K12 (ウルドゥー語: کے ۱۲‎)は、カラコルム山脈サルトロ山地英語版で2番目に高い山である。シアチェン地域の管理ラインの近くにあり、インドが実効支配している。その名称は、カラコルム山脈の最初の測量でつけられた名称に由来する。

K12
K12の位置(ラダック内)
K12
K12
インド・ラダックにおける位置
最高地点
標高7,428 m (24,370 ft) [1]
世界61位
プロミネンス1,978 m (6,490 ft) [1]
総称ウルトラ・プロミネント峰
座標北緯35度19分16.9秒 東経76度59分59.9秒 / 北緯35.321361度 東経76.999972度 / 35.321361; 76.999972座標: 北緯35度19分16.9秒 東経76度59分59.9秒 / 北緯35.321361度 東経76.999972度 / 35.321361; 76.999972
地形
所在地シアチェン地域。インドが実効支配し、ラダックの一部としている。
所属山脈カラコルム山脈 サルトロ山地英語版
登山
初登頂1974年 日本・京都大学隊
最容易
ルート
snow/ice climb
プロジェクト 山

概要 編集

K12はシアチェン氷河の南西に位置する。K12からの氷河は北東の斜面に向かい、シアチェン氷河に続いている。K12の西面はビラフォンド氷河系に続き、そこからダンサム川を経て最終的にはインダス川に流れる。

この地域の不安定な政治情勢と軍事活動の継続のため、K12への登山は長らく行われてこなかった。初めての挑戦は、1957年の探検家エリック・シプトンによるカラコルム探検の後の1960年である。1971年に日本隊が挑戦したが失敗した。 1974年9月1日、日本の京都大学山岳部の高木真一と伊藤勤が初登頂に成功したが、同日夕方に消息を絶った。下山中に滑落して死亡したものとみられる[2][3]。遺体は回収されていない。別の日本隊が1975年に2度目の登頂を行った。1984年、インド軍が、シアチェン氷河における管理ラインの境界が設定されていない部分に対するパキスタンによる領有主張に対抗する計画の一環として、この山に登頂した。Himalayan Indexには、その後の登頂や登頂挑戦の記録はない[4]

脚注 編集

  1. ^ a b High Asia I: The Karakoram, Pakistan Himalaya and India Himalaya (north of Nepal)”. Peaklist.org. 2014年5月27日閲覧。
  2. ^ 「初登頂、下山中に遭難 京大隊の2人不明」『朝日新聞』昭和49年(1974年)9月11日夕刊、3版、9面
  3. ^ 松沢哲郎. “玄冬の AACK:京都大学の過去 100 年間の登山活動”. 京都大学ヒマラヤ研究会. 2019年12月5日閲覧。
  4. ^ Himalayan Index

情報源 編集

  • Jerzy Wala, Orographical Sketch Map of the Karakoram, Swiss Foundation for Alpine Research, 1990.
  • Jill Neate, High Asia: an illustrated history of the 7,000 metre peaks, The Mountaineers, 1989.