TAKAみちのく

日本のプロレスラー (1973-)

TAKAみちのく(タカみちのく、1973年10月26日 - )は、日本男性プロレスラー千葉県四街道市出身。血液型B型。現在は新日本プロレスのユニットJust 5 Guysのリーダー格。

TAKAみちのく
TAKAみちのくの画像
プロフィール
リングネーム TAKAみちのく
PIZAみちのく
ペペ・みちのく
ブルーK(初代)
本名 非公開
ニックネーム 疾風のテクニシャン
青の司令塔
世界一ズル賢い男
身長 175cm
体重 77.7kg
誕生日 (1973-10-26) 1973年10月26日(50歳)
出身地 千葉県四街道市
所属 JTO
スポーツ歴 レスリング
バスケットボール
トレーナー グラン浜田
ザ・グレート・サスケ
デビュー 1992年9月4日
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2002年4月に有限会社かいえんたいどうじょうを設立して2019年1月まで代表取締役社長を務めていた[1]

来歴 編集

父が雪印に勤めていたため、千葉県四街道市、石川県金沢市岩手県盛岡市と転勤を繰り返していた。

岩手県立盛岡工業高等学校卒業後、ユニバーサル・プロレスリングに入門。

1992年9月4日、ユニバーサル・プロレスリング後楽園ホール大会の対スペル・ティグリート戦でデビュー。リングネームはユニバーサル・プロレスリングの先輩であり、同郷でもあるザ・グレート・サスケの若手時代のリングネーム「MASAみちのく」を引き継いだものである。また、三度笠の旅烏スタイルでファイトをしていた。9月、ユニバーサルのシリーズ終了後にサスケから、みちのくプロレスの旗揚げ構想を聞かされると同時にサスケに誘われて、みちのくプロレスに入団。以降はサスケと共に、みちのくプロレスの設立準備を続けていた。

1994年4月16日、新日本プロレス主催で開催された「SUPER J-CUP」に出場。6月、新日本プロレスで開催された「BEST OF THE SUPER Jr.」に出場。同年、ルード軍「デルフィン軍団」に加入したことで軍団結成時からのメンバーである愚乱・浪花と対立。9月29日、浪花とのデルフィン軍団遺恨清算マッチ後に浪花と和解。その年のタッグリーグ戦「みちのくふたり旅」に2人で出場した。

1995年12月13日、船木勝一とタッグチーム「夢狩人」を結成。

1996年6月14日、船木と共にルード軍「海援隊☆DX」に加入。

1997年5月、メキシコ遠征に行く。7月、WWFでサスケのトライアウトの対戦相手に指名されてカナダで2連戦が行われ、逆にTAKAがトライアウトに合格。理由はサスケの体調がよくないことと黒装束がアメリカでは悪役にしか見られなかったことが影響している。このことで、サスケは横取りされたと激怒して2人の仲に亀裂が生じた(実際の理由はサスケ自身がみちのくのトップであり、最大のスターであるサスケが不在にする間のみちのくプロレスへの補償問題と言われている)。TAKAは10月にWWFと契約を結んで、10月10日に行われたみちのくプロレスの両国国技館大会に参戦。サスケとのシングルマッチが行われたが、敗北を喫した。試合終了後、TAKAは「サスケ、みちのく潰すなよ!」とヒールとしては異例のマイクを残し、サスケと握手を交わした。12月7日、王座決定トーナメントで優勝して初代WWFライトヘビー級王者(復活版)になった。

1998年3月29日、WWFで年間最大の祭典であるレッスルマニアXIVに日本人レスラーとして初出場。アギラとのWWFライトヘビー級選手権試合に勝利して初防衛に成功。また、フナキとのタッグチーム「カイエンタイ」では、英語でマイクアピールが出来ないという欠点を逆手に取り、映画の吹き替えのように「口と声が合っていない」マイクアピールを行い、不思議な人気を獲得。この頃、カイエンタイのTシャツが売り上げNo.1になったこともある。

1999年3月13日、みちのくプロレス矢巾町民総合体育館大会に参戦。

WWEに参戦した当時は「メジャーリーガー」とその立場を野球に例えられたが、TAKAはメキシコ遠征の延長でそこにつながっただけと思っている。しかし、24歳から28歳の1番体が動く時期にプロレス界最大手の表も裏も見えたのはTAKA本人にとって良い経験であり、毎週身長2m級の大男にやられたことで耐久力もついたと振り返っている[2]

2000年10月、プエルトリコに日本人プロレスラー養成道場「KAIENTAI DOJO」を設立。

2001年、怪我で欠場を余儀なくされる。

2002年3月1日、横浜アリーナで開催されたWWFの日本公演でフナキの試合にセコンドとして登場したのを最後にWWFを退団。3月、KAIENTAI DOJOがプエルトリコから撤退してTAKAの地元千葉県に拠点を移した。4月20日、ディファ有明でKAIENTAI DOJOの旗揚げ戦「CLUB-K SUPER ev.」を開催。

2003年、全日本プロレス武藤敬司体制になって以降、請われて全日本に参戦するようになり、外国人レスラー軍「RO&D」を団体内の一大勢力として纏め上げた。また、巧みな話術を生かし、興行スタート時の前説(RO&Dタイム)も務めていた。

2004年10月24日、プロレスリング・ノアに参戦し金丸義信GHCジュニアヘビー級王座に挑戦。

2005年1月5日、全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座を、1月10日、KAIENTAI DOJOのCHAMPION OF STRONGEST-K王座を獲得する。全日本プロレスの世界ジュニアヘビー級王座、KAIENTAI DOJOのCHAMPION OF STRONGEST-K王座、みちのくプロレスの東北ジュニアヘビー級王座の三冠王となった。7月3日、DRAGON GATEに参戦、望月成晃オープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦。12月9日に開催されたインディーサミットにも出場している。

2006年、RO&Dとしての活動がVOODOO-MURDERSとの解散マッチに敗れたため、終了となった。6月4日、TOMOみちのくとのタッグでWEWハードコアタッグ王座を獲得する。12月31日に開催されたインディーサミットの選手兼マッチメイカーとして出場。

2007年2月、カズ・ハヤシらとメキシコに遠征するはずだったが、車上荒らしによりパスポートを紛失したため日本に残った。全日本プロレスの3月シリーズより、贋メキシカン・トリオ「メキシコ・アミーゴス」のリーダー、ペペみちのくとして登場(他のメンバーは、カズが扮するミゲル・ハヤシJrとNOSAWA論外が扮するエル・ノサワ・メンドーサ)。偽物感溢れるメキシカンテイストで人気を博した。一方、プロレスリング・ノアの4月シリーズにおいて、一度袂を別ったバリー・ブキャナンディーロ・ブラウンと再度組んでRO&Dを復活させた。2007年5月2日、新日本プロレス後楽園ホール大会で東郷とのタッグでIWGPジュニアタッグ王座を奪取した。8月12日、KAIENTAI DOJO後楽園ホール大会でSTRONGEST-Kトーナメントで初優勝を果たす。

2007年12月、ブログで結婚したことを発表。

2011年1月30日、TAKAは新日本プロレスの後楽園ホール大会にNOSAWAと共に突如姿を現し、そこでIWGPジュニアヘビー級王座とIWGPジュニアタッグ王座へ挑戦表明をした。TAKAは小島聡、MVP、タイチ、NOSAWAらと共に小島軍(仮)を結成する。

2011年2月20日、仙台サンプラザホールにて、プリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。TAKAもラ・ケブラーダなどを放ちデヴィットを追い込んだが、最後はデヴィットのブラディサンデーによって敗れた。

5月3日の福岡国際センターでの小島対真壁刀義戦の試合後、TAKAは真壁に敗れた小島をタイチと共に襲撃し小島軍(仮)が解体された。この後、突如現れた鈴木みのると結託して鈴木軍を結成、TAKAはこの試合を機にタッグを結成した小島、真壁と抗争を展開する。

2011年11月12日、同年2度目のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。だが、デヴィットのブラディサンデーで敗れた。

2013年5月11日、南条隼人に勝利してインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座を奪取。TEPPEIに敗れるまで16度の防衛を果たしている。

2013年から2014年頃はKAIENTAI DOJOの経営危機であり、Blue Fieldの家賃も支払えなかったという。しかし十枝利樹(現在の会長)に出会い、会社の立て直しをしてもらった[2]

2017年8月、全日本プロレス45周年記念両国大会〜新たなる決意〜でブラックタイガーVIIと組みアジアタッグ王座に挑戦[3]

2017年9月4日の「TAKAみちのく25周年記念大会~SIMPLE IS BEST~」では、飯伏幸太とタッグを組むことが明かされた。TAKAは当初、吉田綾斗オカダ・カズチカと対戦させたかったが、吉田が怪我をしてしまったため、ならばここは自分のやりたいことをやろうと思って飯伏とのタッグを組んだ。メイン以外では、KAIENTAI DOJOの若手にチャンスを与えている。グレート・サスケスペル・デルフィンディック東郷の3人タッグなどのこれまでにないカードも見られている。この興業を計画した背景には、バンビやERINAという所属している2人の女子レスラーがどこまで他団体のメジャーどころに通じるかという狙いもある[2]

2015年よりKAIENTAI DOJOイズム継承マッチを行っていて本田アユム洞口義浩吉野コータローなどの若手選手やヒロ・トウナイバンビと対戦を行う。TAKA曰く、無駄な技を減らし、頭から落とすような危険な技をせずロープワークや無駄なフォール、打撃すらも極力削り取った一点集中で試合を構築し、自らの必殺技一発で勝利する試合がKAIENTAI DOJOイズムであるという[4]

2018年11月6日、光文社FLASHでTAKAの不倫が報道された。

2019年1月19日、TAKAは記者会見を行って1月30日付でKAIENTAI DOJOの取締役解任及び退団することを発表した。退団に関しては、TAKA本人の責任を取りたいという希望による[5]。退団に際して『週刊プロレス』は「後輩の手本となるべき存在であるにもかかわらず、実際は反面教師になってしまった」、「S-K王座を持っていたのは10年も前になり、ここ数年は前線に立ってなかったので、いなくなってもリングに大きな変化はない」と不倫報道の責任を仄めかし、KAIENTAI DOJOでの重要性が低くなっていたことも指摘している[6]。4月11日、プロフェッショナルレスリングJUST TAP OUTを設立することを発表[7]。7月8日、後楽園ホールでプロフェッショナルレスリングJUST TAP OUTの旗揚げ戦を開催。

2021年、新日本プロレスWORLD TAG LEAGUE2021にて鈴木のパートナーとして2年半ぶりに新日マットに参戦。

2023年3月1日開催の『ジュニア夢の祭典 〜ALL STAR Jr. FESTIVAL 2023〜』では第3試合・がんばれ!大谷晋二郎10人タッグマッチに出場[8]

戦績 編集

総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
1 0 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 山宮恵一郎 7:36 V1アームロック PANCRASE 1997 ALIVE TOUR 1997年4月27日

得意技 編集

相手を小馬鹿にするあくどいファイトが売りで、スーパー・キックを中心に小細工な技を得意としている。鈴木軍への加入後はボスの鈴木のサポートにあたる傍ら、パートナーでもあるタイチとの連携技が多い。かつては大一番で派手なルチャ技を見せる時もあったが、今は膝の怪我のため使用していない。

フィニッシュ・ホールド 編集

みちのくドライバーI
国内では「みちのくドライバー」が正式名称だが、IIとの混同を避けるため「みちのくドライバーI」と一般的には呼ばれている。
相手の両腕をクロスさせて、シットダウン式ジャンピング・パワーボムの型で落とす技。堀田祐美子ピラミッド・ドライバーと同型だったので、人と同じものは使いたくないということで現在は封印している。ちなみにどちらが元祖かはTAKA本人ですら不明である。最初にこの技を受けたのは当時、みちのくの練習生だったK-ness.である。
元々は「みちのくドライバー」といえば先に開発されたこの技であるが、封印されたため現在は後に生まれたみちのくドライバーIIのことを指してみちのくドライバーと呼ぶ場合も多い。ただし、海外ではみちのくドライバーIIの正式名称を「みちのくドライバー」としている。
みちのくドライバーII
相手をボディスラムの体勢に抱え上げた状態から、ジャンプすると同時に前方に両足を開脚し頭部からマットに叩き落とす技。WWE参戦時から落とし方を少し変え、垂直に脳天から落とすのではなく、やや斜めに落とし後頭部や背面から叩きつけるようになった(技を受ける側の首への負担を減らすためである)。しかし、それでも技の威力が損なわれることはなく現在でも十分必殺技として通用している。現在では似た形式の技も含め非常に多くのレスラーが使用している。
ちなみに、みちのくドライバーIの後継技として開発されたが技の系統としてはIの派生技ではなく、別系統の技となる。また海外では「みちのくドライバー」が正式名称として使用されており、国内でも近年はIIのことを「みちのくドライバー」と呼ぶ場合も多い。
みちのくドライバーβ
技名のβは「ベロ」と読ませる。リバースブレーンバスターのクラッチで相手を抱え上げ、みちのくドライバーIIのように相手を脳天から落とす。TAKAは自らの掲示板でファンからの「βを使わないのはなぜか?」との質問に対し、「出すに値する相手がいない」と答えている。これと同型の技をDRAGON GATEYAMATOがギャラリアの名で使用している。
ジャスト・フェイスロック
うつ伏せ状態の相手の横から、背を思い切り反らして絞り上げる変型フェイスロック。フェイスロックと言っても実際は顔面ではなく、顎元をクラッチして締め上げている。あまりの反り具合に、観客からは悲鳴が上がるほど。KAIENTAI DOJO設立後みちのくドライバーIIに並ぶフィニッシュ・ホールドとして使用されている。なお技名はフェイスロックだが、実際のクラッチは相手の顎の辺りが多い。
デイック・キラー
ジャスト・フェイスロックの形から相手の腕をとりさらにきつく締め上げる技。対ディック東郷戦にむけて開発した。
ジャスト・フェイスロック2006
TAKAが右手の負傷中に開発した新必殺技。復帰戦では、この技で勝利した。クラッチの仕方がスリーパー・ホールドの様になっており、指を負傷していても技をきめられる。

フォール技 編集

スクールボーイ
主にタッグで使用。タッグパートナーやセコンドの支援を受けて行う。

飛び技 編集

宇宙人プランチャ
リング上で加速をつけてトップロープに両足で飛び乗り、場外の相手に向かって体を預けていく飛び技。普通の選手が両手でロープを掴んで飛び乗るのに対し、TAKAの場合は両足のみで踏み切り飛び乗るのが特徴的である。近年はTAKAが膝に爆弾を抱えていることもあり、タイトルマッチ以外での使用はほとんどない。
宇宙人ケブラーダ
リングの中から体を半捻りさせながらトップロープに飛び乗りリングの内側を向いた状態になり、そのまま場外の相手にムーンサルト・アタックを仕掛ける技。普通の選手がケブラーダを仕掛ける際はエプロンサイドからロープに飛び乗るのに対し、TAKAの場合はリング内から飛び乗るのが特徴的である。TAKAの膝の爆弾のためか、近年は封印されている。

組み技 編集

ヘビーキラー1号
仰向け状態の相手に両腕をロックしながら、ウラカン・ラナの体勢で丸め込むクラッチ技。対ヘビー級用に開発した技。

連携技 編集

みちのくメフィスト
タイチとの合体技。タイチのブラックメフィストにTAKAが体重をかける。

打撃技 編集

スーパーK
スーパーK-1
後頭部へのトラースキック
スーパーK-2
グラウンド状態からの不意うちジャンプキック。
スーパーK-3
コーナーの相手へのジャンプキック。
スーパーK-4
顔面への低空ドロップキック
スーパーKスペシャル
顔面へのミドルキック。

その他 編集

サミング
だまし討ちで行う相手の両目を狙った目潰し攻撃。この技が決まった直後、目潰しした方の手で観客にピースサインを行うのが定番となっている。

タイトル歴 編集

IWW
  • IWWジュニアヘビー級王座
WWF
WEW
KAIENTAI DOJO
全日本プロレス
みちのくプロレス
新日本プロレス
DDTプロレスリング
プロレスリング・ノア
プロフェッショナルレスリングJUST TAP OUT
  • KING of JTO(初代)
  • JTOトーナメント優勝(2020年)
プロレス大賞
  • 技能賞(2005年)
PWI Top 500 Wrestlers
  • 2003年 : 191位

入場曲 編集

  • 初代 : みちのくひとり旅(山本譲二
  • 2代目 : YAMATO PART4(MUSASHI) ※キングレコード「KAIENTAI DOJO」に収録
  • 3代目 : Dojo
  • 4代目 : YAMATO PART4(MUSASHI) ※キングレコード「KAIENTAI DOJO」に収録

エピソード 編集

  • 「宇宙人」というニックネームは、かつて新日本プロレスで開催された「SUPER J-CUP」1stステージにおいて、トップロープ上にノータッチで立ってからのプランチャを見た長州力がつぶやいた言葉(「アイツは宇宙人か」)に由来する[9]
  • 多くのプロフィールでは岩手県盛岡市出身となっているが、KAIENTAI DOJO公式サイトでは千葉県四街道市出身と表記している(前述のように、小学校低学年までは四街道市在住)。
  • プロ格ヒーローズ第4弾にフィギュアとして収録された。
  • 全日本プロレスDDTプロレスリングにも参戦していたが、現在は撤退している。DDTプロレスリングのみには稀に参戦している。
  • イタリアの親戚筋にあたるPIZAみちのくがDDTプロレスリングに参戦していたが、家業のピザ屋を継ぐために現在は帰国している。
  • 古巣の、みちのくプロレスやライバルのDRAGON GATEにも参戦している。
  • みちのくドライバーIIは自身が考案した技であり世界でもその名前で通じる技である(ただし、海外では「II」を付けない)。
  • 世界ジュニアヘビー級王座渕正信の最多防衛回数14回に迫る12回防衛。
  • 入籍前にペットショップにて購入した猫にナナミと名付け、幾度もブログに登場させるほど。とうとうナナミ用ブログを立ち上げた。
  • 筑前りょう太が退団後、筑前が所属していた千葉商工会議所青年部メンバーになり引き継いだ。
  • 本名で呼ばれる事を何よりも嫌がっている。
  • 飯伏幸太とは表向き上そこまで接点は深くないが、プライベートでは悪戯されている。酔った勢いでキッチンバサミで前髪を切られたり、酒の席で全裸を取らされてTwitterにさらされたりと、下らないエピソードがたくさんある[2]
  • 鈴木みのるに関しては2017年のインタビューで「自分が25年対戦してきた中でも『2度とやりたくない』ってくらい強いし凶暴。ただレスラーとしてはそれは絶対必要な経験」と答えている[2]

著書 編集

メディア出演 編集

テレビ 編集

ラジオ 編集

CM 編集

脚注 編集

  1. ^ 会社概要
  2. ^ a b c d e 週刊プロレス2017年9月13日号pp.63-66.
  3. ^ 【2017 SUMMER EXPLOSION [最終戦 全日本プロレス45周年記念両国大会 ~新たなる決意~】 東京・両国国技館 ≪15:00開始≫]”. 全日本プロレス. オールジャパンプロレスリング. 2017年8月19日閲覧。
  4. ^ TAKAみちのく戦
  5. ^ TAKAみちのくK-DOJO退団 昨年不倫が発覚”. 日刊スポーツ (2019年1月19日). 2019年1月19日閲覧。
  6. ^ 『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 p.127
  7. ^ [1] TAKAみちのく公式Twitterより
  8. ^ 3/1 ALL STAR Jr. FESTIVAL-夢の顔合わせ続出のジュニアの祭典は大成功。メインを任されたワト「ジュニアの未来はオレたちに任せてください」 レック Presents ジュニア夢の祭典 ~ALL STAR Jr. FESTIVAL 2023~”. 週刊プロレスモバイルプレミアム. ベーボールマガジン社 (2023年3月1日). 2023年3月5日閲覧。
  9. ^ ベースボールマガジン社「週刊プロレス」2020年6月27日号No.2067 47頁 獣神サンダー・ライガーインタビューより

関連項目 編集

外部リンク 編集