Wikipedia:コメント依頼/チンドレ・マンドレ

user:チンドレ・マンドレさんの投稿の中立性について、コメントを依頼します。--——以上の署名の無いコメントは、ShuBraqueノート履歴)さんが 2015年2月8日 (日) 14:41 に投稿したものです(ShuBraque会話)による付記)。
署名を忘れていました。--ShuBraque会話) 2015年2月8日 (日) 14:46 (UTC) リンク付加。--ShuBraque会話2015年2月8日 (日) 14:55 (UTC)[返信]

これまでの経緯 編集

wikipediaの方針「中立的な観点」に次のような文言があります。

一貫して不偏的な言い回しで視点を記述することが求められます。そうでなければ、たとえ適切な観点に基づいて記述しようが、その記事は支持者らによる実況行為に終わってしまうからです。 不適切な言い回しは、意見の形を取られることもありますし、また事実の論述に用いる言葉という形で取られることもあり、さらにトピックの選択・記述・編成などの形で取られることもあります。 中立的な記事とは、記事中の全ての観点について偏見なく正確でバランスが取れており、かつ不偏的な言い回しで書かれたものであるべきです。

しかし、チンドレ・マンドレさんは経済系の記事において、アベノミクスに賛同する意見を「引用」してばかりいます。たとえば、通貨安競争でのこの一連の編集では、チンドレ・マンドレさんの引用する経済学者は基本的にアベノミクス(リフレ政策・非伝統的金融緩和)を支持する学者の意見ばかりを引用しています。しかし、アイケングリーンの論文の4ページ、The story nowの冒頭にあるように、

There is less scholarly consensus on the effects of unconventional monetary policies since 2008 in part because that experience is so recent; it has yet to be fully digested.
(抄訳)2008年より行われている非伝統的金融政策の効果に対する学問的コンセンサスはあまりない(訳者注:あるいは前に行われていた議論と比べれば、コンセンサスは弱いという意味かもしれません)。理由の一つは、かなり最近の出来事であることである。まだ、完全に消化する必要があるのだ。

とありますから、学問的なコンセンサスがないとはいいませんが、あるとも言い難く、反対する意見もある状態です。そのため、非伝統的金融政策やそれに伴う効果について記述する際には反対意見も書かなくては中立的とは言えませんが、チンドレ・マンドレさんの編集は1 2 3 4 56などに見られるように、ほぼすべてが非伝統的金融政策の賛成意見のみの「引用」となっています。反対意見のようなもののの引用もないわけではないですが、7これはやり方への批判であって、基本的には賛同意見です。引用するなとはいいませんが、議論のある問題に対して賛同者の意見のみを大量に引用する行為は中立性に欠ける行為であると私は思います。

さらに、通貨安競争#アイケングリーンとジェフリー・サックスの議論(1985, 1986)が現代でも成立するか?という節を出典つきで書いたところ、ノート:通貨安競争#確認において、特に問題のある編集ではなかったにもかかわらず「確認」と題する議論がチンドレ・マンドレさんによって提起され、さらにコメント依頼が提出されました。8 9。コメント依頼はその後に撤回されています。本人は独自研究であると勘違いしたゆえの行為であると後に述べています。しかし、アベノミクスにとってあまり好意的でない内容の編集であったがゆえの行為であるとも推測することができます。

ウィキペディア記事の言い回しは偏見を含めてはならず、ある観点を支持したり排除するものであってはなりません。

と方針で述べられていますが、チンドレ・マンドレさんのアベノミクス・非伝統的金融緩和の賛同者の意見のみを大量に引用する編集は上記の方針に反するものであると思うのですが、いかがでしょうか。

なお、利用者‐会話:ICUnextさんもチンドレ・マンドレさんのノートにて、「リフレ派の宣伝活動みたいなことはやめるべきです」という苦言を呈しています10。チンドレ・マンドレさんのノートページにおいてもこの問題に関して「コメント依頼を考えている」と疑義を呈しましたが、「コメント依頼へどうぞ」という返信をいただいたのみでした。11

依頼者コメント 編集

チンドレ・マンドレさんは、経済系の記事インフレ・ターゲットトリクルダウン理論においてもそのような引用をされています。また、通貨安競争では、私の、明確に反対しているわけではないですが、批判的な意見ともとれるような編集の後に賛同意見を新たに追加して引用するというようなことをしており(履歴)、このような編集姿勢は方針に反するのではないかと考えています。本人と話し合いたいとも思い、チンドレ・マンドレさんのノートページに予告したのですが、コメント依頼をどうぞとしか反応をいただけなかったので、コメント依頼を提出しました。--ShuBraque会話2015年2月8日 (日) 15:35 (UTC)[返信]

インフレターゲットについては、反論的な意見も書かれていたようです。すみません。--ShuBraque会話2015年2月8日 (日) 15:39 (UTC)[返信]
うーん、そうですか。。つまり、wikipedia:中立的な観点

「例えば政治的に論争の的になっているような事柄について常に自分の観点を主張しようとして、他の観点がフェアに提示されているかどうかについては気にしない人は、この中立性のポリシーに違反しています。中立性の方針は、執筆者が自分の立場だけでなく、自分と反対の立場についてもきちんと説明するように求めています。」には違反していない、あるいはこれは努力目標のようなものであるということなのでしょうか。--ShuBraque会話2015年2月8日 (日) 16:37 (UTC)[返信]

wikipediaは、オープンなコミュニティですから、協調によって記事を完成させるべきとはその通りです。それでは、論争のある事柄について、ある一方側の意見を支持するような編集姿勢は見られない、あるいはそのような行為に問題はないというのがコミュニティの判断なのでしょうか。なにか制裁をしろというわけではなくて、私はそのような編集姿勢が見られると思っているのですが、そのような編集姿勢はない、あるいはそのような姿勢に問題はないということでしょうか。--ShuBraque会話2015年2月8日 (日) 17:22 (UTC)[返信]

つまり、編集姿勢としては偏っていても、出典があればそれは問題にならないと、そういうことでしょうか。--ShuBraque会話2015年2月8日 (日) 22:50 (UTC)[返信]

Kurodashoさんが新たなコメントをしていますが、その編集に対しては1213などのコメントがされているところを見ると、少なくとも中立性に関してはそのような評価が妥当かどうかはよくわかりません。--ShuBraque会話2015年2月9日 (月) 12:29 (UTC)[返信]

被依頼者コメント 編集

第三者コメント 編集

  •   コメント 一般論で申し上げますと、Aさんが、甲・乙の説が有る記事を記述する場合、甲・乙共に十分な記載を行うことなどは到底義務付けられないと考えます。Aさんが説甲の専門家だった場合、Aさんが適切な執筆を行えるのは、説甲のみです。生半可な知識で説乙を書かれても困るでしょう。説乙については、それに詳しいBさんが書けばいい。wikipediaは共同作業の場です。Aさんが明らかに「ルールに反して」Bさんの編集を妨害・排除し、某記事を説甲で埋め尽くそう、或いは私物化しようと言う不埒な事をなさらなければ、特に問題が有るものではありません(具体的に記事やノートでそう言った行動は見られるのですか?)。もう一度言いますが、「共同作業」です。Aさんが何から何まで書かなければいけない、そんな義務はありません。書きたくない事を無理に書かされることもありません。詳しい知識も無く、もしくは調査費用や時間が足りずに、Aさんが書けない所は、Bさんが書いて下さい。個人個人の力にも、時間にも、限界があります。繰り返しますが、文献を参照するには調査費が必要です。書架にも限りがありますでしょう。Aさんに万能を求めるのは無茶です。また、記事が極めて「一時的に」多少不中立になったとしても、大きな問題ではありません。Aさんの及ばない所は、Bさん、Cさん、Dさんなどが協力して、記事をよりよいものに仕上げていけば良いだけの話です。必要なら、納得いくかたちになるまで「中立性」テンプレートなどを添付し、閲覧者に注意喚起を募ると共に編集者を呼び込んでも良いでしょう。ウィキペディアは永遠に未完成ですし、また「完璧な記事なんて無い」ですし、「締め切りなんてない」のです。時間をかけて良い記事に仕上げていってください。各々は、各々の出来る範囲のことをやっていれば十分です。
もちろん個人で大規模な記事を書かなければいけない場合(まあサイズの大きな新記事とかですね)は、多少の無理をしなければならない場合もありますが、それは特殊な事例です。私など解らないところは、平気で節stubテンプレートを貼って投稿しますよ。いつか他の方が書いて下さる事を期待して、ね。--Hman会話2015年2月8日 (日) 15:13 (UTC)[返信]
  •   コメント 「インフレターゲットについては、反論的な意見も書かれていたようです。すみません。--ShuBraque(会話) 2015年2月8日 (日) 15:39 (UTC)」 とのことですが、それなら被依頼者氏は「常に(私の曰く所の)説甲の加筆ばかりしている」訳ではない、ということでしょうか。つまり説乙についても、専門外ながら、簡単なことは、書ける事は、書けるように配慮していらっしゃると。それならより「何の問題も無い」との結論に近づきますが・・・。いやね、やっぱ「専門」ってあるんですよ。私も、例えば宗教にしましょうか。身体は一つですので手を出した実績はほぼ皆無のはずですが、私はガチの無神論者ですので、神や宗教に否定的な論・説の加筆はそこら中で行えます。が、肯定的何ものは難しいですよ、やっぱり。しかし「何も書かない」よりは進みますよ、記事は。でしょう?--Hman会話2015年2月8日 (日) 15:50 (UTC)[返信]
  • ShuBraque(会話) 2015年2月8日 (日) 16:37 (UTC) のコメントについて。えーとですね、「気にして下さい」でしょう?それは。で、被依頼者は一定の配慮を見せている、つまり「気にしている」んですよね。そりゃ、配慮はすべきでしょう。が、じゃあ逆にあなたは反対側から、知識も文献も無いのに書けますか、と。私は無理ですよ。配慮はしても、書けんもんか書けんと言うしかないじゃないですか。なんでも知ってる訳じゃないんですから・・・。そこを完璧にこなせる人は一握りどころか一つまみですよ。それじゃ、あなたはそこ、完璧にこなせるんですか?って言われて、そりゃできないでしょう。あなたの支持する説乙と同等程度に、説甲についての文献を探し、入手し、加筆していますか?「できる!やってる!」と断言されるなら、それが真かどうか、あなたの履歴を精査して確認させて頂く事になりますが、そんな無茶で無謀なことは仰らないはずです。どうですか?「各人、できれば、できるだけ、そうしましょう」と言う解釈でいいんじゃないですか。完璧に履行しようとすれば、相当編集が制限されますよ。最低限私程度の執筆力のある人、と申しますか、実質幾度かの執筆賞を頂いているかたちである私でも到底足りません。FA/GAをほぼ独力で20本以上書かれている方でなんとか、というところでは?と言うのが感想です。そもそもあそこの内容を、一記事について一人で全部こなさなければいけない、と言う前提はどうなのかと。みんなで協力してかかればいいんじゃないですか?「協力して仕上げる」についてはどう思われます?--Hman会話2015年2月8日 (日) 16:52 (UTC)[返信]
でまあ、「配慮をしない人」がどういう人かと言うと、これはもうごろごろいらっしゃいまして。特に流れのIPや新人さん。ご自身のイデオロギーや宗教を、無出典やテレビ出典やろくでもない出典で、しかも些末なところまでだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと書いてしまう人。ある意味これ、宣伝か演説でしょう。これはまずいですね。明らかに配慮を怠っています。そもそもウィキペディアは「適切な情報を、適切に配置」です。些末なものは要りません、と言う。中立性に対する配慮を欠いているかどうかは、些末なことまで、時には出典を曲解してまで、もしくは不適切な出典を用いて、無理矢理詰め込もうとしているかどうかの方が、判断がし易いと思いますよ。--Hman会話2015年2月8日 (日) 16:58 (UTC)[返信]
  •   コメント ShuBraqueさんの2015年2月8日 (日) 17:22 (UTC)のコメントについて、横から失礼します。ShuBraqueさんの文末における問い掛けへの答えとしては、「そうした編集姿勢には問題はない」ということです。Hmanさんのこれまでのコメントの繰り返しになりますが、これが例えば、チンドレ・マンドレさんが「自身の主張に反する、真っ当な出典のついた記述を削除する」とか「自身の主張に沿った内容を出典も付けずにあることないこと書き連ねる」ということであればこれは大きな問題です。しかしながら、きちんとした出典を付した上であまり些末にならずに執筆されているのであれば、それは問題ありません。反対意見については、それを主張ないし賛同される方が出典を基にお書きになればいいでしょう。そうした方々の方が出典の内容もきちんと咀嚼した上で執筆できるでしょうし。記事全体として見れば当然中立的になっているべきですが、個々人の執筆内容については、きちんとした出典が付されている限りは偏った内容でも問題はないでしょう。--Taikobara会話2015年2月8日 (日) 18:19 (UTC)[返信]
  •   コメント 「つまり、編集姿勢としては偏っていても、出典があればそれは問題にならないと、そういうことでしょうか。--ShuBraque(会話) 2015年2月8日 (日) 22:50 (UTC)」についてですが、早く言えばその通りと考えます(ご質問が乱暴ですので、回答も乱暴になります)。ただし出典が妥当であり、取り扱いも妥当である限りは、です。そもそも「偏った」と言う認識がおかしいでしょう。Aさんは説甲にしか詳しくないんですから、説乙の事はろくに書きようが無いじゃないですか。単に「書かない」「書けない」だけでは、偏ったとは言いません。不埒な出典の使い方を行うなりして説乙を貶めるようなことをして始めて、明らかに「偏った」と認定できるんじゃないですか。
足りない部分はBさんやCさんが足してください。なんでしたら、あなたが。それでいいでしょう。大体、Aさんが黙ってたら、説甲の記述が薄くなるんじゃないですか?・・・となると説乙ばかりになってしまい、結局中立とは言いがたくなります。結局各人、できることをやればいいんです。土台、一人で完璧な記事なんて無理です。協力しあってください。調整してください。「自分が書ける事だけを書く」しかないでしょう?我々は。何度でも言いますが書けんもんは書けんのです。知らんもんは知らんのです。そりゃ私も50KBや100KB越えの記事を何本も一人で書いて、いくつか執筆賞も頂きましたけどね。今も細々書いていますよ。そう言う方は確かに私以外にも相当数いらっしゃいます。一線級の皆さんに比べたら品質も分量も、比べれば私なんか質も量もハナクソ同然ですけどね。けどそれはjawpでは本当に少ない事例なんです。文献100冊当たるだけでどれほどの時間と調査費用と体力と気力が必要か考えてみて下さい。仮に能力があっても、状況が許さないと言う方も多い。特に勤め人の方などは。特にお子さんがいらっしゃるなどすれば。ですから各々が、無理なく入手できる文献の範囲で、無理の無い時間を使い、書ける事を書いてください。そして、書きたい記事・記述から優先して書いて下さい(趣味なんですから)。それでいいでしょう。例えば「進化論」とか「キリスト教」とか、一人で書けますか?ライフワークになりかねませんよ、んなことしようとしたら。なんかもうほとんどTaikobara氏のコメントとかぶってしまっていますが、要は「問題は無い」です。被依頼者氏も一定の配慮を見せていらっしゃる事例が示されているのですから、尚のことです。
で、逆に申し上げればあなたもなんでもかんでも完璧にこなそうとしなくていいです。単純に左翼・右翼で話をしますと、貴方が左翼であれば右翼側に側に立って書け、あなたが右翼であれば左翼側に立って書け、なんて、通常申し上げられません。いや、それが好ましいこととはされていますけどね。けど、そりゃ「できるだけそう配慮しましょう」ってことで、実際問題では、書けないものは書けないでしょう?もしくは書きたくないでしょう?文献もろくにお持ちで無いでしょう?文献を何十冊も購入されるおつもりも(普通の方はお金も)無いでしょう?専門外でしょうから。興味も無いでしょうから。自分が無理なくできるだけを、やればいいです。いや別に完全に中道ならそれはそれでいいんですが、完全に中道の人はどちらについての造詣も余り深くない傾向がありそうです。この場合は右翼側・左翼側共に「ウィキペディアのルールと立ち位置を理解し、節度を持った編集のできる専門家」が欲しいところです。両刀なんて無理です。徹底的に勉強?そこまでウィキペディアや記事に人生捧げなくていいです。
私なんかも、マークアップやリンク構造には非常に無頓着です。表組みなんぞ未だにソラではできませんw それもこれも、爾後により詳しい方がよりよい形に整形してくださると確信しているからです。これは文献集め&執筆係と構成&マークアップ係の分担みたいなかたちですね。ウィキペディアは共同作業の場なのですから、依頼者氏の筆が足りない所は、あなたやその他の皆さんが、補って下さい。Taikobara氏の仰るとおりです。ノートで大演説・他論の封殺・除去などといった妨害等の不埒な行為を行わず、ウィキペディアンとしての本文を忘れず。で、最終的に記事が中立的な所へ向かっていれば問題は無いです。締め切りもありません。もし今後「不埒な行為」が見られましたら、その時にはまたコメント依頼なりブロック依頼なりなんなりご検討を。--Hman会話2015年2月8日 (日) 23:27 (UTC)[返信]
本依頼の終了については,被依頼者からコメントをいただくまで(またはコメントされる意志がないと判断できるまで)数日は待たれてもよいのではないかと思います. --KurodaSho会話2015年2月9日 (月) 11:20 (UTC)[返信]

まとめ 編集

Hmanさん、Taikobaraさん、コメントありがとうございました。中立性があるかどうかというコメント依頼でしたが、被依頼者は一定の配慮を見せているという判断でした。Hmanさんは右翼・左翼のたとえを出していましたが、仮に投稿や編集にそのような偏りがあったとしても、その加筆に出典があり、さらにノートで大演説・他論の封殺・除去などの不埒な行為がなければ問題がないとのことでした。最終的に記事が中立的な所へ向かっていれば問題は無い、一時的に内容が偏ってしまった時には、協調、他者の編集で対応していくとのことですので、協調の姿勢を忘れないでほしいとは思います。ということで、これをまとめとしたいと思います。--ShuBraque会話2015年2月9日 (月) 00:37 (UTC)[返信]

終了提案 編集

お二方から意見をいただきましたが、問題とは言えないという意見だったこと、またその後にチンドレ・マンドレさんも中立性に配慮したと思われる投稿をしておられること、また具体的に何がダメで何がセーフなのかの詳細な指針を頂いたこと、これらのことから、なにか反対意見がなければこのコメント依頼は終了したいと思います。--ShuBraque会話) 2015年2月9日 (月) 10:08 (UTC) それでは、終了については、もしなにも動きがなければ2月12日ころを目安にということでいかがでしょう。--ShuBraque会話2015年2月9日 (月) 13:02 (UTC)[返信]

終了します。--ShuBraque会話2015年2月12日 (木) 04:01 (UTC)[返信]