Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中国の経済史 20201011

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選考終了日時:2020年10月24日 (土) 15:51 (UTC)

  • (自動推薦)2020年9月度の月間新記事賞受賞記事。--totti会話2020年10月10日 (土) 15:51 (UTC)[返信]
  •   反対 内容以前に出典提示が不足です。一節まるごと無出典の場所もあり、とうてい看過できるレベルではありません。また、私はこのテーマについて、あれについての解説がない、とか、これについての解説は絶対に必要だ、などと具体的に細かく指摘できるような知識はないのですが、それにしても、もっと各時代について書くべきことがあるのではないかと思います。--Loasa会話2020年10月11日 (日) 00:53 (UTC)[返信]
  •   反対 出典が足りないことに尽きます。また、出典が付いていても『史記』などをダイレクトに情報源とするのはどうかと思います(本文において「『史記』には・・・・・・の記述がある」のような形で紹介するのは構わないのですが)。現代の中国史に関する専門書などによる裏付けが欲しいところです。--MTBM3会話2020年10月11日 (日) 10:23 (UTC)[返信]
  •   コメント この記事については、新記事賞の受賞記事を良質な記事へ自動推薦するシステムで起きる事故のたぐいだと考えました。人間の推薦者はおらず、主執筆者や新記事賞の投票者の方々も、良質な記事の選考は想定していないのではないでしょうか。新記事賞と良質な記事では条件が違うので、こうしたことがときどき起きるのは致し方ないかと考えています。主執筆者の方からコメントがあれば、それに応じてまた書きます。--Moke会話2020年10月12日 (月) 10:43 (UTC)[返信]
  •   反対 ( IP利用者に投票権はありませんのでコメントとして扱われます。Loasa会話2020年10月13日 (火) 12:37 (UTC))さすがにこれを良質とするのは無い。以下理由。[返信]
    • その1 意味の通らない文章が多数見受けられます。以下例示。
      • 節「宋代」、「均田制が武周の末頃から瓦解し始め、中唐以降の王朝は均田制に代わる新しい田制を必要としていた。当時の北宋では五代十国時代からの各国の経済や文化の進歩・発展とそれによる新しい様々な商工業種が外国貿易をより盛んにし、泉州や明州・広州などの通商が栄えた。」
      • 新しい田制を必要としていた…のに何でいきなり外国貿易の話になるの?

*** 節「清朝」、「清朝は海禁政策を実施し、台湾を直截統治した後、沿海貿易が活発となり、貨幣については銀銅両本位制を採用した。」

      • 海禁政策を実施…して沿海貿易が活発となるの?そして何でほとんどつながりがない貨幣の話になるの?(ひどい勘違いをしていました。この部分は取り消します--61.196.4.15 2020年10月14日 (水) 11:18 (UTC)[返信]
      • 節「中華人民共和国」、「1949年の中華人民共和国成立後、中国大陸ではソ連のレーニン時代の新経済政策に似た政策が実行され、移行期間の貨幣制とされた。1956年に社会主義への改造が完了した後、ソ連式の高度集中の計画経済体制が実行され、この体制により経済発展が進むにつれ、国民生活は悪化の一途を辿り、大躍進政策・文化大革命により、経済発展とともに国民の生活水準が上がったため、生活苦に陥る人も多く現れた。」
      • ???国民生活は上がったのか下がったのかどっちなの?
    • その2 明白な間違いがあります。以下例示。
      • 節「清代」、「近代の中国経済の発展の特徴は全地球規模の資本主義経済の体系に漸次的に参入したことにある。清代中葉には対外貿易活動が盛んになり、最初は広州一市のみの貿易だったが、アヘン戦争以後に沿岸各都市に広がった。上海、天津、寧波のような都市などが代表的な例である。清末には新興工業が盛んになったが、それらが沿海部に集中し、今日の生産規模ほどの開発が行われ、世界にその商品が展開されるようになった。そのため「世界の工場」と呼ばれるようになった。」
      • イギリスを差し置いて清が世界の工場???そんな馬鹿な。
    • その3 重要事項の抜けが多いです。以下例示。
      • まずこの項目の中で朝貢という言葉が一回も出てこないのは論外です。朝貢システムこそが王朝時代の中国の外国(という言葉自体に大いに問題がありますが)貿易の柱であり、これを抜かして中国の経済史を語るなどあってはなりません。
      • 中国の経済制度と言って真っ先に思いつくのが均田制。これは一応言及されています。しかし租庸調についての言及がない。おおよそ中学での歴史の授業で租庸調について言及しないことがあり得るでしょうか?いやあり得ない。
      • その他にも両税法とか宋銭とか王安石の改革とか一条鞭法とか挙げればきりがなさそうです。
    • その4 説明不足が目立ちます。
      • 上に挙げた均田制。一応は言及されていますが、節「南北朝時代」「これを解決し、農業生産高を向上させるため、均田制を創始した」、節「唐の経済政策」「唐の後期には、官僚地主は土地を次々と没収し、均田制は崩壊した。」と「創始した」「崩壊した」としか書いてません。どういう制度なのか?どのようにして生まれたのか?なぜ崩壊したのか?一切説明なし。均田制の記事を見れば分ることではありますが、それにしても簡単な説明くらいないと読者はチンプンカンプンです(なお農業生産高を向上させるため均田制が創始されたというのも明らかに誤っていると私は思います)。
      • 節「清代」「明清時代、中国には十大商団(十大商幇)が形成されつつあった。その中も晋商・徽商は中国の金融業を、閩商・潮商は外国貿易を掌握した[29][30]。」これでは何のことやらですね。私から解説すると「幇」とはいわゆる商人ギルドのことであり、晋商は山西省の商人・徽商は徽州・閩商は福建省・潮商は広東省のことです。これを説明なしに理解できる人はそもそもウィキペディアで調べる必要はないでしょう。
    • その5 細かい点
      • 節分けについては何故三国時代と西晋が分けられているのか。せめて魏晋時代にするべきでしょう。そしてその三国時代の節の中で魏晋南北朝時代について言及する矛盾。
  • 以上。長々と失礼しました。ただ私はこの分野の最新事情には全く疎いので現在の研究では事情が異なっている可能性もあります。その点はご容赦願います。--61.196.4.15 2020年10月13日 (火) 11:33 (UTC)[返信]
  •   反対 記事作成者です。まさか新記事に選ばれ、こんな所まで来るとは思いませんでした(Mokeさんの仰るような「事故」ですね)。中文版を翻訳しただけなので、出典が殆ど無く、構成も怪しい所があります。ご指摘の部分の一部については修正しましたが、作成者の主観としては、全て修正できたとしても「良質な記事」には至らないでしょう。なので、個人的には忙しいのですが、加筆修正していこうと思っております。また、61.196.4.15さん、数々のご指摘ありがとうございます。--HWTOF会話2020年10月18日 (日) 15:56 (UTC)[返信]
*   返信 HWTOFさん、経緯についてありがとうございます。自分も「事故」で選考されたことがあるので、そうかなと思いました。加筆するなら、こちらで貨幣・金融・貿易あたりは分担で手伝えますが、どうでしょうか。選考とは関係なく進められればと思います。 --Moke会話2020年10月18日 (日) 22:51 (UTC)[返信]
  返信 Mokeさん、ありがとうございます。宜しくお願いします。--HWTOF会話2020年10月19日 (月) 07:35 (UTC)[返信]
  返信 HWTOFさん、お返事ありがとうございます。以後、何かあれば記事のノートの方に書きます。--Moke会話2020年10月19日 (月) 23:47 (UTC)[返信]

反対のみ3票以上の状態が48時間継続のため、早期終了・通過せずとなります。--Tam0031会話) 2020年10月21日 (水) 13:50 (UTC) 書き間違えた結果を訂正--Tam0031会話2020年10月21日 (水) 13:51 (UTC)[返信]