Wikipedia:井戸端/subj/日本語記事においてあらすじを現在形で書く必要はあるのか(WP:WAF)

日本語記事においてあらすじを現在形で書く必要はあるのか(WP:WAF) 編集

Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)は英語版(Wikipedia:Manual of Style/Writing about fiction)から翻訳されたガイドラインです。

このガイドラインでは「あらすじ」は過去形ではなく現在形で書くことが推奨されています。該当箇所を以下に抜粋します。

  • (問題点として)あらすじやその要素を論じるのに過去形を使うこと。
  • 物語の筋、登場人物、作品の舞台といった、フィクションの中の特定の要素に関わる創作の経緯や進展の詳細は、その要素が物語の中でどのような役割を果たしているのかを読者が理解できるのであればより有用な情報になります。これにはしばしば物語の要約の提示や、登場人物の概略、作中の文言の引用などが伴います。慣習的に、こうした梗概を書く際には、実際に作品を読んだり視聴したりする際の物語の経験に対応する時制である現在形を基本とした文体が使用されます。物語の中では、ある特定の時点で「過去」であったり「未来」であったりしても、何が「過去」で何が「未来」かは物語が進むにつれて変化していきます。そのため全体の説明を持続する「現在」として統一するのがもっとも簡便で一般的な方法なのです。

しかし個人的な皮膚感覚としては、日本語においてあらすじを現在形で書くべきであるという通念が存在するようには思えません。「あらすじ 現在形」で検索すると「英語であらすじを書く際には現在形を用いること」などと説明しているサイトが複数見つかります。これは英語などに限った問題であって、ガイドラインとして全言語版で導入するべき内容であるとは限らないのではないでしょうか。

書籍にもいくらか当たってみました。『あらすじダイジェスト(幻冬舎)』『あらすじで読む古典落語の名作(楽書館)』『あらすじで読み解く古事記神話(文藝春秋)』『あらすじで味わう昭和のベストセラー(広済堂出版)』『あらすじで味わう日本文学(広済堂出版)』ではごく普通に過去形が用いられていました。『あらすじダイジェスト世界の名作100(幻冬舎)』では現在形で統一されたあらすじも収められているのですが、全体でみれば過去形の使用は特に禁止されている訳ではありませんでした。 (本来なら「あらすじの書き方」そのものを扱った書籍にあたるべきなのでしょうが、ちょっと見当がつきませんでした。)

みなさんのご意見を聞かせていただけると幸いです。--雲霞会話2016年8月29日 (月) 12:31 (UTC)[返信]

  コメント Wikipedia:あらすじの書き方#あらすじの文体に多少詳しい解説があります。基本的な問題として、現代の日本語には過去形と完了形が形の上では区別されません。「~た」「~した」という文体になっていても文法的に過去形であるとは限らない、という点をまず考慮に入れる必要があります。要するに「~た」「~した」「だった」のようなかたちの文自体が禁じられたり、非推奨とされているわけではないということです。
Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)で「あらすじやその要素を論じるのに過去形を使うこと」が問題として挙げられているのは、「現実世界の観点に立って記述する」の節にあることからもわかるように、それが現実における過去の出来事と区別しない・できない書き方になりがちだからです。「あらすじ」という見出しを設ける場合のように、もっぱら作品内の物語の解説であることが自明であるような場合には「過去形」でも実際上の問題はあまりないと思われますが、その場合でも現実世界を基準点とした書き方が推奨されると思います。「あらすじ」セクションで現実世界との関係を記述するケースなどもないわけではありません。--頭痛会話2016年8月29日 (月) 13:28 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。「基本的な問題として、現代の日本語には過去形と完了形が形の上では区別されません。」というのが何を指しているのかちょっと分からなかったのですが、私が『あらすじダイジェスト(幻冬舎)』等の書籍にあたった際、過去形と完了形を区別していなかったのではないか、というご指摘でしょうか。もしそうでしたら、そのご指摘は的を射ています。再確認のためにお時間を頂けるとありがたく思います。--雲霞会話2016年9月10日 (土) 11:46 (UTC)[返信]

  コメント井戸端なので通りすがりの雑な感想としてコメントします。(ガチな議論であれば当該文書のノートだろうということで。)なんとなーくですけども、もとの英語版は英語であるがゆえに英語の文法を前提としていて、すなわち未来形、現在形、現在進行形、過去形、過去完了形、過去進行形、など我々が中学校で習ういわゆる「動詞の活用」を想定していて、そのうえでの「現在形を使用せよ」なんじゃないかなあと感じました。つまり動詞の変化形のうち現在形を使用する。英語以外の印欧系の外国語だと、時制がもっとたくさん種類があったりしますよね。(私は印欧系以外の外国語の知識がないのでわからない。)それらの諸言語と較べた場合日本語では、動詞の規則変化によって文法上の時制が機械的に定まる、みたいな感じではない。(そこらへんは頭痛さんが前段でおっしゃってることと同じだろうと思います。)

なので、日本語の動詞の活用(?)・語尾で、ただ単純に外観的に過去形(なになにした)を文字列として用いてはならぬということではない。しかし、書き方の視点としては「現実世界の観点」にせよ(登場人物目線になるな)。ということでしょう。(全体としては頭痛さんと同じことを言っているはずだと思います。)--柒月例祭会話2016年8月29日 (月) 15:37 (UTC)[返信]
正直、あらすじより登場人物の説明の方が顕著なんだけど、例えば第1話で何らかの組織の長官が出てきて、10話くらいで辞めることになったとする。ここで、説明文が「元長官」になるのはおかしく、「長官(10話で辞任)」みたいな記述が適切になる。最終話や最新話を時間軸上の基準において過去形で説明してしまうというのは問題で、ここでいう現実世界の観点というのは、1話から最終話までの時間軸上において、どこからみても時制がおかしくないように気をつけなければならない。ただ、この場合でも物語上で過去に起こったとされる出来事は、過去形で記述されるのが適切。そうしたいくつかの観点を踏まえる必要があるのに、「~た」で終わる=過去形=問題! というのは短絡的かなと思います--EULE会話2016年8月29日 (月) 16:20 (UTC)[返信]

申し訳ありません、ちょっと所用でしばらくまとまった時間が取れません。返答に時間がかかることをお許しください。--雲霞会話2016年9月30日 (金) 15:57 (UTC)[返信]