Wikipedia:井戸端/subj/カテゴリの議論

カテゴリの議論の存在にどれだけ気づいていますか? 編集

最近カテゴリに関する議論で「疲弊」と思えるものが起きています。カテゴリをどうするかという問題について議論が行われるとき、議論に参加する人が、いつもよくカテゴリを編集する人、記事のカテゴリ付け替えという「草取り」を行っている人を中心に行われているようであり、記事の編集を中心に行っている人にはカテゴリをどうするかという議論が行われていること気づいているのかどうか気になっています。Category talk:スキルに関して、議論がまだ進行中にもかかわらず、ある人が突然議論に参加してからこのカテゴリCategory:スキルを削除すべきだという議論が出ており、カテゴリの議論の存在に知らない人には気づかれず、それが例え良いカテゴリであっても削除されてしまうのではないかと懸念しております。記事の削除に関しても、いつも削除依頼に票を入れる人も決まった人ばかりで、気づかないうちに記事が削除されてしまったということを目の当たりにする人がいるのではないかと心配になってきます。そこでコメント依頼をだし、カテゴリに属している記事のノートや関連性がありそうな記事のノートなどに告知をしてみました。告知をして初めて議論の存在に気づいたのか、まだ気づいていないか、すでに気づいていたのか、気になるところです。最近立ち上がったばかりのWikipedia:ウィキプロジェクト カテゴリ関連に気づいている人もまだまだ少ないのではないかと思います。みなさんはあらゆるカテゴリの議論について気づいている人がどれだけいるでしょうか?--Hsz 2007年4月20日 (金) 09:36 (UTC)[返信]

どちらかというと、Wikipedia:井戸端 (告知)に流せばいいのでは。--ゆきち 2007年4月20日 (金) 12:24 (UTC)[返信]
ざっと見た感じでは、Hszさんに問題がある可能性は高いですけど。 -- NiKe 2007年4月20日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
「良いカテゴリ」なら削除依頼は出されないでしょうし、出されたとしても存続となるはず。あまり心配することは無いと思います。--Bellcricket 2007年4月20日 (金) 13:33 (UTC)[返信]
Wikipedia:井戸端 (告知)にも流しました。NiKe さん、それはざっと見たから私に問題がある可能性が高く見えただけだと信じたいです。私に問題がないとは思いませんが、これは何かが違うのでは? という気がしてならないものです。関係がありそうな、いろいろノート箇所に告知しました。議論に参加している人がカテゴリの付け替えや削除依頼に票を入れる人ばかりなのがどうしても気になったので質問させて頂きました。井戸端で気づいたという人からのコメントが早速来ましたが、早速このようなコメントが来ました→『ちなみに、削除依頼によく票を入れる人やカテゴリばかり弄っている人が削除依頼に票を入れる傾向は日本語版ウィキペディアの仕様です。時には「ウィキプロジェクトに常駐していて、何故かお山の大将気分になっている人」がこれに加わる事もあります。仕様なんです、あきらめてください。』だそうです。もしこれが本当なのであれば、ため息をつくばかりです。今までのカテゴリの削除依頼の動きから、存続になる可能性は低いのではと思っています。カテゴリの定義に拘る人が多くて、カテゴリに書いてある説明だけで削除するかどうかを判断している傾向が強くなっているようです。カテゴリを作成するときに、一度書いた説明は変えてはならないと考えている人もいるようです。悩ましいところですが、カテゴリの説明をもっとうまくするしかないということでしょうかね。しばらくはカテゴリの説明をわかりやすくすることで頑張ってみます。--Hsz 2007年4月20日 (金) 16:20 (UTC)[返信]

記事を書く立場から率直にコメントしますと、カテゴリはもともと機能の制限が多くて使えない、と考えております。本当に価値がある一覧なら一覧記事として整ったものが作れます。カテゴリをめぐる議論がおきるのは、たいてい物事がその性質上うまく割れなかったり、割る必要性が低いところです。そこに存在するのはカテゴリの性能上の限界であって、良いカテゴリと悪いカテゴリの戦いではありません。良いカテゴリと悪いカテゴリの違いは、次のようなものです。

良いカテゴリは、次のような経過をたどります。

  1. カテゴリは同格同種のものが多数ある分野で威力を発揮する
  2. しかしその分野には必ず場所ふさぎの一覧テンプレが貼りつけられる
  3. 結局ごちゃごちゃうるさい。

悪いカテゴリに魅入られると、次のような運命をたどります。

  1. カテゴリは異種のものが含まれる分野、同種のものの数が少ない分野には弱い
  2. それでもカテゴリは設定される
  3. 議論がおきる
  4. 紛糾する
  5. 相手が悪人に見えてくる
  6. 暴言
  7. ブロック
  8. ウィキペディアが悪の組織に見えてくる
  9. 6に戻る

4くらいにとどめておきましょう。人のせいではなく、道具の性能や、分野の性質のせいなのです。時間を大事に使ってください。Kinori 2007年4月21日 (土) 02:03 (UTC)[返信]

そっか……。『一覧作りたい』病と『カテゴリ作りたい』病だけじゃなくて、『一覧テンプレ作りたい病』もあるんですねえ。基準が無いからなあ。 -- NiKe 2007年4月21日 (土) 02:55 (UTC)[返信]

カテゴリというは、ものごとを二分法(入るか、入らないか)で分ける方法ですので、それにたよりすぎるのはどうか、とおもっています。なにかのカテゴリをつくると、かならずと言っていいほど、それに「入るもの」と「入らないもの」のほかに、「入るのやら入らないのやら判断がつかないもの」がみつかります。そのカテゴリの適用範囲を広げたり狭めたり、定義を明確化してみたりしても、そういう「判断がつかないもの」がなくなることは、おそらくないとおもわれます。

カテゴリは所詮「きめごと」だ、くらいにおもって検討をなさったほうがいいとおもいます。まして、記事ではなくカテゴリをつくることに力を注ぐというのは、百科事典の編集のありかたとしてなんか間違っているような気もしなくもありません。

なお、カテゴリの削除ですが、記事がまったくはいっていないようなカテゴリがみつかったら削除依頼にだすのもいいでしょうけど、実際につかわれているカテゴリをわざわざ削除することはないとおもいます。記事よりカテゴリのほうが重要だ、ということは絶対ないですから、その点でもほどほどの扱いでいいとおもいます。ところで、でも書いたけど「仕様です」っていう説明が間違ってるだけだってば。それを「あなたの意見にはバグがある」とか言ってみてもしょうがないでしょう。 --Hatukanezumi 2007年4月21日 (土) 03:18 (UTC)[返信]

カテゴリについては深く考えるべきではないという考えも、確かにありますね。激しい議論が起きてどうしようかと思っていましたが、KinoriさんやHatukanezumiさんのようにさらりとした考え方で深く考えないようにすることもありなんですね。確かに、さらりとしたほうが気が楽になりますね。カテゴリ弄りをメインにやっている方は、数学系記事をメインに編集している方と同様に縄張り非常に意識が強いようなので、もし削除されるようでしたら、一旦は諦めます。カテゴリだけでこんなに疲労が溜まるとは思わなかったものですから。「人にせいにする」という話になったことについては、言い訳に聞こえるかも知れませんが、最初にカテゴリを作成するときあれこれと批判された、イデオロギーの対立になってしまったからです。本当のところ、人のせいにするつもりは無いです。悪者扱いされて、それは違うという話になってその過程で「人のせいにした」のかもしれないです。Category:スキルに関しては、もうすでにカテゴリ弄りをメインにしている方から、私は悪者扱いされているようです。今まで見たこともないユーザが突然議論に参加して削除依頼すべきだと主張し、長々と悪口を徹底的に書かれました。ここは、軽く受け流す方法が無いか考えてみます。
Category:スキルの動向について報告になってしまいますが、Bargauge‎さんによってCategory:スキルに削除依頼が出されてしまいました。--Hsz 2007年4月21日 (土) 03:45 (UTC)[返信]
わ、悪者扱いって…(苦笑)。逆に、カテゴリ設置に反対しただけで悪者扱いされるのも困りますよ、カンベンして下さい(笑)。みなさんの仰るとおり、カテゴリなんて記事に比べたら全く重要なものではないんです。だからこそ、凝ったカテゴライズをしても意味が無いと言ってるだけなのになぁ。--bcjp 2007年4月21日 (土) 12:41 (UTC)[返信]

ジョークが晒された(笑)カテゴリに良いも悪いもないし、植物の根のように自然に(表記の統一をしつつ)ルートを張るのがベストなんですがね。所詮分類にすぎないし。

削除依頼の原因は、定義が不安定、何をやりたいのかさっぱり分からない、コメントを求めているのにいざコメントが来ると「根拠は?」あたりにあるんじゃないっすか。次頑張りましょう。個人的にはスキルはありだと思っています。--Blueroses5327 2007年4月21日 (土) 06:22 (UTC)[返信]