Wikipedia:井戸端/subj/ページの改名においても、記事内容と同じ合意のプロセスを経る必要があるか?

ページの改名においても、記事内容と同じ合意のプロセスを経る必要があるか? 編集

ページの改名は非常に揉めてしまうものです。それは、ページ名は記事内容と違って両論併記ができないからでしょう。また、ページ名に関する議論は記事内容の向上に寄与しません。ゆえに、そのために編集者が疲弊してしまっては元も子もありません。そこで一つ疑問を持ちました。「ページの改名においても、記事内容と同じ合意のプロセスを経る必要があるか?」ということです。もちろんその必要はあるという意見はごもっともだと思います。しかし、例外が必要だという意見もあるかもしれません。ひとまず皆さんのご意見を聞いてみたいと思った次第です。--有足魚会話2016年8月21日 (日) 04:02 (UTC)[返信]

  コメント改名の時は合意形成が必要であるのに、最初に作成するときだけは「早い者勝ち」になってしまっている面はあるかなあとは思います。そこはちょっとフェアではない感じはしますが、今の仕組みでは仕方がない。

  • 私は詳しくは知らないけれど、英語版は記事作成そのものに一定のハードルがあるのかな?ページ作成前にきちんとした草稿を示し、事前の告知や合意形成、一定の事前の査読を経てからでないと項目作成できないようにすれば、記事名のことだけでなく、特筆性とか著作権とか検証可能性とか様々な問題が一気に解決できると思いますが、まあそれは非現実的でしょうねえ。
  • 有足魚さんがおっしゃる「例外」がどのようなものなのか、私にはイメージできませんでした。きっと具体的になにかイメージされている例があるのだろうと思いますが。(投稿履歴から当て推量すると、「グルジア/ジョージア」の議論のことなんでしょうかねえ。)
  • たとえばA社がAX社に改称した、なんて場合には「正式名」を根拠としてほとんど自動的に記事の改名を行う方がいらっしゃいますが、本来は認知度なんかを考慮しながら合意形成を経るべきだ、と私は思っています。ぱっと例を示すのは難しいのですが、結婚で姓が変わったスポーツ選手の記事なんかで「旧姓のほうが有名」ということで改名が行われないケースもありますよね。そこらへんは記事名をめぐる論争のいつものパターンで、「COMMON NAME」が「正式」なのか「一般的」なのかで意見が分かれるところと思います。
  • 有足魚さんがおっしゃる「例外」とは趣旨が違うんだろうと思いますが、「改名提案に対して意見がつかないまま実施される改名」は、「例外」といえるでしょう。本来「合意形成」は複数の利用者が文字通り合意を明示的に形成する必要があります。なので、改名を提案したけれど、意見がゼロという場合には、「合意が形成されない」として改名を自重なさる利用者も大勢いらっしゃいます。一方で、WP:CONLIMITEDなどでは、「充分な告知がなされた場合」には「意見がゼロ」を「同意とみなす」ことができるので、意見ゼロで改名を実施している場合もたくさんあります。「みなす」というのは、本来は同一でないものを同一であるかのように扱うということであり、厳密には「合意形成」でありません。この観点でこれは一種の例外です。実態としてはWikipedia:改名提案あたりでもこの「例外」(みなし規定)で改名されている事案が多いのかなあとは思います。
  • あるものを「侵攻」とみるか「奪還」とみるかというような、政治的な側面を持っている場合(Wikipedia:論争のある記事)には難しいですね。そういう次元で議論が分かれる場合には、いっそのこと記事自体を別にしてしまうほうが合意形成しやすくなると思います。そうすると「侵攻」ではそれを侵攻と考える出典をガンガン使えばいいし、「奪還」ではその逆のことができる。へたに両論併記しようとすると、「中立性」「バランス」でまたもめることになりますから。
  • 確かに、記事の内容に全く関わっていないのに記事名だけいじくり回そうとするのはいかがなものか、それは記事内容の向上に寄与しないのではないかという感覚は私ももっています(外国語の「原音はこうだ」パターンに多い印象)。しかし、記事の内容にじっくりと取り組んだ方が記事名について論じたり、記事名の議論を通じて本文が改善される場合もあり、記事名に関する議論は記事内容の向上に全く寄与しないんだ、というのは暴論かなと思います。議論で疲弊するのは、記事名に関する議論に限らないものでしょう。自分の主張だけして相手の主張に耳をかさない、譲歩や妥協によって合意形成をめざすのでなく何とか自分の主張を100%押し通そうとする、という場合に、「疲弊」は生じやすくなります。
  • 「記事名」は両論併記ができずに一つに定めるほかないという点で、「お互いの譲歩」がしにくい面はあるとは思います。が、私が思うに大抵の場合は、「名称に関する情報節」を設け、然るべき出典などを使って名称に関する諸説、異表記・異称・別称、名称の変遷などを説明すれば済む話で、しかもそれは記事の発展に大きく寄与するはずです。あとはリダイレクトを使って処理すればいい。それをやらずに延々と記事名だけで堂々巡りをしているような事例は散見されると思うし、それは生産的でない、不毛だなあとは感じます。--柒月例祭会話2016年8月21日 (日) 05:51 (UTC)[返信]

  コメント 例外を考慮すべき場合の抽出が必要になるでしょうね。柒月例祭さんと被る部分はありますし記憶に依存しますが、憶えている限りのケースで考えてみました。

誤字・脱字は「書き間違い」にすぎませんし、文字自体の記事を除く記事名としての使用範囲外の文字はシステムの制約ですから、これについては明らかに例外でしょう。
即時改名向きなものとしては、「曖昧さ回避を忘れる」「乗っ取り」がありますね。ただこの二つは外側からだと区別が付きません。いずれにしても曖昧さ回避を考慮せずに記事を作るならミスですから、それは本質的には曖昧さ回避部分の脱字です(翻訳で(xx)や, YYが付いていたことを忘れると発生しやすいです)。乗っ取り目的での意図的な設定であれば、もうこれは方針の悪用として対応すべきだろうと。
少し弱めのものとしては、「日本語以外の記事名」があります。これは、「その表記で定着している」「その表記が正式」と「転写・翻訳・確認」をさぼっているだけとの区別を付ける必要がありますので、分野によっては議論を通じて確認を行うことは十分に考えられます。例えば技術分野で翻訳されずに使われているとか、単語に見えて実は略語とか、作品名が正式に日本語以外で命名されている場合がありますね。これに対して手抜きとわかりきっている場合というのもありまして、その場合はWP:BBの出番でしょう。
単純に記事主体の名称が変化した場合ですが、襲名が発生したり重複が判明する場合と予定された改名と連続性を有している単なる改名では意味合いが異なってくるかと思われます。襲名発生や重複判明なら、曖昧さ回避の設定が必要になりますので、これは単純に動かさざるを得なくなる事態です。突発的なものでもなければ事前に合意をとったり、暫定的に重複側に曖昧さ回避を設定して議論することは考えられます。予定された改名なら、事前に提案して時期を待って改名するのは実際に行われている手法です。合意があっても改名時期が異なる(通常より遅い)という点では、これも例外でしょう。「グルジア/ジョージア」の様に旧名の認知度が高く新名称も別の認知度があるケースなら、認知度が高まるのをしばらく待った方が無難でしょうし(さすがに年単位はいらないと思いますけど)、音が同じで文字だけ変えるようなケースなら重複記事の作成を防止するために急いだ方が良かったり、個別の事情に依存するかと思われます。
これらのケースでは認知度と中立性が問題になりやすいです。認知度は時間が解決しますが(改名したらそのあと売れなくなって実績が無い芸能人だと旧名がふさわしいとなったりします)、中立性は意図的に軽視される可能性があります。
日本語以外の事物ですと、とりあえずローマ字読み・英語読みしてしまうケースが見られます。ただ、単に知らないだけなら転写ミスを明らかにするだけでいいのですが、他言語の存在を軽視する人も希にいます。加えてそのレベルの作業を通俗書レベルどころか、行政や業界団体のようなそれなりに権威があるものがやらかしたり、妙な表記を標準化している場合等はもめることも多いです。ただ、そのレベルのやらかしであれば、単なる改名ではなく記事としても書く余地はあるでしょう。
ミスではなく転写ブレになると、もうこれは好みとか、発音記号とか、採用するor所持している辞書とか、聴覚に依存する個人的な影響が強く出ます。ですから究極的にはどれでもいいから、全部書こうと思ってしまいますけど。
記事主体自体の取り違えによる改名は、取り違えの確認が必要ですし、改名ではなく分割の可能性がありますので、誤字に匹敵する全体の書き間違いのような明白なケース以外は提案になるかと思われます。
Wikipediaではなく、特定分野で特異な表記が通用している場合があります。これは日本語として正常な形式で記事にするか、特異ではあっても記法として容認するかを個別に詰めていくことになると思われます。
その分野の記事を書かない方の意見は、素朴な好みの表明はもちろん、他分野とのコンフリクトの指摘、同レベルの複数案の部外者からの評価、他言語なら純粋に言語だけを見た場合の表記など有用な場合もあります。ですが、それを越えて特定の案に拘るのは迷惑行為でしかないでしょう。まして、他分野でも書かない人に至っては、記事名をおもちゃにしていると見なさざるをえません。そのような方によって問題がある提案が告知終了で改名されたり、相手が根負けして改名されたり、妥当な改名が行われないケースがありますが、Wikipediaは民主主義の実験場ではないのです(Wikipedia:五本の柱)。
執筆分野の他人が書いた記事に興味を持ち、対話も行う人が増えるといいと思うんですけどね。
執筆者の疲労を招くだけの法律家ごっこは、そろそろ「荒らし」と見なした方が良いと考えます。記事名は必ずどれか一つを選択しなければならず、それ故に発生しやすい議論ですが、それを利用して議論をふっかけて遊ぶとか、個人的な好みで改名を提案するのはWikipediaの目的に合致するものではないでしょう。
個人的には迷うが放置は出来ないなら、WP:NPOVWP:NOTを優先します。Wikipedia的ではない部分を外して中立的に対処すれば、満点は無理でも合格点には達するでしょうから。--Open-box会話2016年8月21日 (日) 08:48 (UTC)[返信]
  コメント ページとか項目とか記事とかの区別はややこしいですが、「ページ名は記事内容と違って両論併記ができない」は、丁寧に書くなら、「記事本文に直接結びつくページ名はひとつしかない」でしょうか。リダイレクトや本文中の併記によって、およそ両論併記はできるし、それができていればそれほど大きな問題にはならない。
意見が対立しないと見込まれるなら経なくてもいいと思いますよ。その場合は改名しようとする人の注意が行き届いているかどうかってところが問題なんだけど、反論があったら合意のプロセスに移ることになる。あとは手続き論というか、手続きの義務の程度というか、そこらへんをどうするか。
逆に、対立があるなら、合意のプロセスを経なければ記事名が固定できないと思うのですが、そこはどう考えているのでしょう? ここでは「合意のプロセス」を考え直す、明確化する、あるいは記事名関係(改名、リダイレクトや曖昧さ回避などを含む)の方針やガイドラインを考え直す、というふうに問いを立てるのがよいのかなと思いました。--Ks aka 98会話2016年8月23日 (火) 00:31 (UTC)[返信]
自分の発言に不足がありましたね。長期化しがちな改名議論を、議論参加者が多いうちに結論を出せればいいのではないかと思っていました。ただ、期限を区切るようなことをすると逆に悪用されかねないとも思い、自分としては具体的な方法を提案できる状況ではありません。合意のプロセスどうこうと言うより、意見の分かれやすい事柄(例えば「認知度が高い」とはどういうことか、あるいは中立的に認知度を測る方法など)について解説するというような解決策が現実的であるような気もしています。--有足魚会話2016年8月23日 (火) 09:53 (UTC)[返信]
現在、ページの改名の改訂を提案中ですが(Wikipedia‐ノート:ページの改名。実際には削除以外の方法で対処されているにもかかわらず、なぜか削除依頼が必須になっていると読むことが可能な文面の訂正です)、その過程で一つ考えた点として、記事名の付け方で例示が弱いと考えました。--Open-box会話2016年8月23日 (火) 16:01 (UTC)[返信]
(参考)特にこの件でコメントをすることはありませんが、過去にはWikipedia:井戸端/subj/「関数」か「函数」かというのが大論争としてありました。参考まで。--竹麦魚(ほうぼう)会話2016年8月23日 (火) 09:58 (UTC)[返信]