POVの解説が無い 編集

POVはしばしばノートの議論で(日本語版では多くは無いでしょうが、英文版では多い)使われますが、POVそのものの解説が見当たりません。en:Point of viewでは On Wikipedia, POV refers to the policy on Neutral point of view (NPOV)と言っています。 拠って、中立的な観点 (NPOV, Neutral Point Of View) はウィキペディアの根本的な方針のひとつです。 (単にPOVとも省略して使われる。) と冒頭に斜体字で示した文言の簡素な解説/案内の追記を提案したい。勿論、本文では斜体字である必要は有りません。--Namazu-tron 2007年12月27日 (木) 10:00 (UTC)

多数決によって中立的な観点を無視する場合の記述 編集

概要部分の「他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」 その後ろに、「ただし、利用者の間で編集のための観点が対立した場合、多数決によってその記事で採用する主な観点を決定します。そして、その他の観点については記事を分割することで分割された記事に記述します。」という説明の追加が必要です。これはノート:栄養素で管理者スのGさんが容認しているローカルルールです。--Meltbeen 2008年3月3日 (月) 16:31 (UTC)

分割というのは一つ選択肢なので訂正します。
概要部分の「他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」の後ろに、
ただし、利用者の間で編集のための観点が対立した場合、多数決によって中立的な観点以外の特定の観点が採用される場合があります。」を追加する。1週間、賛否を募り反対が無ければ採用します。--Meltbeen 2008年3月3日 (月) 17:48 (UTC)
反対。多数に支持される特定の観点と少数に支持される対立する観点がある場合、少数というのが無視できないほどのマスを持っている場合は、どちらも「中立的な観点」から記述する。というのが、ここでいうNPOVであるはず。どんな記事であろうと、特定のPOVから記述されることは、本方針になじみません。これに対して、記事の名前の選択や、削除、分割などは多数決になじみますね。--Isorhiza 2008年3月3日 (月) 18:28 (UTC)
(改変に反対)名指しと方針文書の改編提案までされているのでコメントします。飛び火をご覧になってご不快を感じるかたは少なからずいらっしゃるでしょうけれど、私の消防士としての力量不足ゆえのことで各位のご寛恕を願います。さて、私には Wikipedia:中立的な観点 を覆す意図は全くございません。私の理解では、Meltbeenさんが書きたがっていること(生化学的、生物学的な常識からは逸脱していて、一方で文献がある観点)について「どこにも書いてはいけない」とすれば、検証可能性を形式上満たす観点を書くことを阻止したということで「Wikipedia:検証可能性」の趣旨に反すると考えます。一方で、定義の異なる観点を別記事に分割するのは Wikipedia:中立的な観点 を含む各方針文書と矛盾するものではなく、記事の可読性の向上のために好ましいことと考えました。分割や改名によってウィキペディア全体として記述されている観点が増減することはありませんゆえ。ウィキペディア上で少数派の観点や、常識から逸脱している観点をどう扱うかというのは本件にかかわらず懸案になりやすいことではあります。--スのG 2008年3月4日 (火) 03:38 (UTC)
スのGさんのお名前を記述することは、Wikipedia:管理者の辞任#管理者が辞任すべき理由にあるように、管理者の意見は参加者一般の意見を反映しているものとして意味があると考えました。--Meltbeen 2008年3月4日 (火) 09:52 (UTC)
(改変に反対)その投稿に関してこちらの記事ではなくOtherusesのこちらの記事に移動したらどうでしょうかという提案がWikipedia:中立的な観点に反するから不当であるというご意見については、独自な見解を持っておられるとしか言いようがありません。現行ルールにおいては個々の事例については当該ページのノートで議論しその議論や結論について少数意見者として不服であればWikipedia:コメント依頼でさらに広く一般の意見を聴取することも可能です。したがってご提案からは方針改変が必要であるほど重要性・重大性が残念ながら読み取ることができません。--あら金 2008年3月4日 (火) 08:23 (UTC)
投票の提案者・投票者であるあら金さん、投票者であるスのGさんの両者が、本提案に賛成ではなく反対しているので、賛成者があらわれず本提案は無効とされる可能性が高くなりました。--Meltbeen 2008年3月4日 (火) 09:52 (UTC)
(私のスレッドについているので仕方なくご返答しますが)誰に対して何を質問されるいるのか要領を得ません。分かるようにご投稿ください。--あら金 2008年3月4日 (火) 11:02 (UTC)
分かりにくくてすみません。訂正しました。質問ではなく現状の説明です。--Meltbeen 2008年3月4日 (火) 11:17 (UTC)

スのGさんによる、少数派の観点や他の利用者が常識外と考える観点は多数決で分割するという主張は、実態として(改変に反対)していません。--Meltbeen 2008年3月4日 (火) 10:51 (UTC)

主語ないしは主部を欠き述部だけ列挙されても日本語の文意が全く汲み取れません。分かるようにご投稿ください。--あら金 2008年3月4日 (火) 11:02 (UTC)
追加しました。--Meltbeen 2008年3月4日 (火) 11:17 (UTC)

Wikipedia:中立的な観点には、「ウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズの言葉によれば、中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」」で、「議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません」、「どれか特定の観点を採用するように要求したりしない記事は、読者を解放する効果があります。中立性は独断主義を倒すのです」ということですからね。 Wikipedia:ウィキペディアへようこそによれば、「激しい論争が繰り広げられているような事柄においては、論争の一方の当事者の見解のみを喧伝するような記述は避け、両論を併記するバランスのとれた記述を心がけてください」ということですからね。 観点が対立したので、特定の観点以外を排除するような選択をするなどということは、Wikipediaの基本方針を無視した独自ルールの押し付けになりますよね。--Meltbeen 2008年6月15日 (日) 19:10 (UTC)

(参考)この件につき2008年3月5日 (水) 23:14にコメント依頼#議論活性化のためのコメント依頼#2008年3月Meltbeen氏により開催されております。詳細はノート:栄養素#投票がWP:NPOVを覆しているかにあります。このコメント依頼へアドバイスされたspirituelle氏によれば『「中立的な観点」は対等に扱わねばならないことまで要求していないということで合意したはずです。 』(引用リンク)という発言がありました。 --あら金 2008年6月16日 (月) 00:30 (UTC)

重すぎるので誰かノートページを過去ログ化して下さい 編集

ブラクラ並です。--125.197.103.111 2008年3月18日 (火) 15:27 (UTC)

やってみました。--Ks aka 98 2008年3月18日 (火) 16:15 (UTC)

保護解除提案 編集

この方針文書は2006年3月に編集合戦を理由に無期限全保護となりましたが、実質的な議論が2008年6月で止まっていることから保護の方針にある保護を解除してもいい場合の5.「しばらくの間議論がない、仲裁の試みが進行中など、解除しても問題が再発しないのではないかと思われる場合」に該当すると思われるため、保護の解除を提案いたします。三つの方針のうちWikipedia:検証可能性(4月10日までの全保護)やWikipedia:独自研究は載せないは無期限全保護の措置は取られておらず、英語版のen:Wikipedia:Neutral point of viewもこのような保護措置が取られていないことも保護解除の根拠としてあげておきます。--Web comic 2009年3月27日 (金) 22:15 (UTC)

  コメント英語版のen:Wikipedia:Neutral point of viewですが、5月11日から無期限半保護の措置がとられているようです。また、Wikipedia:半保護の方針#半永久的な半保護との整合性を取ることも必要かと思われます。--VZP10224 2009年6月3日 (水) 14:38 (UTC)

疑似科学と科学を対等に扱うのか について 編集

疑似科学は、独自研究の範囲に入ると思いますので、 独自の調査を載せない ウィキペディアの信憑性を確保する為に、記事に加える情報は検証が可能でなければなりません。まだ人類の知識となっていない独自研究は載せないでください。 に反しています。 載せるとしたら有名な独自研究である疑似科学のXXXと表記する以外はないのではないでしょうか? 対等に扱うこと自体が基本方針違反だと思うのですが --巴赫 2009年9月3日 (木) 04:56 (UTC)

このご提起は Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない でおこなったほうがよさそうですね。いくつか端的に述べると、「独自研究」というのはウィキペディア用語ですので、記事の説明文のなかでその言葉を使ってはダメです。また、Wikipedia:独自研究は載せない がまず第一に禁じているのは、ウィキペディアの編集者自身による「独自研究」です。Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない でお続けになる際はそのあたりも踏まえてください。--Su-no-G 2009年9月3日 (木) 06:05 (UTC)

そもそも独自という定義があいまいなのが問題なのでは?--124.38.203.69 2010年8月5日 (木) 07:54 (UTC)

「誇る」の取扱い 編集

現在、「誇る」(「誇って」「誇った」等)の表現が多数の記事で使われております。しかし、「誇る」を辞書で調べますと

  • 「①自慢して得意になる。②自慢できるものを持っている 」(学研「新国語辞典」より)
  • 「1 すぐれていると思って得意になる。また、その気持ちを言葉や態度で人に示す。自慢する。2 誇示すべき状態にある。また、そのことを名誉に思う。」(「yahoo辞書(大辞泉)」より)
  • 「(1)得意気なさまを示す。意気があがる。(2)…という長所を持つ。(3)ゆたかに暮らす。」(「goo辞書(大辞林 第二版)」より)

といった内容であり、これらは全て個人の判断によって認識が変わるものであると判断できます(ノート:いわき市#冒頭の表現についてにおいてもご参照下さい)。故に、現在議論が行われているいわき市の「福島県最大の面積と人口を誇り、東北地方では仙台市に次ぐ人口を誇る」などの例では、中立的な観点に基づいた表現とは言い難いと判断し、ノート:いわき市においてご提案させて頂いております。しかし、今回の例はいわき市に留まらないことから、こちらにおいても「誇る」の取扱いについてご意見をお伺いしたいと存じます。--Otherde 2010年5月14日 (金) 01:58 (UTC)

  •   コメント「誇る」に関しては中立的な観点というよりもむしろ 大言壮語的な表現なので使用は好ましくない と思います。いわき市の事例のように改められるケースは改めた方がいいと思います。--とん坊 2010年5月14日 (金) 02:16 (UTC)
  •   コメント同上。中立的観点の問題ではないので、Wikipedia:大言壮語をしないの例として追加等を考えればいいかと思います。Fuji 3 2010年5月14日 (金) 03:32 (UTC)
  •   コメント依頼者です。Wikipedia:大言壮語をしないを確認しましたところ、「美しい」などと同様の例(個人の主観により変化するもの)であると判断でき、とん坊さん、Fuji 3さんのご意見に賛同致します。また、Fuji 3さんが仰るように、Wikipedia:大言壮語をしないの例として追加(概要部分に「…誇る」を追加)するのが良いと考えます。--Otherde 2010年5月14日 (金) 04:01 (UTC)
  •   コメント大言壮語しないために「誇る」を使わないという意見はわかりますが、(2)…という長所を持つ。 の意味があるわけですから難しいところではあります。文脈にもよるのでしょうが、乱発は控えたいですね。データ的に最大最高の数値や記録を持ってして「誇る」という表記であれば許容しても良い気はしますが。--小田急多摩之介 2010年5月14日 (金) 08:51 (UTC)
  •   コメント追加 中立的な観点で見た場合これは主観表現ですのでやはり使用は好ましくないと思います。ただし当該自治体がそれを売りにしている(ウェブページでアピールしているなど)場合ならば使用を妨げるものではありません。また、慣用表現だという向きもあるでしょうが、第一義を優先すべきと思います。--とん坊 2010年5月14日 (金) 09:49 (UTC)
  •   コメント スポーツなどで優勝何回を誇る強豪という報道がしばしばされることがあります。出典を明記した上で出典元にも記述がある場合は一概に避けるべきとは思いません。ただしチーム公式サイトなどではなく比較的中立的な立場から書かれたものが良いとは思います。--Tiyoringo 2010年5月14日 (金) 10:08 (UTC)
  •   コメント 小田急多摩之介さんのご指摘についてですが、 「長所を持つ」に関しても、それを長所と捉えるかどうかは個人の主観によって変化するものですし、最大最高の数値を自慢できるものと捉えるか、すぐれていると思って得意になるか、それらは全て個人の判断によって変わるものです。また、とん坊さんが指摘する「ただし当該自治体がそれを売りにしている(ウェブページでアピールしているなど)場合」に関しては、出典を示した上で「○○市は、○○県で人口が最大であることを誇りにしていることを表明している」などの用法でのみ有効なことであると考えます(辞書の意味に照らし合わせれば、この場合はあくまで自治体による表明であることを明文化した上でのみ記載できることであると考えます)。また、Wikipedia:大言壮語をしないには「大言壮語とは、事実としての情報なしに、記事を単に引き立たせるための表現のことです。」と書かれており、出典を明記した上で(それが何らかの見解であることを明示した上で)記載される場合は大言壮語には該当せず、Wikipedia:大言壮語をしないの例として追加(概要部分に「…誇る」を追加)することで対処が可能なのではないかと考えます。--Otherde 2010年5月14日 (金) 11:50 (UTC)
  •   コメント 「○○市は△△地方で第×位の面積を誇る」などという表現は、何者か関係者がその事実を「proud」していることを示している訳ではなく、せいぜいその事実を強調したいという執筆者の意図によるものではないでしょうか。全てがそうとは言い切れませんが、地理分野での統計データに伴って用いられる「誇る」はだいたいそうだと私は思っています。
私自身はこの手の表現はくどさを感じてできれば控えて欲しいと思っていますが、日本語ではかなり定着した慣用表現であるとも感じています。あまり事細かに表現を制限して執筆者に窮屈な思いをさせるより、ある程度の寛容さを持ったほうが記事の発展充実という観点からは有益なのではないかと思っています。--Lincun 2010年5月15日 (土) 15:40 (UTC)
  •   コメント Lincunさんの仰る「何者か関係者がその事実を「proud」していることを示している訳ではなく、せいぜいその事実を強調したいという執筆者の意図によるものではないでしょうか。」というのは、ある程度はそうではないかと私も推測します。しかし、「誇る」という言葉の意味に照らし合わせると、そういったそのような意図での使用は本来適切ではないこと(厳密に言えば「間違い」に当たる)、「最大である」などの簡潔な表現で置き換えることが可能であること、日常において「多過ぎる」、「少な過ぎる」などの強調的なニュアンスで多く使用が見られそうな「過ぎる」が、既にWikipedia:大言壮語をしないの用例に含まれていることも考慮すると、私は「誇る」もその用例の1つに加えるのが適切ではないかと考えております。また、「最大を誇る」は「最大である」に置き換えられるように、「誇る」という言葉は置き換えが比較的容易なものであると考え、記事の発展充実の観点で見ても特段の影響はないと考えます。--Otherde 2010年5月15日 (土) 17:36 (UTC)(修正)--Otherde 2010年5月15日 (土) 17:39 (UTC)
  •   コメント比喩的に用いられている表現ですから、中立的観点とか大言壮語というほどでもなく、百科事典の記述として避けたほうがいいものだということでいいんじゃないでしょうか。「人口・面積共に福島県最大である」「福島県最大の面積と人口を誇る」で、後者を積極的に選ぶ理由はないと思うんですが、何かあるなら、そこで考えればいい。ある執筆者が「誇る」と書いてもいいけど、それはそのうち言い換えがなされるような表現の一つ。やめろと言うまでもないし、まして方針としてどうこうということではないし、一括して置換しないといけないというようなものでもなくて。--Ks aka 98 2010年5月16日 (日) 07:43 (UTC)
    •   コメントあの、Ks aka 98さん、それだと話が戻ってしまいますよ。「何かあった」から今考えてるんです。それで「これはちょっと何か理由づけをしとかないとまずくね?」ってな段階です。--とん坊 2010年5月16日 (日) 09:41 (UTC)
      •   コメント戻しているんですよ。表現の妥当性については理由付けする必要はそれほどないし、「何か」も生じていないんじゃね? なんか方向間違ってね? という意見です。「何かあった」時に、方針やガイドラインや辞書的な意味から「「誇る」の取扱い」を考えるというのが、解決への方向を見誤る原因になることもあるですよ。
        • いわき市の例は、「福島県最大の面積と人口を誇る」と「人口・面積共に福島県最大である」の表現のどちらが適切かという論争ではないです。せいぜい他でも使われているのに、というくらいのもので、むしろ、「なぜいわき市だけなのか」が中心的な問題でしょう。対立は、Altomarinaさんが自分が疑問に思っていることを明確化して、Otherdeさんもそれにきちんと応じているからこういうふうに解決した。一連の議論を方針に反映するなら、「論点を明確にするよう互いに努力する」「目に見える論点とは違うところに本当の論点が潜んでいるかもしれません」という一文をどこかに入れましょう、てことじゃないかなと思う。「Wikipedia:大言壮語をしない」は、避けるべき表現の一覧ではなくて、並んでいる語句は「例示」ですし。
        • 「人口・面積共に福島県最大である」のほうがいいですよね、ということは、どこにも異論がないと思うんです。せいぜい「それでもいいじゃないか」とか。だから表現の妥当性については理由付けする必要はそれほどないし、「何か」も生じていない。早急に除去しなければならないほど中立性に欠ける表現ではない、些細なものですし、使ってしまう利用者も(なんとなく立派な表現というくらいの動機で)使いたがる利用者もいるでしょう。どっちかというと、「Wikipedia:大言壮語をしない」の例に「誇る」があったとして、偉そうに「大言壮語はやめてください」上から言うことで、執筆者を怒らせたりウィキペディアから去らせたりすることのほうが困る。対立が生じるとしたら、執筆者感情とか、お国の自慢ぽさが減じるとか、そういうところだろうし、それは、そういうところで解決しないといけないと思う。--Ks aka 98 2010年5月16日 (日) 10:39 (UTC)
          •   コメント提案者のOtherdeです。本件は、早急に「誇る」の全てを洗い出して除去すべきとは捉えてはおりませんが、気付いたところから修正していくべき点ではないかと私は考えております。また、「誇る」が大言壮語の意図なく書かれることもあることを考慮すると、Wikipedia:大言壮語をしないの例に「誇る」があることによって弊害が生じるかもしれないことも、Ks aka 98さんのご意見より認識致しました。しかしながら、主語を入れることによって主観的な表現となってしまう(本人の意図に関わらず、中立的観点から離れてしまう)こと、大言壮語の意図に関わらず、それに繋がる意味を持っていることも事実ですので、「百科事典の記述として避けたほうがいいもの」として明確化されれば私は本件に関しては解決が図れるのではないかと考えます。--Otherde 2010年5月17日 (月) 10:51 (UTC)

(インデント戻します)明文化しておくなら、草案ですがWikipedia:避けたい言葉あるいはガイドラインのWikipedia:言葉を濁さないというのがありました。

文書に加えるというのは、議論を錯綜させず、慣習的に使われているこの表現を当然のものとして使っている人や、自分の出身地などを実際に誇りに思っているような人に、百科事典記事として避けたほうがいいということを理解してもらうため、ですよね。だとすると、読めばなるほどと思うものでなければならない。

たとえば、「その大学はりっぱな図書館を誇っている/The college boasts a fine library.」(ニューセンチュリー和英辞典)や「この町には世界最大を誇る製鉄工場がある/This town has [is famous for] the world's largest ironworks.」(プログレッシブ和英中辞典/be proudも人以外の主語をとる)」などの例文を見ると、主語を補うとしても、それが「市民」や「執筆者」とも限らない。世界最大の製鉄工場があるならば、それは誰であっても「誇る」に値する事柄であって、それが非生物の主語という形をとりうるという表現が慣習化する理由なのでしょうし、「2 誇示すべき状態にある」(大辞泉)、「2 …という長所を持つ」(大辞林)という意味に繋がる。「最も影響力のある…」「究極の…」に類する大言壮語とは違うし、執筆者自身の意見や評価とも違う。「世界最大の製鉄工場があるということは、この町の長所だ」と考えることは中立的観点に反したり、大言壮語と言えるのか? 

でも、これは論点のすりかえであって、「百科事典の記述として避けたほうがいいもの」なのは間違いないんです。中立的観点に反しているかどうか、大言壮語かどうかという問題設定をしてしまうと、その枠組に囚われてややこしくなる要因がある。

良かれと思って書いた表現を、中立的観点に反しているとか大言壮語だとかいう理由で修正されるというのは、感情的な反発も生みます。ニッポニカでも相当数が使われている[1]ということは、慣習的には問題ないと考えられていて、従来の百科事典の執筆者や編集者もこの用法を許容していると考えられます。ここの議論でも許容論はある。とりたててダメな表現ではないですよね。でも、ウィキペディアの編集の中で、より適切な言い換えがあることがわかり、共有されてきているから、より良いものを選びましょう、と。製鉄工場が世界最大であることは百科事典で求められる情報ですが、「製鉄工場が世界最大であることが長所であり、または誇示すべき状態にあると判断されるようなものである」ことは、大言壮語でなくても、それなりに中立的/客観的表現といえるものであっても、百科事典の記事としてはいらない情報なのだから、単に世界最大と書けばいい。語順を入れ替えるとか、読点を一つ入れることで読みやすくなりますから、そっちにしましょう、というのと同じくらいのものだと思うんですよ。できるだけ、相手を責めずに、というか、責められていると相手が思わないように、言い換えを促すようなもの。上で挙げた文書や、どこかより適切な文書に加筆する場合は、そのような配慮もしていただければ幸いです。--Ks aka 98 2010年5月21日 (金) 19:20 (UTC)

Ks aka 98さん、いろいろとお調べしていただき、ありがとうございます。確認したところ、Wikipedia:避けたい言葉の冒頭の前半には「原文:w:Wikipedia:Words to avoid 項目の中で決して使ってはいけない言葉というものはウィキペディアにはありません。しかしながら、中立的な観点などを崩してしまうような、不適切な文章になってしまう単語や句はたくさんあります。」と書かれており、本件は「避けたい言葉」に当てはめることで対処が可能であると考えます。また、その中にある「非中立な主張をひそませうる言葉」に含める形で明文化すると良いと考えます。例を挙げると
誇る(Proud)
「誇る」という言葉は、一般的によく使われる表現の1つですが、百科事典においてはできるだけ避けるべき表現です。
福島県最大の人口を誇る。
上の例では、多くの人が「福島県最大の人口である」ということの説明であると分かるでしょうが、「誇る」という言葉は本来「得意になる」「自慢する」「誇示すべき状態にある」「長所を持つ」「ゆたかに暮らす」という意味です。福島県最大の人口であることを得意になる、自慢する、長所を持っていると感じる、誇示すべき状態であると捉えるかどうかは個人の考え方によって変化するものですので、「福島県最大の人口である」のように、事実を簡潔に述べた記述をしましょう。
などのような説明を加えると良いと考えます(素案は既に掲載されているものに倣い、作成しました)。もちろんこの素案に拘らず、さらに適切な案があればそちらを使用する形でも構いません。--Otherde 2010年5月25日 (火) 02:10 (UTC)
反対意見や追加意見等がなければ、一定期間を置いた後にWikipedia:避けたい言葉によって対処したいと思います。ご意見等ございましたらお願いいたします。--Otherde 2010年6月14日 (月) 06:43 (UTC)

ちょっと細かいことですが。例の文章の言い換えの例としては「福島県最大の人口を有する」のほうが置き換えやすいと思うのですが。「である・だ」を使うにしても「○○市は××県最大の人口を誇る」→「○○市の人口は××県最大である」のような言い方が分かりやすいように思います。議論の流れとしては賛成ですので、あくまで例示を分かりやすくする一案としてご検討ください。--チャボ 2010年6月24日 (木) 15:37 (UTC)

ご意見ありがとうございます。「有する」の言葉の意味は、「持つ」「持っている」「所有する」ですので、意味としては問題がないのではないかと考えるのですが(以前に同様の置き換えを行っておりました)、最大とは反対に最小の場合に「最小の人口を有する」などと表現すると表現に違和感を感じることと思います。そのことを考慮すると「である・だ」で表現する方が簡潔で適切であると考えます。また、説明文の「○○市の人口は××県最大である」への置き換えは賛成です。--Otherde 2010年6月28日 (月) 00:11 (UTC)
様々なご意見ありがとうございました。Wikipedia‐ノート:避けたい言葉の方でもこちらの議論への誘導を行い、同時期にチャボさんに追加意見を頂きましたが、「有する」に関しては最小などの場合を考慮して使用しないこととし、「○○市は××県最大の人口を誇る」→「○○市の人口は××県最大である」と言い換えた上で対処を行いたいと思います。皆様のご意見・ご協力によって適切に対処する方向性が導き出せたことを深く感謝いたします。--Otherde 2010年7月16日 (金) 13:56 (UTC)

命令口調の訂正が必要では? 編集

「この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな 」とありますが、
              ↓↓↓↓
「この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書く――だが意見は書かない 」に訂正すべきだと思われます。
ほかの部分にも「書け」等の命令口調があります。「礼儀を忘れずに」といったはなからこれでは拙いのではないでしょうか。多くの人が読む、マニュアルあるいはガイドラインの文書として不適当だと思われます。--LaBedoyere 2010年12月15日 (水) 13:31 (UTC)

絶対数が少ない検証可能な意見は Wikipedia に載せるべきか 編集

  • たとえばある作品があったとします.その作品についての検証可能な批評が数編しかない場合があります.その場合,その少数の批評を Wikipedia に記載したがる Wikipedian がいますが,それはいかがなのでしょうか? 批評の絶対数が少ないのにその意見を載せてしまえば,あたかもそれが大多数の意見であるかのような錯覚を覚えます.また,一批評家の,もしかしたら偏っているかもしれない意見が記事に載せられることで,中立性が損なわれるのではないかと,そう考えるのは自然なことです.その作品が色々な批評家のもとで公然と論議され,その評価が導き出されたのならわかります.しかし,少数の批評家の,それもまともな討議を経ないで,批評家の主観で書かれた批評が,特記すべきことかを問いたいわけです.客観的な意見らともかく,一批評家の主観的な意見は主観に過ぎないと思いますが,いかがですか?--Benign 2011年5月28日 (土) 17:45 (UTC)
その批評が「少数意見であること」が証明でき、「『一部には…という意見がある』というような文脈で記述される」なら「載せてもよい」と思います。その批評を持って作品そのものの評価とすることは避けなければならないと思います。蛇足ですが「まともな評論が無い(見つからない)作品にそもそも(wikipediaとしての)特筆性があるのか」という個人的感想があります。--とん坊 2011年5月29日 (日) 06:23 (UTC)
批評家による数編もの検証可能な批評が存在するのなら、批評家クラスタ内における作品の評判を概観することが十分に可能なため、批評家による意見としてWikipediaへ記載することは差し支えないと思われます。--4行DA 2011年6月20日 (月) 11:55 (UTC)
ジミー・ウェールズが以下のように述べているので参考にしていただければ。。--Tondenh 2012年2月4日 (土) 09:05 (UTC)
From Jimbo Wales, paraphrased from this post from September 2003 on the WikiEN-l mailing list:
  • If a viewpoint is in the majority, then it should be easy to substantiate it with reference to commonly accepted reference texts;
    • もしその観点が大多数であれば、それは一般的に受け入れられている出典文献により簡単に立証できるはずである。
  • If a viewpoint is held by a significant minority, then it should be easy to name prominent adherents;
    • もしその観点が有意義な少数派の主張であれば、著名な支持者の名前を容易に挙げられるはずである。
  • If a viewpoint is held by an extremely small (or vastly limited) minority, it does not belong in Wikipedia regardless of whether it is true or not and regardless of whether you can prove it or not, except perhaps in some ancillary article.
    • もしその観点が非常に小さな(または非常に限られた)少数派であれば、それが真実かどうか・証明できるかどうかに関わらず、少数の補助的な記事を除いてWikipediaに相応しくない。

Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないへのコメント依頼について 編集

Wikipedia‐ノート:すぐに古くなる表現は使わないにてガイドラインのあり方について御意見を広くうかがいたいと思っておりまして、その中には本方針のWikipedia:中立的な観点についても論点に含まれておりますので、Wikipedia‐ノート:すぐに古くなる表現は使わない#本ガイドラインのあり方についてに幅広い御意見をお寄せいただければと考えております。--Jizwf会話2012年11月8日 (木) 22:53 (UTC)

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