Wikipedia:井戸端/subj/一次資料を提示して一般社会通念・常識ベースで執筆者が定義を行うことの是非について

一次資料を提示して一般社会通念・常識ベースで執筆者が定義を行うことの是非について

編集

任天堂」の記事をめぐり論争が生じた話題で、記事編集実務的には合意がなされているため、これ以上のノートでの議論継続は記事改善目的ではないため不適切である、との提案に従い井戸端に移動し

を立項いたしましたが議題設定が不適切であるとのクレームがありましたので仕切り直して新たに立項させていただきます。

叩き台となる具体例は下記のとおり。

(1)

Nintendo News(ニンテンドー ニュース)は今後発売される新作ゲームや任天堂に関する情報を扱うニュース[1]

Nintendo News(ニンテンドー ニュース)は今後発売される新作ゲームや任天堂に関する情報を扱うニュースサイト[2]

と書き換えること。 これに対する意見としては

  • 一次資料を示したうえで一般社会通念・常識で考えてニュースサイトと書くなり、ウェブサイトと書くなり、執筆者の合意形成で書くことは許される。
  • 出典にニュースサイトやウェブサイトとは書かれていない。絶対にウェブサイトと書いてはいけないわけではないが、執筆者同士の対立・議論を避けるために避けるべき。
  • 読者の利便性を優先する。

という趣旨のものがあります(ノート井戸端を参照)。

(2)

ニャニャニャ! ネコマリオタイムはYou Tube、Nintendo e-Shopで定期的に配信されている動画[3]

ニャニャニャ! ネコマリオタイムはYou Tubeで定期的に配信されている動画形式のゲーム情報番組[4][5]

と書き換えること。 論題は末尾の「動画」を一次資料を示して「ゲーム情報番組」と書くことは許容されるかという点です。 (実務上は最終的に[6]を見出し出典とすることで落着した。)

これに対する意見としては

  • 一次資料を示したうえで一般社会通念・常識で考えてゲーム情報番組と書くなり、他の何かと書くなり、執筆者の合意形成で書くことは許される。
  • 出典に「ゲーム情報番組」とは書かれていない。「ゲーム情報番組」と書くことは執筆者の独自解釈にあたり独自研究に相当し許されない。

という趣旨のものがあります(ノート井戸端を参照)。

(2)を独自研究とする一方で(1)を独自研究としないその区別の基準は現在のところ不明瞭です。 私は(1)と(2)が同根の問題であると思っています。

また(2)が独自研究であるとする意見に従うならば、(1)について現行の版

Nintendo News(ニンテンドー ニュース)では今後発売される新作ゲームや任天堂に関する情報を提供している[7]

の「提供している」という部分もまた出典にそのように書かれているわけではなく、執筆者が独自解釈を行っており許されないのではないかという疑問が湧きますがこの点については

  • ((2)は独自研究とするが)、この「提供している」と記すことはWikipedia:原典のコピーはしないに基づき執筆者みずからの表現として許容範囲である。

との意見が提示されました(ノート参照。)

私の意見は

  • ((2)を独自研究とせず)一次資料を示したうえで一般社会通念・常識で考えて「提供している」と執筆者の合意形成で書くことは許される。

です。

既に同様の議題でお手を煩わせ申し訳ないところではありますが、皆様のご意見をお聞かせください。--Daisybell会話2014年11月30日 (日) 09:50 (UTC)[返信]

  コメント (1)の「絶対にウェブサイトと書いてはいけないわけではないが、執筆者同士の対立・議論を避けるために避けるべき」という意見については、実際に個別具体的に表現に関する対立議論が生じて合意困難になったときに落としどころとして採用すればよい話であって、初手から避けることを求めたり、そのような表現を見つけたときに議論なく除去したりするような事柄ではないと思います。--Daisybell会話2014年11月30日 (日) 10:50 (UTC)[返信]


  •   コメント行きがかり上、コメントします。本議論のタイトルは「一次資料を…社会通念…執筆者が定義を…」と、かなり大風呂敷を広げた感があるのですが、もっと論点を絞って「Nintendo Newsをニュースサイトと言ってよいか」「ニャニャニャ! ネコマリオタイムを情報番組と言ってよいか」に限定して具体的に議論したほうがいいんじゃないですかね?
このテーマだと、「一般論として本当に常識に適っているんならいいんじゃないか」みたいな結論になるような気がしますが、実際にはそれを具体的に適用しようとすると、「ニャニャニャ! ネコマリオタイムは常識的に言って情報番組と言えるか」という話になり、結局は個別に検討を要します。
私は個人的な見識として「サイト」や「番組」「メディア」というものにはロクな知識がないので個別具体的には述べませんが、なんというか、「濃い目の赤とオレンジっぽい赤をどちらも「赤」と書いてよいか」みたいな話になりそうな気がします。--柒月例祭会話2014年11月30日 (日) 12:09 (UTC)[返信]
  コメント なんで話が大風呂敷気味になってるんだろう?との疑問はもっともだと思います。こうなったのは、もともと私が対話してましたGowithitjamさんの議論のスタイルの傾向が、まず方針やガイドラインを掲げて相手を説き伏せようとし個別具体的な検討論証を好まれないご様子であり、とかく「出典にないことを書くな」とおっしゃるので、「この人は規則主義、原理主義的すぎる、執筆者の一般常識的解釈も認めないのか。その割に自分の記述とは現行不一致なのでダブルスタンダードではないか。この人の見解に文字通り従うと他記事の存立にも影響する」と思い、ならばより根本的原理的なところを明確にしておけばよりご本人の性向にマッチして納得してもらえるものとなり今後の衝突を回避できるであろうとの判断によります。「一般論として本当に常識に適っているんならいいんじゃないか」という結論になれば私もそれは同意見で、そこで合意を得られれば後は個別具体的な判断の次元に移ればよいと考えています。--Daisybell会話2014年11月30日 (日) 12:56 (UTC)[返信]

Daisybellさん、
前回の議論の要約は引用で済ませて頂けませんか?若干違和感を覚えました。ミスリードの恐れは無さそうですので無理にとは言いませんが...

(1)に関して、

IT用語辞書バイナリ
必ずしもニュースではない雑多な記事を定期的に配信しているウェブサイトは、オンラインマガジンと呼ばれる。

とされているためニュースサイトとするのは不適切である可能性が非常に高いです。また、

コトバンクの解説
ウェブサイトはウェブページの全体や存在を漠然と示す場合に使われ、ウェブページは特定のページや複数のページを指す場合にも使われる。

とされているおり、ウェブページとすべき可能性もあります。このように非常に曖昧であることをわざわざ書く必要がないと思います。また閲覧者は脚注から到達できる筈ですしニュースサイトという記述を省略するのが不便を煩わせることにはならないと考えます。この件に関して議論を避けようとするのは合意困難になったときの落としどころにすべきとのことですが私は最初から合意困難だと思っていましたし、実際合意できず議論が長引いています。ですから自分はこの結論でいつ議論を終了させても構わないと考えています....というよりこの結論で終わりにしたいです。ウェブサイトという記述がなくても記事に悪影響は出てないので不毛に思えます。

(2)に関して、
自分は出典を確認するまで番組だとは思っていませんでした。これはそれほどおかしな考えでもないと思います。また「直接的かつ明示的に支持されない観点を推し進めようとした場合、独自研究を行っていることになる」にも当てはまると思いますし私は一般的通念には当てはまらない範囲だと考えます。

柒月例祭さん、ノート:任天堂においては「任天堂記事の改善に直接繋がらない議題であること」、「他の記事にも影響する議題であること」から井戸端や会話ページでの議論を提案しましたが、柒月例祭さんのご指摘の通りDaisybellさんがここで主題としたのは個別に対応すべき議題であり、また自分もこれらの議題は別個で考えてますのでノート:任天堂で議論すべきかもとは思います。しかし今更移動するほどもことではないだろう...というのが一番の本音です。
--Gowithitjam会話2014年11月30日 (日) 12:32 (UTC)[返信]

  コメント Gowithitjamさん、個別具体的検討に入っているということは、
  • 一次資料を示したうえで一般社会通念・常識で考えて執筆者が合意して記すことは許される。しかしこれら(1)(2)の個別具体的事例の記述においては一般社会通念・常識の範囲にあるかどうかについて疑問がある。
とご判断されているということでよろしいでしょうか。その点明確にしていただきたいと思います。--Daisybell会話2014年11月30日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
より正確な言い回しを目指しますと、
  • 一次資料に直接文字文章として書かれていないことであっても、一般社会通念・常識で考えて執筆者が合意して記すことは場合程度によって容認される。しかしこれら(1)(2)の個別具体的事例の記述においては一般社会通念・常識の範囲にあるかどうかについて疑問がある。
ですね。利用者: Gowithitjamさんがこの点に同意していただけるのならこの井戸端議論の目的は半ば達成されたようなものです。--Daisybell会話2014年11月30日 (日) 13:35 (UTC)[返信]
  コメント 誤解のないように重ねて申し上げますが、私の問題意識は個別の事例がどうのというのは二の次でありまして。ノートでの議論において、Gowithitjamさんが他執筆者の記述においては「一次資料であろうともいかなる個別の事情があっても出典に直接文字文章として書かれていること以外は一切記してはならない。一般社会通念・常識であれ執筆者の解釈は一切交えてはならない」という極端な規則原理主義的要求・主張を行っているとしか思えなかったのです。そのような主張を通されては、記事の執筆編集に多大な制約が課せられることは明白でしょう。なので、そのような極端な規則原理主義的主張はWikipediaで採用されない、あるいはGowithitjamさんはそのような主張を行うものではないということが明確になることが、私の望んでいることです。いま、上記でGowithitjamさんが書かれてた個別具体的なことについても異論を挟む余地はありますが、二の次の話です。--Daisybell会話2014年11月30日 (日) 15:35 (UTC)[返信]


二の次ですか?そもそも叩き台とは、

goo辞書
批判・検討などを加えて、よりよい案を得るための原案。

ですよ。ですから叩き台を叩いて議論を煮詰めるものと思って真っ先に意見を加えましたのに今更二の次と言われるのはのはちょっと変な気が....

それから出典元に記載のない記述を用いなければ不毛な議論は回避できるからそれで十分というのが当初からの主張でしたよね。そして絶対駄目と言っている訳ではないというのも何度もお伝えしてきたことですね。また前述の通り調べれば調べるほどNintendo Newsがニュースウェブサイトとすべきでない可能性が出てきましたよね。

IT用語辞書バイナリ
必ずしもニュースではない雑多な記事を定期的に配信しているウェブサイトは、オンラインマガジンと呼ばれる。

・・・・オンラインマガジンとすべきでニュースサイトは不適切である可能性が出てきた。

コトバンクの解説
ウェブサイトはウェブページの全体や存在を漠然と示す場合に使われ、ウェブページは特定のページや複数のページを指す場合にも使われる。

・・・・ウェブページとすべき可能性が出てきた。
つまり当初の主張、サイトといえば独自ドメインを取得していると解釈される可能性というのも当てこすりどころか真実である可能性すら出てきました。それからこれは全てのウェブに関して言ってるものではありません。つまり『私が一次資料であろうともいかなる個別の事情があっても出典に直接文字文章として書かれていること以外は一切記してはならない。一般社会通念・常識であれ執筆者の解釈は一切交えてはならないという主張を行っている』という貴方の前提は間違いです。Nintendo Newsに関してしか言ってない筈です。拡大解釈しないで下さい。ですから、アップルの公式サイトなどは明らかに特定のページや複数のページを指すものではないですからウェブサイトといって問題ないでしょう。

それにしても主題は私の編集態度に関してなのですね。じゃあ会話ページで行うべき議論でしょうに。
--Gowithitjam会話2014年11月30日 (日) 17:53 (UTC)[返信]

  コメント この井戸端や前回の井戸端の題名を斯様な題名としている意義を汲み取っていただければと思います。別に個人批判や晒しあげをしようと思っているのではありませんので。
では、直接の明言はありませんけれども
  • 一次資料に直接文字文章として書かれていないことであっても、一般社会通念・常識で考えて執筆者が合意して記すことは場合程度によって容認される。しかしこれら(1)(2)の個別具体的事例の記述においては一般社会通念・常識の範囲にあるかどうかについて疑問がある。
という点についてGowithitjamさんは同意頂いたものと解釈させていただきます。(私はノート:任天堂」のときからこの点をずっと確認できるようアピールしていたのですが伝わってなかったんですね。コミュニケーションはほんと難しい……。お互い様な話かもしれませんが。)--Daisybell会話2014年11月30日 (日) 21:41 (UTC)[返信]
  コメント 最重要課題が解決したので後は個人心情的にクールダウン的になってしまいますが、一応……
(1)について
「必ずしもニュースではない雑多な記事を定期的に配信しているウェブサイトは、オンラインマガジンと呼ばれる」という観点を採用するなら「ウェブサイト」と呼称してよいのでは? その説明の言ってることはオンラインマガジンはウェブサイトの一種ということなんですからウェブサイトと呼ぶことになんら間違いはないでしょう。(これが間違いだとされると、「消防活動に使う自動車は消防車である。したがって消防車を自動車と書くのは間違いだ」なんて破綻した主張もできてしまいます。)あ、別にオンラインマガジンでもウェブマガジンでも間違いとは言いませんので念のため。
で、「~情報、ニュースを提供するウェブサイト」とすればGowithitjamさんが避けようとしている「ニュースサイト」という表現ではなくなり、解説文として読者にも分かりやすいのではないかと思います。ニュース以外のものも混じってるからニュースと呼ぶべきではないと言われると、じゃあ天気予報や交通情報や占いやグルメリポートやワンポイント英会話みたいなニュースと言うのかよく分からないものが混じってるニュース番組はニュース番組と呼んじゃいけないのかみたいなことも言えてしまうわけで、そこまでこだわらなくてもなあというのが正直な気持ちではあるんですが。
あと、曖昧なことはわざわざ書く必要はない、とのことですが、わざわざ脚注に行く手間を閲覧者に求めずスパッと書いちゃった方が大抵の読者にとって便利だと思うんですよ。それに辞書を引いたら「○○に同じ」とあったりとか同じ意味の言い換え語があったりとか別の項目に誘導される単語とかが割とありますけど、その手の単語は軒並み避けろ的なことを言われるとウンザリしてしまいます。なのでこの事例だけ我慢するのはいいけども、普遍的ルールとして拡大されるのは勘弁してほしいなあと思います。
それから「サイトといえば独自ドメインを取得していると解釈される可能性が出てきた」という論理展開はよくわかりません。すみません。「明確には否定されていないから可能性はあるかも」という消極的な可能性の話でしょうか。それとアップルのサイトは明らかに複数のページの集合体ですから、「複数のページでないからウェブサイトだ」というのはおかしいですね。
(2)について
「直接的かつ明示的に支持されない観点を推し進めようとした場合、独自研究を行っていることになる」という理屈は一次資料については少し話が違うのではないでしょうか。というのは一次資料の場合、その存在そのものが直接的かつ明示的に表している事柄というものがあるでしょう。すなわち、「一般常識的に見りゃ分かる程度のこと」ですね。「参考文献」には「やあ、僕は参考文献と呼ばれる存在だよ!」とは文章で直接的かつ明示的に記されていないけれども、一般常識的にはその存在そのものが示してるんだから「参考文献」と呼んでよい、とか。文書の隅っこや署名の前などしかるべきところに日付があったら別に発行日とズバリ書かれてなくても発行日と解釈する、とか。そういう類の話です。この一次資料特有の事情というか性質について、Gowithitjamさんは見落としているのか認識が違うのか、ちょっと変だなと思います。
ところで、Gowithitjamさんは[8]を見るまであれが番組だとは思っていなかった、一般的通念でも番組には当てはまらないとのことですが、それでも当事者による出典がある以上は出典に従わねばならない、とお考えということでよろしいでしょうか。というのは、私は出典の内容と一般社会通念・常識が食い違ってるときには一般社会通念・常識が優先される局面もあると思っているんです。今回は(一般常識的に番組でいいと思うので)そのような不一致はないと思っていますが。例えばある芸術家が彫刻を作って「これは彫刻ではなく神からの託宣だ」みたいなことを言った場合に、常識で言えば彫刻なんだから彫刻と書くべきか、本人の発言が優先されてそれを出典に「神からの託宣」と書かなきゃいけないのか。私は彫刻でいいだろうと思うわけです。--Daisybell会話2014年11月30日 (日) 21:41 (UTC)[返信]
  コメント 流れを追えてはいないのですが、Nintendo Newsをニュースサイトとする出典はあります[9]。しかし、この問題は編集行為に対する疑問だと思いますのでコメント依頼が適切ではないでしょうか。--Aquamarx会話2014年12月1日 (月) 07:16 (UTC)[返信]
  コメント 情報提供ありがとうございます。流れとしては、議論冒頭で明記されていますけどもこの事例に限って言うと実際の記事編集については一応妥結してまして、妥結した以上はノートで議論は好ましくないと言われこちらにやってきた次第でして。まあ前提が変わったんだからノートに戻っても、というご意見は一理あるんですけども、一次資料をベースにどこまで執筆者が書いていいんだろうかということについて、普遍的なルールというか他の項目や記事にも通用する編集上の事柄、有用な知見を浮かび上がらせることができればと思う次第でして、ならば広い話としてこちらでもいいのではないかと思います。--Daisybell会話2014年12月1日 (月) 10:26 (UTC)[返信]
  コメント (1)について議論が散漫になってるので言い直しますと。
一次資料段階ではNintendo Newsのことを指す語の候補として、ウェブサイト、サイト、ニュースサイト、オンラインマガジン、ウェブマガジン、ウェブページなどがあると。これらについて、どの語を選ぶかなんて合意できるはずがないし、語が定まらない曖昧なものなんだから文章表現を変えて最初から選べないようにしてしまえばよいという見解が出ました。しかし私が思うに、曖昧なものだから避けるというのではなくて、最も曖昧に包括的に物事を示している語を選ぶことで落着させるという選択肢もあるのではないか、と。上記候補から言えば、その語とはウェブサイト、またはサイトです。ASCII.jpデジタル用語辞典に、「ウェブサイトはウェブページの全体や存在を漠然と示す場合に使われ」という説明がありますが、こういう漠然と示す語こそ一般常識的判断で「いろんな言い回しがあるけど、まあこれにしておこうか」というのにぴったりな無難さがあるんじゃないかと思うんです。
語の揺れで合意が難しそうなものは最初から書かないようにするべきである、とあるべき唯一の執筆スタイルとして限ってしまうと前述のとおり執筆に支障が出ます。避難的なやり方は時には有効と認めつつも、本来は揺れに寛容である方がベターで、読者は読みやすくてよし、執筆者は書きやすくてよし、Wikipediaは記事が充実しやすくてよし、の「三方よし」だと思います。--Daisybell会話2014年12月1日 (月) 10:26 (UTC)[返信]


結局、貴方は「一般的通念でも出典に書いてなければ一切加えてはならない」という私の態度を問題としていたものの、そもそも私はそんなことは言ってなかったから最重要議題は解決...ということで宜しいですね?

「ウェブサイト」と書くことがダメなことを認めたわけじゃないですよ。別に「ウェブサイト」でもいいんです。なのにそれをやめろと言われたら反論せざるを得ません。』ということで発生した議論「ウェブサイトをウェブサイトと呼ぶことは執筆者の独自解釈なのか」も個別の事例は最重要でなかったということですよね(最初から現在の議題であれば話は早かったのに)?

ならもういいんじゃないですか?何度も言ってるように記事は現状問題ないなら不毛に思えますし、貴方にとっての最重要議題解決したのでしょう?それに柒月例祭さんが仰ってる通りここでの議論はあまり適切ではないでしょう。かと言ってまたいきなり新たに議題を設けられもちょっと困りますけどね。それでもどうしてもというのならお付き合いしますけど如何なさいますか?
--Gowithitjam会話2014年12月1日 (月) 11:15 (UTC)[返信]

  コメント うーん、伝わってないですね。「一般的通念でも出典に書いてなければ一切加えてはならない」というかのような考え方を問題にしていましたけどそれだけではないですよ。あることについては出典にないからダメだと言い、あることについては出典にないからといってダメだとは言わないけど何とかかんとかでダメだと言う、ではその両者の区別はどこにあるんだ?というところを明確にしたいんですよね。どういう基準が通底しているのか。ここの記述に限らずあらゆる記事に関わってくる話ですからね。これも何度も言ってるはずのことですが……。--Daisybell会話2014年12月1日 (月) 11:33 (UTC)[返信]
  コメント 結局一般常識の範囲内であるかどうかで決めるならば、何が一般常識の範囲内であるかをどうやって決めるかっていう問題になりますよね。(1)よっぽどおかしくなければそのまま認める(2)議論発生自体を回避する表現にする (3)クレームが入ったら議論は不毛だからそのクレームを採用してその場を受け流す (4)何が一般常識内であるかは俺がルールブックだ など、取り得る考え方があるわけです。--Daisybell会話2014年12月1日 (月) 11:50 (UTC)[返信]

『あることについては出典にないから駄目だと言い、あることについては出典にないからといって駄目は言わないけど何とかかんとかで駄目だと言う区分』ですか。正確には『あることについては出典にないから駄目だと言い、あることについては出典にないから絶対駄目は言わないけど記述しないことで議論を避けたほうがいいとする区分』ですよ。駄目とは言わないけど駄目って日本語おかしいですからね。

  1. 前者はニャニャニャ! ネコタイムに関してですね。これはそもそも一般的通念の解釈でない(独自研究の疑い)と判断し駄目と言いました。(そもそも「ニャニャニャ! ネコタイムがゲーム情報番組というのが一般的通念である」かは主題でないので今は触れないでおきましょう。)
  2. 後者はNintendo Newsに関してですね。どうしても加えた場合には利用者の同意を仰げばいいですが、本当に事実でかつ有意な記述であれば出典は見つかるはずですし(実際見つかりましたね)、見つかれば同意を仰ぐ議論(ニュースサイトであるのが一般的通念だと証明する議論)が必要なくなります。ですからどうしても書かなければいけないというわけではないのなら議論は避けたほうがいいとしたわけです。なので今後は記述に疑問を持たれた場合(私がニャニャニャ! ネコタイムの出典を発見できたように)、まずは自分で出典を探す努力をして頂きたいです。そうすることで貴方自身、加えてコミュニティの負担も軽くなります。これでも出典を探したんだということでしたらそれは失礼しました。出典に書いてなかったら絶対駄目としなかったのは「その日が自分の閲覧日であることを示す「発表済みの信頼できる媒体」を明示しなければなりません」というあまりにも馬鹿げた理論になりかねないからです。

結論として出典がないから駄目というのは「一般通念どころか独自研究の恐れがある場合」、出典がないから絶対駄目とは言わないけど記述しないことで議論をさけたほうがいいというのは「一般通念であることを証明しようとするよりも出典を探したほうがコミュニティの負担が軽く、また加えなくても問題がない場合」ですね。
--Gowithitjam会話2014年12月1日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
...ということを以前から同じことを繰り返し申し上げてきましたよね?明確じゃなかったですか?それとも御理解頂けてなかっただけですか?
--Gowithitjam会話2014年12月1日 (月) 15:14 (UTC)[返信]

  コメント ダメとダメが重なっているのは口語の範囲ってことでご容赦ください。なるほど、かなり見通しが立つお答えをいただけました。ありがとうございます。これまで繰り返されていたということですが、明確ではなかったかもしれないし、私がバカだったかもしれないし、それはよくわかりません。とりあえずお互い繰り返しているのに伝わらないなーと思っていたという一点においては通じ合ってますね。
1について、今まで「ニャニャニャ! ネコタイム」がゲーム情報番組であることは一般社会的通念的に言えるかどうかについてGowithitjamさんからは「自分はそうは思わない、WPのここに違反」くらいのあっさりした話しかなかったように思います。私は独自研究ではない理由を丁寧に説明してきたつもりなんで、厭わずに後出しせずに丁寧に話を積み重ねればいいのではないかと。
2について、自分で出典を探す努力をせよ、というのはなるほど、一理あります。頑張って出典を探したのかと問われればしてません。すみません。常識的に見て分かることは別にそこまでキッチリ出典を問うほどのものではないだろうという考えがあるからですね。あればベスト、なくても許容範囲と。最初からそこまで厳格に問わなければそもそもコミュニティは疲弊しないじゃないかとも言えるわけで。
「出典がないから絶対駄目とは言わないけど記述しないことで議論をさけたほうがいいというのは『一般通念であることを証明しようとするよりも出典を探したほうがコミュニティの負担が軽く、また加えなくても問題がない場合』」というのは私は支持しないけれど、筋の通った一論だと思います。「出典がないから駄目というのは『一般通念どころか独自研究の恐れがある場合』」というのは一見正論ですが、一般通念と独自研究の境目がどこなのかある程度見通しをつけていないと、常識問題でも「俺が独自研究と思うから独自研究」みたいな乱暴な話になりかねないです。それに何でもかんでも出典をつけろというバカげた言いがかりを許したり、出典が記事の正確性を高めるための出典というより、意見の違う人に文句を言わせないための都合のいい道具としての出典として濫用されたりしかねないです。
まあ大体わかりました。私とGowithitjamさんの考え方の違いは、物事を厳格側に倒すことで対処すればよし、という考え方と、物事を寛容側に倒すことで対処すればよし、という違いであるように思われます。そして議論でどっちが正しいかと決着をつけるのは困難だと思われます。他の方の参加も少なく、議題として発展性がないようですし。私も常識問題で何でこんなに労力を割かなきゃなんないんだろうかとウンザリしましたのでこのへんで私はやめておきます。おつきあいありがとうございました。なおこれ以降他の方が同じテーマで議論を継続なさることを妨げるものではありません。(あと私がやめとくと言ったからといって反論されないと思って私に対して放言するのはおやめいただきますよう念のためお願いします。)--Daisybell会話2014年12月1日 (月) 16:02 (UTC)[返信]

もう少しで結論に至りそうなので意見したいところですが、「反論されないと思って放言した」と言われかねない(という投稿が放言と言われかねない)ですし其方がこれでいいのでしたら私もこれ以上意見することは控えることに致します。
--Gowithitjam会話2014年12月1日 (月) 18:18 (UTC)[返信]