Wikipedia‐ノート:表記ガイド/「仮名」節の変更について(2010年)

最新のコメント:13 年前 | トピック:「仮名」節の変更について2 | 投稿者:EULE

「仮名」節の変更について2

編集

上でIP氏の変更が問題になって差し戻されてますが、その前に別のIPによって勝手に加筆されているようですね[1]。とりあえず、当該加筆部分である”尚→なお、併し・然し→しかし、所で→ところで、或いは→あるいは、且つ→かつ、然も→しかも、即ち→すなわち、反れとも→それとも、若しくは→もしくは”を削除したいと思うのですが、如何でしょうか?必要ならば、合意の上で加えるのが筋だと思います。--uaa 2010年7月25日 (日) 12:29 (UTC)

  コメント 削除しなくていいとおもいます。当ガイドラインで参考書に挙がっている資料でも、接続詞のたぐいは開くのを原則としています。
そういうわけでノート:海軍本部 (イギリス)の件については、実際の用例で「或いは」となることが有意に多数であると言える (たとえば外交文書の公定訳では普通そうする、など) であれば、そう解説すればいいとおもいます。その場合、当ガイドラインは関係ありません。
が、訳しかたの一般的な解説として「ふたつの職名を併記してひとつの職名を表すことが多い」というのであれば、「あるいは」にするほうがベターだとおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月25日 (日) 12:51 (UTC)
仮名書きの過去の編集履歴を見ましたが、ほとんどがIPユーザーによるノートでの提案なしの加筆ですね。これを削除するのにノートで合意する必要があるのでしょうか。あるとする場合、その根拠を説明してください。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 13:52 (UTC)
  コメントノートで提案後書き加えたものでない限り、削除して問題ないと思います。あと、「及び」と「並びに」は仮名書きでなくてもいいと思います。しかし、この「仮名書き」節の用例はひどいですね。誰が何を基準にして書いたのでしょうか。「等」「下さい」「時(とき)」がダメとか、現代日本語の実例からかけ離れています。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 13:23 (UTC)
  コメント「勝手」という表現で不法であるかのようにいうのは不当です。また、提案して二時間程度で変更を加える態度は、合意形成を軽視した態度だと考えます。--PurpleDragon 2010年7月26日 (月) 05:35 (UTC)

「削除して問題ない」とのことなので、とりあえず削除します。必要だと主張されるなら、合意の上で加えるのが筋だと思います。それと、薔薇騎士団さんによる(Hatukanezumiさんによって差し戻された)「及び → および、並びに → ならびに、即ち → すなわち、更に → さらに」の除去にも賛成します。「等」「下さい」「時(とき)」も除去してほしいですね。それと、「故に → ゆえに」も。いっそのこと、仮名書きの節を全部削除してもいいと思います。--uaa 2010年7月25日 (日) 14:02 (UTC)

  コメント IPユーザであれだれであれ、編集結果に異議がでないのなら別段問題ないです。IPユーザであることは除去する理由になりません。
また、uaaさんが問題提起するまで存在した記述は、それまでだれも除去しなかったのですから、それまでは合意されていたと仮定すべきです。議論の結論がでるまで、当節の開始時にあった記述はもとにもどしておいてください>>uaaさん。そうしてくださらないのであれば、わたしは当節でのコメントをやめます。
IPユーザであれだれであれ合意無く加筆されたものは、とりあえずそれ以前に戻すのが筋でしょう。私は編集結果に異議があるからそうしました。「合意されていたと仮定すべき」と言うのも同意できませんね。どのくらい放置されていたら合意されたとみなされるんですか?よって、当節の開始時に戻す必要はないと考えます。--uaa 2010年7月25日 (日) 14:38 (UTC)
あと、記事での表記について疑問があり、表記ガイドを読んでも解決できないようなら、Wikipedia:表記ガイド#参考文献に挙がっている資料をどれか手に取って、調べてみてください。自分の感覚に基づいてではなく、そういった資料にもとづいて話しましょう。--Hatukanezumi 2010年7月25日 (日) 14:16 (UTC)
表記ガイドの冒頭に「本ガイドの表記法の変更や、未掲載の表記法を提案する時には、このページのノートで提案してください。」とありますよね。Hatsukanezumi氏の解釈は明らかに独自研究ではないでしょうか。無断で書き加えられたものは、無断で削除されても文句は言えません。特に本項のように変更にはノートでの提案が必要と特筆されているものについては。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 14:23 (UTC)
IPユーザであれだれであれ合意無く加筆されたものは、とりあえずそれ以前に戻すのが筋でしょう。私は編集結果に異議があるからそうしました。「合意されていたと仮定すべき」と言うのも同意できませんね。どのくらい放置されていたら合意されたとみなされるんですか?よって、当節の開始時に戻す必要はないと考えます。--uaa 2010年7月25日 (日) 14:38 (UTC)書き込みバス尾が不適切だったので移動。--uaa 2010年7月25日 (日) 14:47 (UTC)
差し戻されたようですが、どのくらい放置されていたら合意されたと見なされるか、そう言う基準ってあるんですかね?編集合戦してもしょうがないので、改めて”仮名書き”の節の全削除を提案します。そこに例示されている漢字を使えないというのは、日常目に触れる日本語文章から見て非常に違和感を感じますし、余計な規制はない方がいいと考えます。--uaa 2010年7月25日 (日) 14:47 (UTC)

まったくノートでの議論に参加されていない方が一方的に差し戻していますが、やめてもらえますでしょうか。あと、Uaaさんの立場を支持します。ノートで合意を求められている編集に対して、無断で編集したものに対してはいつでも変更可能です。時効というものはありません。あると主張される方は、その根拠条文の提示をお願いします。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 14:50 (UTC)

  報告 管理者伝言板に報告しておきました[2]。--Hatukanezumi 2010年7月25日 (日) 15:31 (UTC)

失礼ですが、Hatukanezumi氏の投稿ブロック記録を拝見したところ、過去3回ブロックされていますねWikipedia:合意形成の尊重をお願いします。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 15:46 (UTC)
揉め事の原因となっている馬鹿げた規制を除去しようと提案したのに、「自己の主張を権威づけせんとして」などと言いがかりを付け、自己と対立しているからといってブロックしろと主張しているようですね。「自己の主張に反する記述の除去を提案」することがWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックの対象となるんですか?方針熟読が必要なのはHatukanezumi氏の方だと思います。「夏休みだからかなあ」の一言は暴言とも取れますね。--uaa 2010年7月25日 (日) 16:57 (UTC)

合意なく加筆されたものでも、それから異論なく長い時間が経過しているものは合意が成立しているものとみるべきではないでしょうか。これを除去するためには、除去する合意が新たに必要だと思います。また、記載されている内容についても特に問題があるようには思えないので、私は除去には反対します。--Tam0031 2010年7月25日 (日) 15:33 (UTC)

  •   コメント 合意なく編集することは許されています。それを理由に排除する必要もありませんし、これまで(ノートでの提案だけでなく)そういった方法でもこの文書は作られてきました。『合意無く加筆されたものは、とりあえずそれ以前に戻すのが筋 』などという主張が成り立つのであれば、様々なガイドラインを壊滅させることも容易でしょう。
    それに、jawpの歴史のうえで2年半という期間は決して短いものではありません。このガイドラインの場合、編集回数、閲覧回数、ノートの編集回数、ノートの閲覧回数、いずれも十分な数があり、「2年半もの間、不適切な記述が気づかれず放置されていた」などという解釈は無理があります。実際に2008年の履歴を見ても、不適切な編集は修正され、差し戻されています。
    uaa氏や薔薇騎士団氏の個人の感覚なんてものはどうでも良いのですよ。Googleの検索結果もです。もし、この程度の漢字が読めないウィキペディアンがいたらだいぶまずい気もしますが、共同で記事を作り上げる・幅広い読者層を想定すべきプロジェクトにおいて、こういったルールを知らない、気にしない方が参加していることは憂慮すべきことですね。というか、規則を主張するなら、まず自分がそれに従い縛られべきでしょう。--氷鷺 2010年7月25日 (日) 16:29 (UTC)

除去する合意が新たに必要という件は了解しました。引き続き”仮名書き”の節の全削除を主張します。「記載されている内容についても特に問題があるようには思えない」との反対意見が出ましたが、及び、並びに、且つ、又は、若しくは、或いは、故に、但し・・・等々の使用が制限されるのは問題だと思います。存続を主張される方はどのような理由でこの規制が必要であるとお考えなんでしょうか?私は余計な規制はない方がいいと考えます。--uaa 2010年7月25日 (日) 17:26 (UTC)

私もこの規定を知るまでは普通に使っていたのですが、こういう規定があるということなので今はそれに従うようにしています。これだけ多くの人が関わっているプロジェクトで完全に漢字の用法を統一するのは無理だというのはもちろんなのですが、それでもできる限り統一していこうという努力はあってよいと思っています。では、漢字使用に統一するかかな使用に統一するかということであれば、漢文の書き下し調が出ていて、現代文的ではないという点がひらがなで書こうという主張になっているのではないかと思います。これが仮に漢字に統一されると、かなり堅苦しい感じになるように思います。--Tam0031 2010年7月25日 (日) 17:39 (UTC)
これだけ広範囲の分野について扱っているプロジェクトに於いて統一することが良いことなのでしょうか?分野毎のポータルやプロジェクトとか記事単位での裁量は認められているようですが、無い方がスッキリすると思います。漢字の用法なんか自由にしてもいいと思います。--uaa 2010年7月25日 (日) 17:58 (UTC)
さすがに漢字の用法をまったく定めないというのは、日本語の百科事典としてはどうかと思います。ないほうがすっきりするというのがUaaさんの意見だというのはわかりますが、私は逆にきちんと定めてあるほうがすっきりするのです。--Tam0031 2010年7月26日 (月) 15:18 (UTC)
現在でほとんど使用例がない表記ならいざ知らず、現在でも多数用いられいる「等」「面倒」といった表記まで規制するのはいかがでしょうか。しかも、そういった使用例の加筆はほとんど一部の人間がノートでの合意が求められいるにも関わらず勝手に加筆しても不問に付され、逆に今度そうした加筆を載り除こうとしたらノートで合意が必要というのでは、「ルールの悪用」以外の何ものでもありません。--薔薇騎士団 2010年7月25日 (日) 22:43 (UTC)
それなら、そういう表現を個別に挙げて妥当かどうかを検討したうえで、除去あるいは修正していってはいかがでしょうか。今の規定が何が何でも正しいと主張するつもりはありません。
勝手に加筆しても不問に、というのは、誰もそれを問題だと思わなかったからでしょう。薔薇騎士団さんがリンクを貼ったWikipedia:合意形成にも、「編集作業の結果としての合意」の節に、他人の編集に対しては承認、変更、リバートの3つの選択肢があると説明していますね? 誰も異論を唱えなかったから、それは承認されたわけです。それに対して、今回あなたがそれを除去するという編集をしたことに対しては、異論を唱える人がいたから戻されたわけです。悪用でもなんでもなく、ウィキペディアの合意形成の標準的な方法であって問題はないと思いますよ。
実際、勝手に人が変な変更を加えてしまって、それを見過ごして定着してしまったら嫌だから、私は気になる議論ページはすべてウォッチリストに入れてあり、常に変更を監視しています。だからこそ今回のこの件も気づいたわけです。これは何らかの方針・ガイドラインページに限らず、通常の記事の内容や記事名であっても同様なところがあるので、気になるのであれば常時監視が必要です。ウィキペディアというのはそういうところです。--Tam0031 2010年7月26日 (月) 15:18 (UTC)

全削除はTam0031さんの抵抗が強いので、個別に削除案を出したいと思います。

  • 接続詞
及び → および、並びに → ならびに、且つ → かつ、、又は → または、若しくは → もしくは、或いは → あるいは、即ち → すなわち、故に → ゆえに、更に → さらに、尚 → なお、但し → ただし、然し → しかし、所で → ところで
  • 連体詞
所謂 → いわゆる、彼の → あの・かの、其の → その、或る → ある
  • 副詞のうち、本来の意味がほとんど失われているもの
何故 → なぜ、流石 → さすが、凡そ → およそ、大抵 → たいてい、普通 → ふつう、大体 → だいたい、一応 → いちおう、一切 → いっさい、是非 → ぜひ、殆ど → ほとんど

以上の削除を提案します。何れも平仮名書だと意味が即座にはわかりづらい場合があります。また、接続詞で例示されているものは何れも法文等では普通に使われています。--uaa 2010年7月28日 (水) 12:21 (UTC)

  コメント わたしはすべて削除する必要はないとおもいますが、それはともかく。
まず、「法文等」で使われることは理由となりません。法文等の引用では当然原文どおり正確に表記する必要がありますが、地の文でそうする必要はありません。昔の日本でのことを記事に書くからといって、候文漢文で書きませんよね。
本題。
ここは、ガイドラインについての議論をするところです。ガイドラインというのは、なるべく一貫していたほうがよいものです。ですから、用字について変更の提案をなさるのなら、「これはよくて、これはよくない」という説明がつくような、一貫した理由を述べてください。
当然ながら、「自分はそれが普通だと思っている」というのは一貫した理由とは言えません。客観的な理由をお示しください。たとえば、当ガイドラインの「WP:JPE#参考文献」に挙がっているような用字用語についての参考書を見て、そこに書いてあることを根拠にするといいとおもいます。--Hatukanezumi 2010年7月28日 (水) 12:45 (UTC)
(一部反対、一部賛成寄りコメント)uaaさんの提案については、接続詞、連体詞の除去については強く反対します。平仮名よりも漢字の方がより意味が分かりにくいと感じます。こういった言い回しを記事名前空間で好き好んで使う方は時折見かけますが、専門家向けの書籍ならともかく、子供から老人まで開かれた百科事典では推奨されない表現であると考えます。
副詞関係のみ、「凡そ」のようにあまり見かけない表現もあるものの、確かに漢字で書いた方がよい表現が含まれているように感じ、個人的にはよく使う表記も多いので、uaaさんの提案には一定の説得力を感じます。ただしこの感想はあくまで私個人の主観的なもですので「そう思うのなら論拠を示せ」と言われると、ちょっと困ります。主観的な理由は賛成や反対の理由にならず、客観的な理由が必要であるという主張については、Hatukanezumiさんの意見ももっともだと思います。--Kanohara 2010年7月28日 (水) 12:57 (UTC)
  コメント 私も接続詞、連体詞については現状維持でよいと思います。法文で使うというのは、まさに漢文的な用法ではないでしょうか。副詞のうち、普通、一応のような例は「本来の意味がほとんど失われている」に該当するのか疑問で、除去してもよいかと思えます。もっともこの意見は、Hatukanezumiさんのおっしゃる「自分はそれが普通だと思っている」に該当するかと思われるので、日本語の表記法について書かれた文献をあたる必要があるのかなと感じます。--Tam0031 2010年7月28日 (水) 14:28 (UTC)
連体詞と副詞は御指摘のように個人的な感覚が先立っているので、連体詞については固執しませんが、接続詞については使用させてほしいと思います。”漢文的”な文体から平易な表現に改められた改正民法・刑法でも使われているのですから、このくらい許容してほしいんですよ。駄目ですか?--uaa 2010年7月28日 (水) 14:43 (UTC)
それと、「子供から老人まで開かれた百科事典」とのことなんですが、私の周囲の老人(両親とかおじ・おば)は「近頃の平仮名が多い文章は読みづらくてイライラする」と言ってますね。個人的なことですが。--uaa 2010年7月28日 (水) 15:00 (UTC)
  コメント これは普段接している(接していた)文章の違いということなのでしょうが、個人的な主観では、接続詞における漢字の多用についてはuaaさんやuaaさんのご家族の方とは逆の印象を受けているので、uaaさんの主張では納得できません。感覚や情の問題で論じている限りは、妥協点を見いだせず平行線のままになるだろうと思います。--Kanohara 2010年7月28日 (水) 15:24 (UTC)
”個人的な主観”だけでは説得力が無いと考えて刑法・民法を出したつもりなんですが。もし私の主張に納得できないなら、法文での用例は駄目という客観的な根拠を示していただきたいですね。--uaa 2010年7月28日 (水) 16:33 (UTC)
ウィキペディアでの表記は何を範とすべきかという問題は微妙な部分があり、今回の提案について具体的な意見を持つには至っていませんが、調べてはみたので事実関係のみ指摘しておきます。改正民法・刑法にも効力があるであろう「公用文における漢字使用等について」では、「及び,並びに,又は,若しくは」の 4 語について原則として漢字で書くとする一方、仮名で書く接続語の例示として「おって,かつ,したがって,ただし,ついては,ところが,ところで,また,ゆえに」を挙げています。日本エディタスクール『日本語表記ルールブック』 ISBN 4-88888-359-9 p.12 ではこの 4 語について新聞での用例を括弧に入れて併記しており、「及び (及び、および) 並びに (並びに、ならびに) 又は (または) 若しくは (若しくは、もしくは)」となっています。--Jms 2010年7月28日 (水) 15:10 (UTC)
「公用文における漢字使用等について」は「昭和56年10月1日 事務次官等会議申合せ」でしょうか?だとすると、「副詞及び連体詞は原則として漢字で書く」ですね。--uaa 2010年7月28日 (水) 16:33 (UTC)
はい、「昭和56年10月1日 事務次官等会議申合せ」です。で、「副詞」の前に「次のような」が抜けています。あたかも例示がないかの様な書き方は恣意的ではないでしょうか。また、ウィキペディアでの漢字使用は「公用文における漢字使用等について」によるべき、という主張をしているわけではありませんので念の為。--Jms 2010年7月28日 (水) 16:47 (UTC)

上記提案のうち、副詞については異論がなかったので削除しました。連体詞については私も特に根拠があっての提案ではないので取下げます。私も「公用文における漢字使用等について」を基準とすべきとは主張するつもりはありませんが、法文で使われるレベルの接続詞については使いたいので、削除を引き続き主張したいと思います。私は2010年7月28日 (水) 16:33 (UTC)に当該接続詞について”使ってはならない”とする根拠(削除に反対する根拠)を求めたのですが(薔薇騎士団さんはそれ以前から要求しているようですね)、提示されていませんね。もうしばらく待って示されないようなら接続詞の当該部分も削除しようと思いますが、如何でしょうか?--uaa 2010年8月6日 (金) 18:31 (UTC)

接続詞についてはすでに文献を挙げてあります。除去しようとするなら、相応の文献を挙げていただく必要がありましょう。その上で、複数文献の内容が拮抗する場合には、どうするか議論が必要でしょう。また、副詞について「異論がなかった」と言ってよいのかどうかは疑問です。「昭和56年10月1日 事務次官等会議申合せ」の恣意的な引用についてはすでに指摘しましたので繰り返しません。--Jms 2010年8月6日 (金) 21:52 (UTC)
副詞の除去を差し戻しておきました。--氷鷺 2010年8月6日 (金) 22:40 (UTC)
  コメント 除去は穏当でないとおもいますので、今回の復帰に同意します。
で、uaaさんは「ガイドラインが特定の表記以外を禁止しているから、ガイドラインから削除したい」ということみたいです。しかし、そういうものでしょうか。
仮に、ガイドラインから削除することで表記が「自由」になるんだとしてみましょう。そうすると、uaaさんが「凡そ」と書いたものをだれかが「およそ」と書き換えるのも自由です。uaaさんはそれを「凡そ」に戻してはいけません。他人が「およそ」と書く自由を否定することになりますから。
なんか考えオチみたいなコメントだけど、ひとまず。なお、わたしはこの節の最初のほうで意見を言っちゃったんで、いまのところこの件についてあらためて言うことはないです。--Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 01:05 (UTC) 利用者名typos。失礼。--Hatukanezumi 2010年8月7日 (土) 03:42 (UTC)

Hatukanezumiさんが反対意見を表明して以降、複数の方とやり取りし、そこでは副詞についての反対はなかったので除去しましたのですがね。どうも同意を得ることは困難なようですね。しかし、「ガイドラインというのは、なるべく一貫していたほうがよいもの」ではあるけど絶対ではないんですよね。今後もこのガイドラインにとらわれず適切と思う表現で編集し、意見の相違があったときは各記事のノートで話し合いたいと思います。--uaa 2010年8月7日 (土) 11:15 (UTC)

「反対がない」のは、根拠となる文献の提示がないので賛成反対に各自の好み以上の意味がないからではないでしょうか。言い方を変えれば、賛否表明以前の、「論拠を示してください」段階でしょう。--Jms 2010年8月7日 (土) 12:27 (UTC)

少し調べてみたところ、以下のようになりました。個々の用語についての具体的な指示のみ、挙げてあります。

  • 公用文: 『公用文における漢字使用等について(昭和56年10月1日事務次官等会議申合せ)』
  • NHK:  NHK放送文化研究所 『NHK新用字用語辞典 第3版』 日本放送出版協会、2004年。
  • 講談社:  講談社校閲局編 『日本語の正しい表記と用語の辞典 第2版』 講談社、1992年。
  • 共同:  共同通信社編著 『記者ハンドブック 第11版』 共同通信社、2008年。
  • 読売:  読売新聞社編著 『読売新聞 用字用語の手引 改訂新版』 中央公論新社、2008年。
  • 朝日:  朝日新聞者用語幹事編 『朝日新聞の用語の手引 改訂新版』 朝日新聞社、2007年。
  • 毎日:  毎日新聞社編 『毎日新聞用語集 改訂新版』 毎日新聞社、2007年。
  • 秋庭:  秋庭道博著 『日本でいちばんわかりやすい文章術読本』 日本エディタースクール出版部、2006年。
  • 古郡:  古郡廷治著 『論文・レポートの文章作成技法 論理の文章術』 日本エディタースクール出版部、2006年。

×は平仮名表記とするもの、○は漢字表記も良いとされているもの、◎は原則的に漢字表記とするもの、?は「又」「所が」といった似た語句からの推測。

品詞 用語 公用文 NHK 講談社 共同 読売 朝日 毎日 秋庭 古郡
接続詞 及び × × - -
並びに × × - -
且つ × × × × × × × × -
又は × × × ×? ×? ×? ×? ×
若しくは × × × × ×
或いは - × × × × × × × ×
即ち - × × × × × × × ×
故に × - -
更に - × - - ×
- × × × × × × × ×
但し × × × × × × × × ×
然し - × × × × × × × ×
所で × × × × × × ×? ×? -
連体詞 所謂 - × × × × - × - -
彼の - × × × × × × - -
其の - × - × × × × - ×
或る - × × × × × × - ×
副詞 何故 - × × × × × × - -
流石 - × × × × - - - -
凡そ - × × × × × × × -
大抵 - - -
普通 - - - - - - - -
大体 - - - -
一応 - - -
一切 - - -
是非 - × × × × × - -
殆ど - × × × × × × - -

これを見ると、「普通」「一応」「一切」「大体」「大抵」の5つは除去した方が良さそうに思います。「及び」「並びに」「故に」あたりも検討の余地がありそうですが。--氷鷺 2010年8月7日 (土) 12:46 (UTC) 修正・追加[3]。--氷鷺 2010年8月8日 (日) 13:56 (UTC) 修正・書誌情報補足[4]。--氷鷺 2010年8月8日 (日) 20:17 (UTC)

氷鷺さん、丁寧な調査ありがとうございます。副詞関連の5つの除去は支持します。それ以外は存置でよいように思います。--Tam0031 2010年8月8日 (日) 15:04 (UTC)
おもしろい (興味深いという意味) 結果ですね。
副詞で×がないものは、漢語なので仮名書きにはできないということでしょう。副詞で漢語の5つは除いてもいいとおもいます。
秋庭と古郡で言及のないものが多いのは、もしかすると、なるべく平易明快な表現を用いるという趣旨なのかともおもいます。特に副詞は主観的になるので、そもそも使うべきではないということなのかと (「およそ」「一切」「普通」「ほとんど」などを多用した文章はWP:WEASELの対象になりそうです)。もっとも両書は用字用語の基準が主眼ではないでしょうから、ほかと単純にはくらべられませんが。
あとは、新聞・出版と通信社・放送で傾向に違いがあるように見えます。--Hatukanezumi 2010年8月9日 (月) 12:12 (UTC)
○は「漢字で書いても良い」であって、『漢語なので仮名書きにはできない 』わけではありませんが、いずれにせよ「平仮名で書くべき」というものではないようですので、除去が妥当だと考えます。秋葉と古都はいずれも字が間違っていましたので、勝手に訂正させていただきました。その名前を書いた私ですら、一瞬、理解できませんでしたので…。
14日までに、異論が――「普通、一応、一切、大体、大抵、という副詞は平仮名で書くべき」と指示してある、上で挙げたものより優先されるような資料が「複数」提示されなければ、この5つを除去したいと思います。--氷鷺 2010年8月9日 (月) 22:26 (UTC)
うっひゃーほんとうだ。どうしてこんな間違いをしたんでしょうねえ。訂正ありがとう。--Hatukanezumi 2010年8月9日 (月) 22:43 (UTC)
以上の5つの副詞について、除去は妥当だろうと思います。ただ、2点気になることがあります。第1に、判断材料が新聞社に偏っているところが気になりました。新聞と一般的な書籍とでは、漢字の比率がちがっていそうです。第2に、現在の決め方では、「現在のWikipediaの方針では『だいたい』はひらがなだが、上のまとめの表からすると『大体』と漢字で書くことが多いから、当該の5つの副詞に関して除去する」という話の流れですが、上の表に何かを追加することで、「出版関係の世界では、『だいたい』とひらがなで書く流儀もあるし、『大体』と漢字で書く流儀もあるから、当該の5つの副詞に関して除去する」とするのがすっきりしそうです。みなさんすでにそれを望んでおられるかもしれませんが。以上の2点については、新聞社以外の根拠(ほかの出版社のなかではどうなっているのか)をさらに追加することで、解決するものだと期待しますが、みなさんの努力にかかわらず見つからないということは、現実に明示的な根拠が少ないのだろうと察します。このようにコメントするのは、個人的なことですが、上であげられていた副詞については、私のよく読むような本ではひらがなであることが多いと感じるからです。たとえば、勁草書房のミリカン『意味と目的の世界』(ISBN 978-4-326-19957-0)のpp. 1-9から副詞やそれに類するごくだけを抜き出すと、「たしかに」「たんに」「もちろん」「いったい」「じっさい」「おそらく」「ともかく」「なぜ」「正確に」「必ずしも」「もっとも」「いつも」「ふたたび」「まったく」「いずれも」「たとえば」「たいてい」「きわめて」「ふつう」「それゆえ」となっています(文章内でのかなと漢字の使い分けは徹底されているようです)。慶應義塾大学出版会のトマセロ『ことばをつくる』(ISBN 978-4-7664-1533-9)のpp. 1-7では、「例えば」「おそらく」「最も」「まったく」「むろん」「なぜならば」「さらには」「実際」「きわめて」「もはや」「互いに」「実際に」「くりかえし」「少なくとも」「特に」「最近」「ほとんど」となっています。いずれにしても、このように副詞に関しては変異が大きいため、上の副詞に関して記述を除去するのは妥当だと思っています。--Shaz 2010年8月13日 (金) 14:43 (UTC)
  コメント 岩波書店や勁草書房のような「硬派」の人文社会系出版社は独自に厳密な校正基準をもっていますから、そういうところの出版物では用字の統一度は比較的高いとおもいます (ここのところ図書館に長居できないので、わたしはまだ資料を探せていません)。当該分野の記事を主に執筆するひとなら、そういうものにあわせてもかまわないでしょう。時事的な記事を主に執筆するひとには、上で挙がっているような資料の基準によるほうがしっくりくるかもしれません。どれがより正しいとか、たがいに矛盾があるとかいうことではないです。
ガイドラインの目的は、指針を与えることだとおもいます。どんなふうに書けばいいのかわからない初心者や、自分では決めかねている執筆者・編集者に、目安を示すものだとおもうんですね。ルールではないのだから、「ガイドライン違反」なんていう表現は形容矛盾ですし、逆に、ガイドラインから削れば自由に書けるというのもまちがいです。
そういった人たちに向けて、「こういうふうに書いておけば、まず問題にはならないよ」というものを示せればいいのだとおもいます。「資料同士で相反する基準だから削ろう」といった最小公倍数的な考えではなくてね。--Hatukanezumi 2010年8月14日 (土) 14:56 (UTC)
私の書きこみの意図に関して誤解がありそうなので補足します(私の書き方のせいです。すみません……)。私は、ガイドラインの目的が機械的に何らかの最小公倍数的な基準を示すことだと述べているわけではありません。ガイドラインの理念にまで踏みこんで上の発言をおこなったわけではなく、個々の基準について考えて決めるうえでは、資料どうしの衝突があることを示すことは、現在掲げられているガイドラインに反する資料だけを呈示することと比べて、当該の除去のためのより説得力のある根拠のひとつになるだろうということです。
人文系の編集をおこないたい人は勁草書房などの書き分けに合わせ、時事系の編集をおこないたい人は新聞社などの書き分けに合わせることもあるだろう、どちらが正しいというものでもないという点については、私はまさにその意図で上の例を示しました。--Shaz 2010年8月14日 (土) 22:07 (UTC)
  •   報告 これまで平仮名表記を推奨していた副詞の例のうち、「普通」「一応」「一切」「大体」「大抵」の5つを除去しました[5]。ただ、『本来の意味がほとんど失われているもの』という判断基準はまだ検討の余地があるように思います。--氷鷺 2010年8月14日 (土) 11:22 (UTC)

  コメントそもそも、やまとことばには漢字をあてる必要がないという事実がもっとしられてほしいとおもいます。--Rikumio 2010年8月22日 (日) 22:34 (UTC)

あなたは Wikipedia:井戸端/subj/訓読みをつかわない表記法の是非 でもそんなことを言っていましたね。大和言葉をすべて平仮名で書くなどというのは極端な考え方であって、「異常」とすら言えます。そういった個人的な主義主張を持ち込まないでください。--氷鷺 2010年8月22日 (日) 23:34 (UTC)
  コメント個人的に、難解な漢字のつかいわけになやむくらいならやまとことばはひらがなで表記した方が合理的におもっています。どうも日本人のほとんどは表意文字としての漢字の機能を評価しているような気がします。--Rikumio 2010年8月23日 (月) 01:53 (UTC)
何度も発言を書き換えないでください。迷惑です。大和言葉に漢字を当てる理由は[6]であなたが言ったその二つだけで十分でしょう。合理的だと主張する割には、どう「合理的」なのかも説明できないのですか。「大和言葉には漢字を当てない」方がよほど非合理的ですし、そもそも、自然言語に厳密な合理性を求めるなんて無理な話。それなら日本語を捨ててエスペラントでも使ったら如何ですか? 「やまとことばに漢字をあてるべきではない」など、無闇に漢字を使いたがるのと同じくらい愚かなことです。--氷鷺 2010年8月23日 (月) 03:09 (UTC)
  コメントまた、日本語Wikipediaは外国人もみているということを念頭におくべきで、複雑な訓読みはつかわない方がいいのではないでしょうか。--Rikumio 2010年8月26日 (木) 04:58 (UTC)
  コメント 日本語に対する主義主張は人それぞれあると思うのですが、あくまで一般論としては、我々が編集しているのは「ウィキペディアやまとことば版」ではなく「ウィキペディア日本語版」なのですから、現代日本語ではまだ広く受け入れていない一部の方の主張を基に、広く受け入れられていない特殊な表現を駆使して記述するべきではないと思います。もちろん日本中心にならないようにすることは大切なことですが、多言語への配慮については、記事全てを平仮名化して日本人にとっての可読性を犠牲にすることで実現するよりも、英語版の記事を充実化するなどの方法で貢献した方が、圧倒的に効率的であると思います。--Kanohara 2010年8月26日 (木) 06:18 (UTC)
  コメントすみません、説明不足でした。「おいて」を「於いて」と表記するような訓読みのことです。個人的には「おこなった」を「行った」と表記するのは「いった」と混同しやすいとおもっています。--Rikumio 2010年8月26日 (木) 08:11 (UTC)
  コメント 実はわたしも「大和言葉には漢字をあてない」という指向がつよいです。平均的な書き手とくらべて仮名が多めの文章を書いている自覚があります。しかし、これが「不合理」とまではおもいません。「もとが漢語ではなく、自立的な意味内容が希薄なものを、一貫して仮名書きする」という原則は、いちおう合理的です。それで文章が読みにくくなっているともおもいませんし (ただわたしのばあいさらに「一応」「一方」「大体」などの副詞も仮名書きしがちですが、記事ではなるべくやらないように気をつけています)。
むしろ、「こと」「ない」「できる」を「事」「無い」「出来る」と書くようなのは、無用に漢字を多用しているように感じます (このみっつについては気になってしかたがないので、自分が編集する記事でみつけたら仮名になおしてしまいます)。--Hatukanezumi 2010年8月26日 (木) 08:39 (UTC)
  コメント 「おこなった」ですが「行なった」と表記すれば「いった」と読む「行った」とは区別は付きますし。「いった」では「行った」なのか「言った」なのか、となりますし。--ステイシア・ボーダー 2010年8月26日 (木) 15:42 (UTC)
待った、待った。「流石」とか「所謂」とかそういう難しい物についてかな表記すべきだと言うのは、それは一般の活字媒体でもかな表記していることが多いから、それ自体に合理性がどうとかと言った問題は無い。問題は、Rikumio氏が言うかな表記の程度は明らかに度が過ぎてる。一般に漢字で表記されているものですら、(それは本来正しくない日本語だと言って)かな表記にしようとしている。
どの程度の表記にすべきかということは議論の余地があると思うけが、明らかに程度が違う物を混在させて議論すると混乱するだけなので、議論するならその辺に気をつけて欲しい。--EULE 2010年8月27日 (金) 07:10 (UTC)
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