堅アナウンサーをナイターオフ番組のパーソナリティに続々と起用。火~日曜に放送される番組には、『MBSどっと!アナ』という共通のレーベルを冠した。

当番組では、井上雅雄近藤亨(いずれもMBSのスポーツアナウンサー)をパーソナリティーに起用。『MBSどっと!アナ』土曜枠の番組として放送を開始した。同レーベルが消滅した2008年度には、独立番組として復活。2009年度にも、前年度より1時間長い放送枠を確保したうえで、放送を再開した。

番組タイトルの“INO-KON(いのこん)”は、井上・近藤の名字から頭文字をつなぎ合わせた造語。また、“ボンバイエ”は、アントニオ猪木の現役時代のリング入場曲『炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜』にちなむ。そのため、番組のテーマソングやジングルには、同曲のメロディーの一部が使われていた。[2]

当番組では、阪神タイガースをはじめ、放送週に国内外のスポーツ界で起きたニュースを紹介。実況バトル(クイズ)や競馬予想など、スポーツアナウンサーの特技を生かしたコーナーもある。2009年度には、井上の趣味であるダジャレ作りにちなんだ企画や、近藤が自身の子育てを語るコーナーなども放送された。

なお当番組は、2007年度に猪木本人をゲストに招いた際に、「アントニオ猪木公認番組」とのお墨付きを得た。その後は、「INO-KONボンバイエはアントニオ猪木公認の番組です」「元気があればラジオも聴ける! 1!1!7!9!ダー!」などと叫ぶ猪木の声を、一部のジングルで音源として使用。[3]

2010年には、番組史上初めて、プロ野球シーズンにも不定期の特別番組として編成。ナイトゲームが全く設定されていない日曜日[1]の17:59 - 21:00に、2009年度と同じ出演者で、『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』として放送していた。しかし、ナイターオフ編成で当番組の放送枠が『MBSとらぐみタイガースライブ!』(2010年度から新設、以下『とらぐみ』)と『茶屋町MBS劇場』(2009年度まで日曜日の夕方に放送)に充てられたため、『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』の最終回(2010年9月12日)をもって放送を終了。ただし、アシスタント以外のレギュラー出演者は『とらぐみ』でも続投。近藤とヤナギブソンが出演する日曜日には、当番組の企画を受け継ぐコーナーも放送された。

ちなみに、2011年のプロ野球シーズンには、『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』と同様の扱いで『MBSタイガースライブ番外編』を放送。近藤とヤナギブソンが、『とらぐみ』日曜日に続いてレギュラーで出演している。

出演者 編集

パーソナリティ
  • 近藤亨(MBSアナウンサー)
  • 井上雅雄(MBSアナウンサー)
    • スポーツ中継の関係でどちらか1名がスタジオに来られない場合には、滞在先から本人が電話で出演するか、スポーツアナウンサーの後輩・金山泉が代役を務めていた。
    • 2009年のオフシーズンまでは、先輩アナウンサー(当時)の大月勇が、少なくとも年に1回ゲスト扱いで登場していた。
レギュラー

以上の出演者は、2010年度のオフシーズンに『MBSとらぐみタイガースライブ!』へレギュラー出演(井上:火曜日、近藤・ヤナギブソン:日曜日)。また、近藤とヤナギブソンは2011年のナイターシーズンにおいて、中継のない日曜の『MBSタイガースライブ番外編』にも出演する。

アシスタント

いずれも当番組が初のラジオレギュラー

  • 藤村えみり(2009年度担当、『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』でも続投)[4]
    • 清水汐音(しみず・しおん、2008年度担当)
    • 新口絢子(2007年度担当)[5]

放送時間 編集

2010年度 プロ野球シーズン(『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』として不定期放送)

  • 日曜(ナイトゲームが全く予定されていない週のみ):17:59 - 21:00 (2010年4月11日~2010年9月12日)
    • 6月に毎週(4回)放送された一方で、8月には全く放送されず。その他の月には、平均で1~2回放送された。

2009年度

  • 土曜:17:45 - 20:30(2010年1月9日~2010年4月3日)
  • 土曜:17:45 - 21:00(2009年10月10日~2010年1月2日)
    • 2009年度には、前半の3ヶ月間、17:45 - 21:00の3時間15分番組として放送。[6]2008年度まで当番組の後枠(20:00 - 21:00)で放送していたラジオドキュメント番組『特集1179』が終了したため、同番組の放送枠を吸収する形で、前年度から放送時間を1時間延長した。ただし、20時台に特別番組を編成する週には、放送時間を17:45 - 20:00に短縮していた。
    • MBSラジオでは、2010年1月9日から、20:30 - 21:00に新番組『広澤克実とDr.イトーのレーザー交遊録!』を編成。その関係で、当番組の放送時間が30分短縮された。

2008年度

  • 土曜:18:00 - 20:00(2008年10月~2009年3月末)

2007年度

  • 土曜:18:00 - 19:30(2007年12月~2008年3月末)
  • 土曜:18:00 - 20:00(2007年10月~2007年11月末) 
    • 正式タイトルは、『MBSどっと!アナ土曜日 INO-KONボンバイエ』。当番組の放送枠の一部で『三枝輝行の商い勘所』を編成した2007年12月から、放送時間を30分短縮した。

主なコーナー 編集

「INO-KONボンバイエ」 編集

2009年度
2009年10月10日~2010年1月2日のタイムテーブルを基準、「 」は放送上のタイトル、時刻は目安。
◎:2007年度から放送されていた企画
※:『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』でも継続
17時台

  • オープニング
    • 出演者の近況報告や、スポーツに関する最近の話題を中心に、18時過ぎまで続く。コーナーの最後には、リスナーに向けて、当日のメッセージテーマを発表した。

18時台

  • 「INO-KONスポーツ喜怒哀楽」 ◎
    • 放送週のスポーツニュースから4項目を、喜・怒・哀・楽に分けたうえで、1項目ずつ紹介。一時は、「INO-KONスポーツファイター」と称していた。近藤・井上がスポーツ取材・中継の裏話を披露することもあった。
  • 「ヤナギブソンの誰が興味あんねん?」◎※
    • スポーツ通を自称するヤナギブソンが、放送週に報じられたスポーツニュースから、自分だけしか興味を示さないような面白いエピソードを3本紹介した。
    • 2007年度の放送開始から2009年11月14日までは、「週刊ヤナギブソン」というタイトルで放送。2009年11月21日の放送から、ヤナギブソンの意向で、現在のタイトルに変更された。[7]

19時台

  • 「INO-KONトーク“元気ですかー!”」
    • 現役のアスリートに限らず、旬の人物やスポーツ好きの芸能人がゲストに出演。レギュラー出演者全員が交互に質問を出す「バトルロイヤルクエスチョン」を通じて、ゲストの素顔に迫る。タイトルコールの“元気ですかー!”には、事前に収録したアントニオ猪木の実声が使われていた。
    • 放送時間を短縮した2010年1月9日からは、主に18時の後半~19時過ぎに放送。事前に収録したインタビューを流すこともあった。
  • 「炎の実況バトル」 ◎※
    • 井上・近藤を中心に出題される実況クイズ。目の前にある物や、目の前でヤナギブソン・藤村が行う動作を制限時間以内に実況したうえで、生放送中にリスナーから解答を募集した(20時まで受付)。リスナー向けのクイズである以上、実況する物や動作の具体名を言えない趣向になっていた。
    • 番組のエンディング間際に、正解・回答件数・正解者数・正解率を発表。正解者の中から、抽選でリスナーにプレゼントを進呈した。
    • 2009年度には、実況者(1名)をくじ引きで決めてから、実況を始めることが多い。ただし、2008年度までのように、井上と近藤の対決形式で放送される場合もある。後者の場合には、正解者・正解率の多さを競う。ゲストを迎えての実況バトルや、代役で出演するアナウンサーからの出題になることもあった。[8]
    • MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』では、リスナーからの正解率を100%にすることを目標に、「目指せ100% 炎の実況バトル」として放送。[9]近藤と井上が、放送回ごとに交互に実況していた。
  • 「馬駆ける青春」 ◎
    • 当番組の出演者(INO-KONチーム)と、MBSラジオ『サンデー競馬中継 みんなの競馬』で実況を担当するアナウンサー(みんなの競馬チーム)が、放送翌日に同番組で中継予定のメインレースの予想で対決。どちらのチームが予想を的中させるかを、リスナーに投票させていた。
    • 予想の範囲は放送年度によって違うが、一方のチームの予想が的中した場合には、そのチームに投票したリスナーから抽選で1名に対象馬券の払戻金を進呈した。
    • 『みんなの競馬』チームでは、競馬実況を担当するアナウンサー(美藤啓文来栖正之仙田和吉など)から1名が、ほぼ毎回スタジオか電話で出演。2009年度には、同年9月まで11年にわたって中継アシスタントを務めた小山浩子(フリーアナウンサー)が、“女予想師”として登場した。また、2010年に入ってからは、予想や結果をめぐって、(放送上)ヤナギブソンと藤村によるバトルが続いた。

20時台
編成上の都合で番組終了時間を20:00に繰り上げた週や、レギュラーの放送時間を短縮する2010年1月9日以降は、一部のコーナーを19時台に繰り上げて放送した。

  • 「My Favorite Best 3」
    • 近藤と井上が毎週交互に1名で担当するコーナーで、20時の時報明けに放送。自分が気に入っていることをテーマに、自分にとってのベスト3を落ち着いたトーンで語ってから、そのテーマにちなんだ楽曲を1曲放送した。
  • 「解答!近藤亨」
    • 1つのテーマについて、番組やリスナーで作成したマニアックなクイズを井上が出題。「博学」を自称する近藤を中心に、他の出演者が手持ちの知識を駆使しながら解答を試みる。ちなみに、オープニングには、"かいとう"つながりで「ルパン三世のテーマ」が流れた。
  • 「井上雅雄の三十路ボンバイエ」(2009年12月12日から開始)
    • 30代に入ったばかりの井上を中心に、リスナーからの投稿を織り交ぜながら、三十路ならではの習慣(三十路あるある)を紹介するコーナー。投稿を紹介するたびに、ケツメイシの楽曲「三十路ボンバイエ」のサビが流れた。
    • 2009年度は当初、11月14日まで「井上雅雄のダジャレ王国」を放送。「三度の飯よりダジャレが好き」と自称する井上が、あるお題にちなんで作ったダジャレを、他の出演者に当てさせていた。[10]
  • 「えみりの英語を教えてあ・げ・る」※
    • 井上がダンロップフェニックストーナメントテレビ中継のラウンドリポートを担当した関係で当番組に出演しなかった2009年11月21日に、「井上雅雄のダジャレ王国」の穴埋め扱いで初めて放送された英語クイズ。翌週(同月28日)の放送から、正式にレギュラーコーナーへ昇格した。
    • イギリスへの留学経験がある藤村が、ある楽曲の日本語の歌詞を、あらかじめ英語で意訳。当初は、藤村が英語で読む歌詞から、他の出演者がその曲のタイトルを当てるという趣向になっていた。[11]レギュラー化以降は、「宿題」と称して、リスナー向けのクイズに特化している。
  • 「近藤パパのパパ日記」
    • 2009年9月に第1子を授かったばかりの近藤が、新米パパとしての気持ちを、毎回エッセー風に語った。

2008年度のみ

  • 「近藤亨の検定とおる?」
    • さまざまな分野の検定試験で出された問題に、近藤が毎回挑戦した。
  • 「井上雅雄のとんちアカデミー」
    • 井上が“館長”の肩書きで登場。リスナーから送られた面白そうな“とんち”を紹介した後に、井上館長自らとんちを披露していた。

「MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ」 編集

以下では、2010年のプロ野球シーズン限定で放送される企画・コーナーを記す。

  • 阪神タイガースの現役選手によるオープニングコメント・タイトルコール
  • 「今週のプロ野球ニュース」
    • 18時台の前半に放送。放送日のデーゲームの結果を交えながら、「バイブレーション」(ジェームスラストバンド、『プロ野球ニュース』の「今日のホームラン」テーマ曲)をBGMに、近藤と井上がプロ野球各球団の近況を伝えた。阪神タイガースとオリックス・バファローズについては、放送当日のデーゲームを含めた1週間の通算成績も紹介している。
  • 「こんな時にはシチュエーソング」
    • 当番組には珍しく、音楽を中心に据えたコーナーで、19時台と20時台に放送。タイトルの「シチュエーソング」とは、「シチュエーション(場合)に見合った曲」を意味した造語である。
    • 藤村が想定するシチュエーションを"お題"に、男性陣が「そのお題に見合う」と思う楽曲を、1人につき1曲紹介。放送中に全曲流してから、藤村が最も気に入った楽曲を「シチュエーソング」に選んでいた。
  • 「INO-KON LOVERS」
    • 19時台の前半に放送。スポーツに限らず、特定の分野に並々ならぬ情熱を注ぐ人(LOVER)をスタジオに招いて、その情熱のほどを聞く。「INO-KONトーク“元気ですかー!”」 より間口が広いのが特徴で、亀山つとむ(MBS野球解説者)や尾川智子(フリークライマー)などが登場した。
    • 最終回(2010年9月12日放送)では、スタジオにゲストを招かず、ヤナギブソンが自らの希望でNBAの魅力を語った。
  • 「藤村えみりの“こんなの初めて”」
    • 20時過ぎに放送。「『INO-KON』の時間をお借りする」との名目で、藤村のみ出演するコーナー。「初めて」をテーマに、生放送でのワンマントークに"初めて"挑戦した。
  • 「INO-KON SUNDAY」
    • 20時半頃に放送。放送日近辺で話題になった芸能ニュースを紹介。最近の芸能情報に詳しくない近藤を、他の出演者がいじる格好でトークを展開していた。

ちなみに、『MBSタイガースナイター』枠の共通コーナーでもある「MBS交通情報」(19時台)では、井上がスタジオから近畿圏の道路交通情報を伝えていた。

補足 編集

  • 当番組は、MBSラジオのスポーツ部が制作を担当。そのせいか、同局の他番組よりもノベルティの内容が良かった。[13]
  • 年末年始に放送する場合には、MBSテレビ全国高等学校ラグビーフットボール大会のハイライト番組(ラグビー経験者の井上が出演)・決勝戦中継(近藤が実況を担当)を編成する関係で、同大会のイメージキャラクターを務めるミスマガジンを必ずゲストに招いていた。[14]
  • 毎年3月の大相撲春場所直前の放送では、大の相撲好きにして、近藤がファンである聖飢魔IIのボーカル・デーモン小暮が私見を交えながら春場所の展望を披露している。2007・2008年度には生放送中に電話で出演していたが、2009年度(2010年3月12日放送)には、近藤による"謁見"(MBS東京支社での事前収録によるスペシャルインタビュー)が初めて実現。以降の放送では、その際に収録されたと思われるデーモンのジングルを、CMの前後に随時流していた。

放送でのエピソード 編集

  • ヤナギブソンは、2008年度と2009年度の第1回放送に電話で出演。いずれも、当番組の生放送が別の仕事と重なったことによる。他のレギュラー出演者も、別の仕事・取材先から電話で出演したり、番組の途中からスタジオに入ったりすることが少なからずあった。
  • 2008年12月13日の放送では、ヤナギブソンが所属するザ・プラン9浅越ゴエが「炎の実況バトル」に参戦。井上との実況バトルを制した。
  • 2009年2月7日の放送では、同月1日付で中京テレビから毎日放送へ移籍したばかりの金山が、自己紹介を兼ねて毎日放送の番組に初登場。生涯初のラジオ番組出演ながら、実家が寺である関係で得度の資格を有していることや、東京ヤクルトスワローズのファンであることなどを明かした。また、スポーツアナウンサーとしての入社であるため、当番組への初出演にしていきなり「炎の実況バトル」の出題者になった。
  • 2009年12月19日には、「世紀の一戦」と銘打って、浅越と近藤による5番勝負を放送。[15]勝負が終わるたびにリスナー投票を実施した結果、前年度に続いて浅越が勝利を収めた。

脚注 編集

  1. ^ a b ナイターの予定があっても、阪神タイガースが絡まない薄暮試合のみの場合には、ニッポン放送からの該当試合中継のネット受けの代わりに当番組を放送することがあった。
  2. ^ 『炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜』は、1984~86年度のナイターオフ期間にMBSラジオで放送された音楽番組「ホームラン歌謡劇場」でもテーマソングに使われていた。ちなみに、同番組のパーソナリティ・伊東正治は、出演当時同局のスポーツアナウンサーであった。
  3. ^ 「1!1!7!9!ダー!」は、猪木の絶叫として知られる「1!1!7!9!ダー!」に、MBSラジオの周波数(1179kHz)を掛け合わせていた。他にも、『炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜』のメロディーに乗せて、近藤が番組のタイトルと周波数を歌うジングルが随時放送された。しかし猪木自身は、2008年にイベントのPRを兼ねて当番組にゲストで出演した際に、ジングルの収録も当番組の公認も覚えていなかった。
  4. ^ 近藤曰く「歴代のアシスタントで、少なくとも一番の物知り」(2009年11月21日放送のエンディングより)。英語が堪能で、馬券予想の心得もあるため、ヤナギブソンからも放送中に再三「この番組にはもったいないほどのアシスタント」と言われていた。
  5. ^ 出演当時は同志社大学2年生。当番組ではもっぱら、"にぐにぐ"の愛称で呼ばれていた。大学卒業後の2011年4月から、茨城放送アナウンサーを経て、NHK奈良放送局の契約キャスターとして活動。
  6. ^ 第1回を放送してから、『MBSタイガースナイタースペシャル』としてクライマックス・セ(第1ステージ=17日、第2ステージ=24日、いずれもMBSラジオ制作)と日本シリーズ(10月31日と11月7日、いずれもSTVラジオ制作・NRNラインのネット受け)を中継した関係で、4週にわたって休止した。毎週放送するようになったのは、同シリーズ終了後の11月14日からである。
  7. ^ 当日の放送中に変更を発表した際のヤナギブソン本人のコメントより。
  8. ^ 浅越ゴエが挑戦した際の正解率は、番組史上最高の99.1%だった(2010年9月12日放送『MBSタイガースナイタースペシャル INO-KONボンバイエ』内の当コーナーより)。
  9. ^ 正解率が100%の場合には、通常は正解者から抽選で1名に進呈する『MBSタイガースナイター』の特製クオカードを、5名にプレゼントすることになっていた。しかし実際には、100%に達したことがなかった。
  10. ^ 2009年の第1回放送では、井上が披露するダジャレの出来具合を、他の出演者が評価する趣向だった。しかし、ダジャレの良しあしを判断する基準が出演者によって違うことが判明したため、同年11月14日の放送から内容を変更した。ちなみに、オープニングには、「ジャングル大帝のテーマ」を流している。
  11. ^ コーナーの開始当初は、藤村以外の出演者がクイズへ入る前に、好きな外国人の名前を1人ずつ発表。クイズに解答する際には、最初にその名前を言うことになっていた。
  12. ^ 実際には、『ノムラでノムラだ♪ EXトラ!』用のインタビューとセットで収録していた(2010年9月12日の当番組オープニングで井上が証言)。
  13. ^ 2008年度は、三色ボールペン、ポストイットセット。2009年度は、三色ボールペン、三菱鉛筆のシャープペンシルクルトガ
  14. ^ 2007年度には鹿谷弥生、2008年度には桜庭ななみ、2009年度(2010年1月2日放送分)には小林さりが、それぞれ「INO-KONスポーツ喜怒哀楽」へスペシャルゲストとして生出演。レギュラー陣から質問攻めに遭っていた。
  15. ^ 生放送中に「炎の実況バトル」で正解率を競ったほか、早口言葉、古今東西ゲーム、常識クイズ、運勢占いで対決。早口言葉の対決で大差が付いた。

外部リンク 編集

毎日放送ラジオ(MBSラジオ) ナイターオフ 土曜17:45-18:30
前番組 番組名 次番組
(2007年度~2009年度)
INO-KONボンバイエ
(2010年度)
フォーエバー・コミュニケーション あなた日和(17:45 - 17:59)
MBSとらぐみタイガースライブ!(17:59 - 18:30)
毎日放送ラジオ(MBSラジオ) ナイターオフ 土曜18:30-20:00
亀山つとむのサタスポ!
INO-KONボンバイエ
毎日放送ラジオ(MBSラジオ) ナイターオフ 土曜20:00-21:00
INO-KONボンバイエ
茶屋町MBS劇場