Wikipedia:井戸端/subj/細かい修正について

細かい修正について 編集

日本語の間違った使い方(い抜き、ら抜き)等を細かく修正されるのですが、 これら記事の校閲と思われる作業は、専門のチームを作ることで対応することは できないのでしょうか? なかには、個人的な指針に基づいて校閲・削除を される方もおられるようで、しばしば論争の対象になっているようです。 皆様のお考えをお聞かせください。--Clairs 2009年7月13日 (月) 02:39 (UTC)[返信]

つまり雑草とりのことだと思いますが、まあ、当該ページの具体例にあるように、雑草とりと一口に言ってもたくさんあって、botで対応できる物とか。論争の対象になるような物というのは、それだけ高度(?)な案件であり、専門のチームを作ったところで論争は減らないし、むしろ、下手に権威を与える方がやっかいだと思います。単純に是々非々で解決できるような問題じゃないのが多いので。--EULE 2009年7月13日 (月) 03:23 (UTC)[返信]
(追記)個人的な指針と言われますが、基本的にはスタイルマニュアルなどに沿った物です。それらルールを逸脱や拡大解釈して、個人的な指針で雑草とりをしている者は、その者個人の問題であり、会話ページなどで注意するのが妥当だと思います。幸い、雑草とりを進んで行うという利用者は少ないですし。--EULE 2009年7月13日 (月) 03:25 (UTC)[返信]
俺は逆ですね。PJ:WEEDとかあったらおもしろいんじゃね?とかちょっと思ったりします。
Clairsさんのおっしゃるとおり、またEULEさんのおっしゃるとおり、雑草とりといってもまあいろいろあるわけで、「どういうもんが雑草とりなのか」ってのをちゃんとできる・示せる集団が存在するというのは、手本という意味で、また相互協力という意味で少なからずプラス効果があるんじゃないのかなと。現状目にする「雑草とり」というのが、「基本的にはスタイルマニュアルに沿ったもの」でない場合もままあるし。そういうことをやっている方に(その雑草とりの作業の内容はどうあれ)参加してもらって、「理想的な雑草とりとは?」とかオオマジメにやりあってもらうのも有益だと思うし。雑草とりのガイドラインとなるユーザ集団がいる、ということによって、論争は減るんじゃないか?と思います。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2009年7月13日 (月) 04:00 (UTC)[返信]
私は ish-kaさんのご意見に近いですね。スタイルマニュアルのより現実的な運用だとか改訂を考えたり、(うまく制御すれば、雑草取りとかの分野でももっと活用できるであろう)bot処理とか、そういうことを議論したり取り組む場所・チームがあっても良いと思います。EULEさんの仰る『下手に権威を与える方がやっかい』というのは確かにそういう懸念もあるのですが、検討の余地はあると思います。--氷鷺 2009年7月13日 (月) 04:38 (UTC)[返信]
 PJ:WEED、面白いと思いますし、やられる方がいらっしゃればそれは褒められこそすれ非難される謂れはないでしょう。ただPJでござい、と立ち上げた後でフリーの(PJに所属しない)雑草取りに次々と素晴らしい仕事を成し遂げられたら面目が立たないかもしれませんし、それでPJがフリーの雑草取りを潰しにかかったらそれこそ笑えない事態かも知れませんが。--Himetv 2009年7月13日 (月) 04:53 (UTC)[返信]
や、権威を笠に着ちゃったりとか、PJに所属しないユーザをつぶしちゃったりするような人の場合は、まあそれはなんというか「センスがない」だけのような。「権力を笠に着る」んじゃなくて「協力を要請すべき」で、「PJに所属しないユーザ」も「協力を要請すべき(なんならPJに参加してもらうべき)」だし…。そういうことがあると笑えない事態になるのはどのPJでも同じだと思いますよ。--ish-ka a.k.a.lisky@s.i.b! (talk/wikimail/contributions)2009年7月13日 (月) 07:53 (UTC)[返信]
(インデント戻します)ああ、ちょっと捕らえ方が違っていたようです。単に権威性を与えるのではなくて、ある意味でのプロジェクトのようにしていくと言う意味でなら良いかもしれません。
あと私が言った権威の弊害ってのは、、例えば少し前の話だと「享年」を是正する雑草とりでやや揉めたように、端から見れば、第三者から見れば「どっちでも良いだろ、意味がわかれば」と思うような物に対して、こっちが正しいみたいな方向性をただ一部の集団によって付けられると揉めると思うんですよ。それは、関数と函数を出すまでも無いことであり、、、 Clairs氏が例に出すら抜き言葉だって、今の日本語では既に許容される範囲にあるのに、それを「正しい日本語」とやらを振りかざして直して軋轢を生むというような、そういうのは避けたいと思うんです。--EULE 2009年7月14日 (火) 00:52 (UTC)[返信]