Q...』 は、1960年代から1980年代にかけて放送された、超現実的 (Surrealコメディ・スケッチのテレビ番組である。執筆はスパイク・ミリガンニール・シャンド英語版が担当し、ミリガンが主演、ジュリア・ブレック英語版ジョン・ブルーサル英語版ボブ・トッド英語版ジョン・ウェルズ英語版などが助演した。番組は1969年から1982年までBBC Twoで放送された。全6シリーズが制作され、最初の5シリーズには "Q5" から "Q9"、最終シリーズには "There's a Lot of It About" とのタイトルが付けられた。第1シリーズ・第3シリーズは7話、その他のシリーズは6話から構成されており、放送時間はいずれも30分だった。

Q...
ジャンル コメディ
原案 スパイク・ミリガン
ニール・シャンド英語版
出演者 スパイク・ミリガン
国・地域 イギリスの旗 イギリス
話数 38
各話の長さ 30分
放送
放送チャンネルBBC
放送期間1969年3月24日 (1969-03-24) - 1982年10月25日 (1982-10-25)
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番組のタイトルについては、様々な理由が考えられている。1つはキュナード・ラインが保有するクルーズ客船クイーン・エリザベス2の建設に影響を受けたとするものである。この船は1967年9月に進水し、以前は "Q4" と呼ばれていた(一方シリーズは "Q5" からスタートしている)。また他にも、当時BBCが使っていた技術的品質6段階尺度(英: 6-point technical quality scale)にミリガンが触発されたという説もある。当時の技術では、"Q5" だと映像や音声に深刻な劣化・乱れが見られ、"Q6" では音声・映像共に完全に失われてしまう。このスケールは技術部の尽力で後に "Q9" までの9段階に拡張された。また最終シリーズのタイトルについては、ミリガンの伝記によると、BBC側が一般には "Q10" が分かりにくすぎると感じ、それから "There's a Lot of It About" に変更されたと書かれている[要出典]

コメディ界の先駆けとして 編集

ザ・グーン・ショー』など、ミリガンの活動初期に作られた作品では「行き当たりばったり」といった展開が多い一方で、この『Q...』シリーズは、多くの人に英国コメディの画期的な転換点と考えられている。特に、1969年3月24日に初回が放送された "Q5" では、その超現実的傾向やほとんど意識の流れに沿った構成が、数ヶ月後に初回が放送された『空飛ぶモンティ・パイソン』の先駆けと見なされた[注 1][1]モンティ・パイソン自身でも、"Q5" を見てから、意図していた構成が既に用いられていることに気付き、自分たちのシリーズの特徴として視聴者を引きつける新たな策を慌てて探したと述懐している[2]。モンティ・パイソンの1人、マイケル・ペイリンは、「テリー・ジョーンズと自分は Q... が大好きでね・・・・・・[ミリガン]はテレビの前の熱狂的なファンを巧みに操った初めての作家だね」と回想している[3]

ポーリーン・スクーダモアが書いたミリガンの伝記には、同じくパイソンズの一員、ジョン・クリーズへのインタビューが掲載されている[4]

「番組は他の作品への道として準備され、本物の大躍進を作った番組は時には見落とされる。スパイク・ミリガンの "Q5" は見損なわれていた・・・・・・初めて "Q5" を見た時には、番組が自分たちのやろうとしていたことそのもので、しかもミリガンが実に鮮やかにやってのけていたので、とても落ち込んだ。しかし実際には誰も "Q5" には気付いていなかったんだ。テリー・ジョーンズ、マイケル・ペイリン、テリー・ギリアムは打ちのめされた。ジョーンズは『"Q5" を見たら、全員、自分たちの銃がスパイクに使われたような気になったよ!これまで3年くらいキワモノやスケッチを書いてきたけれど、常に始まりがあって、中間があって、結びのオチがあるようなものだった。突然、スパイク・ミリガンを見てからだね、そんなものやる必要なんてないと悟ったんだ』と書き付けた」 — ジョン・クリーズ、[注 2][4]

パイソンズが2004年に出版した自伝でも、クリーズはテリー・ジョーンズとの会話を記録している。

「2人ともたまたまスパイク・ミリガンの "Q5" を見たんだ。そして2人の内どっちかが電話をかけて、ある種冗談に、それでいて不安気に、『あれは僕らがやろうとしていたものだと思うんだけど?』と言った。そしたらもう片方が言ったんだ、『こっちも同じ事を考えていた』ってね。僕らはスパイクが自分たちの試そうとしたところへ着いてしまったと感じたけれど、以前の自分たちは質問をされても、その気持ちがどんなものだったか上手く表現できなかっただろうね。でも、スクリーンであの作品を見た時に僕らはそう悟ったんだ。そしてある点で、スパイクが成し遂げた事実は、きっと自分たちを、前に思っていたよりもほんの少し先に進ませてくれるんだと感じたのさ」 — ジョン・クリーズ、(p. 191).[注 3][5]

マイケル・ペイリンは、同じくパイソンズの自伝中で、このシリーズの監督だったイアン・マクノートンに会った際の思い出を記している。

「ひとりはイアン・マクノートン、僕ら全員がテレビで放送された最高のコメディ番組だと思っていて、確実にはるか先を走っていた、スパイク・ミリガンの Q5 シリーズの監督だった・・・・・・」 — マイケル・ペイリン、(p. 218).[注 4][5]

またペイリンは、自身とジョーンズが "Q..." シリーズに大変感銘を受け、Q5 シリーズを監督していたマクノートンに自分たちの番組を監督してほしいとはっきり実感したと述べている[3][5]。マクノートンは Q5 シリーズの監督を担当した後、『空飛ぶモンティ・パイソン』全45話のうち41話で監督を行った[6]

発展 編集

空飛ぶモンティ・パイソン』が1969年から1974年にかけて4シリーズを放送したのに対し、BBCに対するミリガンの激しい態度のせいで、彼は第2シリーズである "Q6" を委託されるのに1975年まで待たなければならなかった。シリーズはこの後も散発的に制作された。"Q7"1977年"Q8" は直後の1978年に制作された。"Q8" のオープニング・クレジットでは、「クウェート」(: 'Kuwait)との単語が 'Q8' とのタイトルに変わっていくが、これはクウェート石油公社英語版による商標登録の2年前に放送された。"Q9"1980年、そして最終シリーズ "There's a Lot of It About"1982年に放送された。ミリガンは、BBCが『空飛ぶモンティ・パイソン』などのシリーズに比べて『Q...』シリーズを冷淡に扱ったことに憤慨し、常に「機会を与えてくれればもっと制作してやる」と息巻いていたという。番組はミリガンと共筆者のニール・シャンド英語版によって執筆された。後年に放送されたいくつかのエピソードでは「その他の貢献」(英: "additional contribution")があったとして、デイヴィッド・レンウィック(英: David Renwick)、アンドリュー・マーシャル(英: Andrew Marshall)、ジョン・アントロバス英語版のいずれかないし全員がクレジットされている。

ミリガンの自由な超現実的ウィットは、『Q...』シリーズによって脚光を浴びた。スケッチは展開が速く込み合ったものになり、次から次へと流れていく構成となった。また1つの題材や場所から突飛な飛躍をすることも、明らかなオチが無いこともしばしばだった。衣装ですら無鉄砲で矛盾したものであり、いくつかのエピソードではBBC衣装部のタグが付いたまま演技をしていることもある。またミリガンは大きな鼻と帽子が好みのようだった。

一方で、ユダヤ人パキスタン人など、論争を呼びそうな人種ネタを多く書くミリガンの傾向は批判されており、1970年代の基準に照らしてみると、シリーズ全体としては明確なリスクがあった。

ほぼ全エピソードに、ジュリア・ブレック英語版が演じ、着衣が乱れていて巨乳の『グラマーな引き立て役』(英: "glamour stooge")が登場している。

現存するエピソード 編集

『Q...』シリーズのエピソードは、全38話のうち34話が現存している。1970年代中盤を通してBBCは、ビデオテープの再利用を理由に、以前放送した番組のマスター・コピーを「ワイピング」 (wipingして破棄したり、保管コストを抑えるためマスター・ビデオテープを処分したりしていた。この方針のせいで、"Q5" 全7話のうち4話は失われ、また2話も白黒のフィルム撮りでしか残っていない。それ以降のシリーズは全編が現存している。シリーズ全話は1980年代にオーストラリアの放送局でも放送されたが、これはミリガンが当時オーストラリアに住み、演劇活動も行っていたためと考えられる[注 5]

"Q5" は3話分しか現存しておらず、エピソード2・3はどちらも16mmフィルムによる白黒のフィルム撮りである(エピソード3には、コピーを行う際に「エピソード5」と誤ったラベリングがなされている[7])。"Q5" では1話のみが元のカラー映像で残っているが、エピソード番号は判明していない。このカラー映像から短いクリップを抜粋したものがドキュメンタリー番組 "Heroes of Comedy: Spike Milligan" で使われたほか、2014年12月に放送されたBBC Fourの番組 "Assorted Q" でも用いられた。

ゲスト 編集

エピソードの大半で比較的「単純な」間奏曲が演奏されるが、これはミリガン本人によって演奏されることも、エド・ウェルチ(: Ed Welch)やアラン・クレア英語版によりピアノで演奏されることもあった[注 6]。番組にはジャズ・グループや、ラグタイム・バンド、シンガー・ソングライターなども出演した。マイク・サムズ・シンガーズ英語版(英: The Mike Sammes Singers)は、あるエピソードで、演奏の終わりに自分たちの顔でカスタード・パイを受け止めるというパフォーマンスまで行った。これらの音楽演奏のクリップは、BBC Fourのシリーズ "Jazz Britannia" (enでも放送された。

レギュラー・キャスト 編集

スタッフ 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『空飛ぶモンティ・パイソン』の初回放送は1969年10月5日。
  2. ^ 原文:"Shows prepare the way for other shows, and sometimes shows that make genuine breakthroughs are missed. Spike Milligan's Q5 was missed...when we first saw Q5 we were very depressed because we thought it was what we wanted to do and Milligan was doing it brilliantly. But nobody really noticed Q5". Terry Jones, Michael Palin and Terry Gilliam concurred. Jones noted that "watching Q5, we almost felt as if our guns had been Spiked! We had been writing quickies or sketches for some three years and they always had a beginning, a middle and a tag line. Suddenly, watching Spike Milligan, we realized that they didn't have to be like that".
  3. ^ 原文:"We both happened to watch Spike Milligan's Q5, and one or the other of us phoned up and said kind of jokingly but also rather anxiously, 'I thought that's what we were supposed to be doing?' And the other one said, 'That's what I thought too.' We felt that Spike had got to where we were trying to get to, but if you'd asked us the previous day, we couldn't have described very well what that was. However, when we saw it on the screen we recognised it, and in a way the fact that Spike had gone there probably enabled us to go a little bit further than we would otherwise have gone"
  4. ^ 原文:"One was Ian MacNaughton, director of the Spike Milligan Q5 series which we all thought was one of the best comedy shows on TV and certainly the most far ahead..."
  5. ^ ミリガンの母は英国出身だが、後にオーストラリアに移住し、晩年には帰化した。
  6. ^ ミリガン自身はトランペット片手に軍の慰問に回っていたこともある人物で、ウクレレギターなども弾くことができた[8]。またクレアは英国出身のジャズ・ピアニスト。

出典 編集

  1. ^ BBC Comedy - Q” (Date unknown). 2009年10月22日閲覧。
  2. ^ Scudamore, Pauline (1985). Spike Milligan: A Biography.. London: Granada. ISBN 0-246-12275-7. OCLC 14360232 [要ページ番号]
  3. ^ a b Ventham, Maxine (2002). “Michael Palin”. In …. Spike Milligan: His Part in Our Lives. Robson. pp. 156–159. ISBN 1-86105-530-7. "Terry Jones and I adored the Q... shows...[Milligan] was the first writer to play with the conventions of television."  (quote at (a), p.157)
  4. ^ a b Scudamore (1985, p. 170)
  5. ^ a b c Chapman, G.; Cleese, J.; Gilliam, T.; Idle, E.; Jones, T.; Palin, M. (2004), Bob McCabe, ed., The Pythons Autobiography by The Pythons, London: Orion, ISBN 0-7528-6425-4  Chapman's posthumous input via collateral sources
  6. ^ “Ian MacNaughton, a 'Monty Python' Director, Dies at 76”. ニューヨーク・タイムズ. (2003年1月3日). http://www.nytimes.com/2003/01/03/arts/ian-macnaughton-a-monty-python-director-dies-at-76.html 2016年8月10日閲覧。 
  7. ^ Lost Shows website”. 2016年8月10日閲覧。
  8. ^ Stephen Dixon (2002年2月28日). “Obituary: Spike Milligan”. ガーディアン. https://www.theguardian.com/news/2002/feb/28/guardianobituaries.booksobituaries 2016年8月10日閲覧。 
  9. ^ Terry Jones (2002年12月27日). “Obituary: Ian Macnaughton”. The Guardian. 2016年8月11日閲覧。

参考文献 編集

外部リンク 編集